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2018/12/17

■カフェサロン「私はなぜ湯島でサロンをやることになってしまったのか」報告

「私はなぜ湯島でサロンをやることになってしまったのか」をお話しさせてもらうサロンには20人を超える方が参加してくださいました。
私のことを、「新興宗教の人」とか「某国の諜報機関の人」とか、「謎の人」と思っている人もいたようで、私の正体を見極めるために来たという人も複数いて、私としては大いに反省させられました。
私ほど自らを開示していて、「謎」とは無縁な人はいないと自負しているのですが、疑いをもたれるような生き方をしていたようで、反省しなくてはいけません。
念のために言えば、もちろん私は新興宗教や諜報機関とは無縁です。

テーマに関していえば、いろんな人が一人の人間として心を開いて触れ合う場こそが、私が目指している、「誰もが気持ちよく暮らしていける社会」を実現するためには、「一番効果的」だと思っているので、サロンを続けているという話をさせてもらいました。
サロンを始めた経緯も含めて。
デモや革命や壮大な思想よりも、信頼し合える人のつながりが育っていくことが効果的だというのが、私が50年以上かかってたどり着いた結論なのです。
それで社会は変わるのか、という指摘も受けましたが、むしろ、それ以外では変わらないというのが私の考えなのです。
もっともそんな「ゆるい方法」ではすぐには変わらないでしょう。
でも50年か100年たてば、変わるかもしれませんし、それでも変わらなければ、その方法は間違っていて、きっと誰かが別の方法で変えていってくれるでしょう。
そう確信していることが、「私が湯島でサロンを続けている」理由なのです。
残念ながら、参加者のみなさんにはあまり納得してもらえなかったかもしれません。
しかし、社会は「変えるもの」ではなく、「変わるもの」なのです。
そして社会は私も含めてみんなでつくっているものですから、たとえばその一部である私が「変われば」当然ながら私が変化した分だけ社会は間違いなく変わるのです。
その信念で私はこの30年生きてきています。

最近の私の活動を紹介しながら、こうした話をさせていただきましたが、そこにいろんな問題提起を含ませてもらいました。
たとえば、みんな「たこつぼ」生活をしていませんか。
たとえば、社会は「公と私」で構成されているわけではなく、もうひとつの社会があること。
たとえば、「コモンズ(共有地)の悲劇」は問題の捉え方が間違っていること。
たとえば、社会問題を各論的に解決しようとするところに問題があるのではないか。
たとえば、稼ぐこと(労働)と働くこと(仕事)は違うのではないか。
たとえば、働き方改革ではなく生き方を問いなすことが必要なのではないか。
たとえば、自分にできる「変える」対象は、自分だけではないのか。
そして、過去生や来世を想定して生きれば、子孫や先祖のことが視野に入ってきて、目先の私欲に惑わされるような生き方ができなくなるのではないか。
などなどです。

どれか一つにでも引っかかってもらえればと思いながら、全体としては、全体を起点に考える時代は終わり、個人を起点にした社会や組織を目指す時代が来たことを伝えたかったのです。
そしてそのためには、みんな「自分」をしっかりと生きるのがいいのではないかと。

最後に私の未来の話とサロン以外の話もほんの少しだけ話させてもらいました。
これは私にはとても重要な話ですが、参加者には蛇足だったでしょう。

話し終わった後に3つの問いかけをさせてもらいました。
Q1:みなさんの仕事はなんですか? (稼ぐ労働のことではありません)
Q2:みなさんの一番の資産はなんですか? (お金だけが資産ではないです)
Q3:いま幸せですか? いつ幸せになるつもりですか? (明日はないかもしれません)

これに関して話し合ってほしかったのですが、むしろ違う話に転じてしまいました。
まあそれが湯島のサロンの特徴なのですが。

厳しい指摘も受けました。
内容が盛りだくさん過ぎて、受け止めにくかった。
佐藤さんは社会を変える意図はないのだと思った。
いずれも正しいですが、こういう発想をやめていこうというのが私の姿勢なのです。
簡単に言えば、一人称自動詞で生きようというのが私の信条です。
佐藤さんは犬型ではなく猫型だという人もいましたが、犬にもたぶん私型の犬もいるでしょう。
私は猫も犬も一括して捉えることができないのですが(血液型や国民性も私にはあまり受け入れられません)、犬も猫も、外国人も、それぞれに個性がありますので、そうした「個性」と付き合う生き方を大切にしています。
参加者の一人は、私のことを「我慢強い人」と言ってくれましたが、一方で、私は「わがままな人」だと言った人もいるような気がします。
たぶんいずれも、その人にとっては正しいでしょう。
でも私は、いずれでもないと思っています。

小学校時代の同級生の女性や会社時代の後輩から私に関するエピソードが紹介されました。
一つは私の悪い性格、一つは私の良い性格のようでしたが、いずれも私の記憶には全くない話でした。
人間の過去はどうも自分と他者とでは違うようです。

最後に、このサロンの報告は本人がまとめるのかと質問がありました。
サロン主催者としての責務であり特権かなと思っていましたので、「はい、私が自分に都合のよいようにまとめます」と答えましたが、参加者でもし報告をしてくれる人がいたら、もちろん大歓迎です。
まったく違った報告になるかもしれません。

それにしても長い私の話を我慢強く聞いて(読んで)くださったみなさんに感謝します。
なお当日の話はいつものように近藤さんが録画してくれましたので、メーリングリストのメンバーには公開させてもらうかもしれません。
そこにたぶんパワーポイントが出てきますので、お時間が許せば、それを見てもらえればと思います。
よほどお暇であればですが。

少なくともあと3年は湯島のサロンは続けたいと思っています。
まだ買っていないですが、明日にでもたぶん宝くじを買う予定なので、当たったら「みんなの喫茶店」を開いて、そこで最期を迎えたいと思っています。
葬儀を頼む人ももう決めました。

ちなみに言い忘れましたが、今回のサロンは熊本の宮田さんがわざわざ送ってくれたコスタリカのコーヒーでした。
宮田さん、ありがとうございました。
Osamu181


Osamu183


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