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2019年1月

2019/01/31

■節子への挽歌4097:雨が雪になりそうな寒さ

節子
雨が雪になりそうな寒さです。
今日は湯島で2月5日に開催する認知症予防フォーラムの最終実行委員会でした。
いつものような気楽な実行委員会方式を想定していましたが、女性たちが中心になったこともあり、私はリズムに乗れずに、みんなががんばってやっているのを横でおとなしく見ていました。
ちょっと進め方が違うような気もしますが、邪魔をしてはいけません。
今日のミーティングでほぼ準備は完了ですが、正直のところ、当日がいささか心配ですが、もう私の手の届かないところで動き出していますので、当日は進行役に徹しようと思っています。

体調がなかなか戻らないのをいろんな人が心配してくれています。
こんなメールまで届きました。

体調が戻ってないみたいで、遠隔ヒーリングの力及ばずすみません!
私がこんなことを言うのも、差し出がましいのですが
ほんとに、もっと、ご自身を大事にしてもらいたい!と、切に思っています。
佐藤さんは色々引き受け過ぎて、無自覚にストレスかなり溜まってると思います。

私の生き方は、やはりなかなか他者には伝わらないようです。
全くと言っていいほど、この人は私の生き方が見えていません。
それでも私を心配して、遠隔ヒーリングを施してくれているのです。
ちなみに彼女はヒーラーです。

今日、会った別の人は、高齢になると熱を出すエネルギーもなくなるので、熱の出ないインフルエンザかもしれないと心配してくれました。
みんないろいろと心配してくれますが、やはりこれも歳のせいでしょう。
あんまりうれしいことではありません。
その気になれば、今日あたりで風邪をやめて、回復宣言をするところでしたが、あんまりにも寒いのと、みんなが心配してくれるのでもう1日、風邪を続けることにしました。
そうしたらほんとに夕方また調子が悪くなってきてしまいました。
今日はお風呂もやめてもう寝ることにしました。
風呂に入った方が元気になりそうな気もするのですが、何やら今日も疲れました。

どこかで何かが違っている。
最近そんな気がしてなりません。
明日から2月です。

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■節子への挽歌4096:奇妙な1週間

節子
かなりしつこい風邪と一緒でした。
しつこいというか、とても奇妙な状況に置かれていたともいえます。
一言で言えば、脳の動きがどうも奇妙な感じだったのです。
いささか大げさに感じますが、脳の動きがつかまえどころがないような状況でした。
この間、いくつかのことをまとめる必要があったのですが、そのまとめのイメージが私の脳のどこかに浮かんでいるのです。
とても魅力的なイメージが脳の中に生まれてくるのです。
ところがそれが今ひとつ完成していない。
それを実際にまとめようとすると、そのイメージがどんどん遠のいていくのです。
熱のせいではないのです。
風邪でしたが熱はない。
それで結局、頭に浮かんでいた「解決の構図」は現実化できませんでした。
しかも悪いことに、その「幻の解決図」からなかなか自由になれないのです。
そんな「名答」などあるはずもないのに。
そんな「ないものを追いかえる状況」に陥っていたのです。
いささか荒っぽく言えば、現実と夢想の世界の間をさまよっていたような1週間でした。

もちろん時間的にはそうした「さまよい」の時間はわずかで、それと並行して、サロンもありましたし、畑作業もやりました。
寝ていたわけではなく、いろんな活動もしていました。
しかしどこかすっきりせずに、思考力はありませんでした。
本を読む気力もなければ、テレビを見る気も起きない。
実に怠惰な、あるいは無為な1週間を過ごしてしまいました。
まあこういうこともあるでしょう。

この状況をほぼ抜けたのは3日ほど前です。
3日ほど前から3日続けてよく眠りました。
毎日10時間近く寝ていました。
だからといって、すっきりしたわけでもなく、体調が良くなったわけでもありません。
相変わらず頭はうまく作動していません。
昨日はサロンのまとめをするのに苦労しました。
まとめている自分の脳とは別のところに、もっとうまいまとめのイメージが見えているような気がするのです。
それがどうしても自分のまとめの邪魔をしている。

武田さんが電話してきました。
あまりにいろんなことを受け入れるので、脳がパンクするのではないかと。
この2週間の奇妙な体験は、その警告なのかもしれません。

挽歌をまた書き出します。

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2019/01/30

■カフェサロン「ケアプランって知っていますか? マイケアプランが18年間言い続けてきた思い」報告

全国マイケアプラン・ネットワークは、介護保険のケアプランは自分で考えようという活動に取り組んでいる人たちのグループです。
介護保険発足当初から、制度的にも認められている「ケアプラン」の「自己作成」を提唱してきましたが、なかなか自己作成は広がりません。
行政やケアマネジャーのいう通りに「ケアプラン」をつくり、それに従ってしまう人が多いからです。
なぜなのか。
18年間活動を続けてきた島村さんのお話から、日本の福祉政策の実情や日本人の福祉に対する意識が見えてきます。
島村さんは、また「措置」の時代に戻ってきているような気さえするといいます。
お話を聞いて私の気分はちょっと重くなってしまいました。
なんとかしなければいけません。

そもそも「ケアプラン」の捉え方に問題があるのかもしれません。
介護の世界では、「ケアプラン」というと介護保険の利用計画のことですが、本来はもっと大きな意味で捉えられなければいけません。
それぞれの人本来のケアプラン(ライフプラン)があって、その一部を介護保険制度の利用で対処すると考えるべきでしょうが、なぜか日本では介護保険中心の「ケアプラン」発想が強いのです。
言い換えれば「制度に合わせたケアプラン」ということになりやすい。

島村さんがこうした活動に取り組む契機になったのは、お義父様の介護です。
まだ介護保険制度がなかった時代です。
島村さんは、活用できる地域資源を探しまくったそうです。
そして、地域にはケアに役立つさまざまな地域資源(たとえば、福祉制度はもちろん、病院や福祉施設からコンビニの配食制度やカラオケなどの施設まで)がたくさんあることに気づきます。
人のつながりも大切な地域資源でしょう。
そうした地域の制度・資源をとことん使って誰も犠牲にならない介護を目指したのです。

その後、介護保険制度ができたのですが、まさにそれは島村さんがお義父さんの時に求めていたものと一緒でした。
お義母さんの時の介護は、自らがケアプランを作成し、介護保険制度もうまく活用しての介護に取り組まれたそうです。
独自の工夫も取り込みました。
たとえば、40年間地域で暮らし、井戸端会議を日課としてきた義母の暮らしに合わせて、島村さんは自宅前にベンチを置き近所の人との井戸端会議の場とし、そこで義母流デイサービスを行っていたそうです。
大切なのは、その人らしい暮らしが続けられること。
介護制度の既存サービスになければ創り出せばいい。

しかし、自己選択・自己決定・自己負担という「利用者主体」の介護保険制度は、その後、その内容を進化させてきているのか。
どこか違うものになってきてしまったような気がします。
「ケアプラン」の主役となるはずの「利用者」が、制度のお客様になってしまっていることが、その一因かもしれません。
しかも、その制度は予算の関係で、内容が次第に制約されてきてしまっているのです。
「制度」の枠の中で「ケアプラン」を考えていれば、制度の規模縮小に伴って、ケアも次第に縮小されてしまうことになりかねない。
暮らしを中心に考えていかないと、そういうおかしなことが起こりうる。

介護保険制度は、ケアを支える仕組みの一部でしかないのです。
制度に依存するのではなく、制度を活かしていける自らのケアプラン意識を持つことが、介護保険制度を活かしていく上では不可欠です。
それがないと、「措置される福祉の受益者」に終わってしまいかねません。
制度をよくしていこうという視点は、そこからは生まれにくい。
福祉の実態もよくなっていかない。

自分で、ケアプランを立てることは、暮らしの棚卸作業だといいます。
そして、それに基づいて、自分らしい暮らし方を考えることこと、制度にあてはめられたケアプランではなく自分らしく生きるケアプランが実現できる。
みんながそうやって、自らのケアプランを真剣に考えていかなければ、日本の福祉は「昔のような「措置制度」に戻ってしまいかねない。

私が今回、一番強く感じたことは、そういう危機感でしたが、それに関して詳しく書きすぎてしまいました。

島村さんは、ケアプランの話はもちろん、「自己作成の方法」「マイケアプランを実践するためのヒント」などに関しても、わかりやすく説明してくれました。
実際にケアプランを自己作成してわかったことも、紹介してくれました。
ケアプランに関して、「目から鱗だった」と感想をくれた人もいます。

知っているようで、知らないケアプランに関しては、ぜひ多くの人に、介護に直面する前からきちんと知っておいてほしいと思います。
そうしたことは、全国マイケアプラン・ネットワークの講演会やワークショップにぜひ参加してほしいですし、もし何人かが集まって話を聞きたいといえば、島村さんたちのことですから、きっと話に来てくれるでしょう。
いやそのまえに、全国マイケアプラン・ネットワークのホームページを見てもらえば、たくさんの情報がありますし、ケアプランづくりを支援するツールも紹介されていますので、それを参照してください。
また、サロンの映像記録も後日公開する予定です。

ケアや福祉についてのとても大切な問題提起がたくさん込められていたサロンでした。
そして私たち一人ひとりの生き方への、重い問いかけもあったような気がします。
ほんのごく一部しか、島村さんのメッセージをお伝えできないのが残念です。


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2019/01/29

■カフェサロン「沖縄の辺野古県民投票を考える」報告

沖縄県民投票を材料にしたサロンは、5人の集まりになりました。
県民投票にしても、辺野古問題にしても、もっとたくさんの人が集まると期待していましたが、結局はいつもの常連のメンバーでした。
風邪気味で体調がよくなかったのですが、関心を持っている人があまりに少ないことを知って、一挙に風邪が悪化してしまった気がします。
以来、まだ立ち直れていません。
困ったものです。

沖縄住民投票に関しては、添付の新聞記事を読んでもらいそれに関しての意見交換をしたかったのですが、これもあんまり盛り上がりませんでした。
私の気になった点を紹介しておきます。

・投票すること自体への住民の不安が大きいことに問題の本質があるのではないか。
・考えていることで差別される社会の未熟さが相変わらず変わっていない。
・国と都道府県と基礎自治体という3つの政府の関係の複雑さに何かが隠されてしまっている。
・基地問題より「お金を福祉に回した方がよい」という民の福祉観への疑問。
・辺野古以外でもいろいろと基地をめぐる問題が起こっているが、それさえも分断されている。
・県民投票結果が無視されるということへのあきらめ(行政への不信感)。
・県民投票結果は工事に関して全く『影響はない』と言い切る政府官房長官の異常さ。
・生活と政治とは別物という政治観の広がり。
・この問題は沖縄だけではなく全国で国民投票すべきではないか。

それに合わせて、こうしたことから見えてくる「統治権」と「統治行為」の関係も問題提起させてもらいました。
しかしこれも不発に終わったので、これに関しては改めてサロンを開催したいと思います。
国民主権である以上、統治権と国民意思をしっかりとつなぐ仕組みがなければいけませんが、国民意思を代表することになっている「国会」には統治権はありません。
あるのは「立法権」です。
ではだれに統治権はあるのか。
そのあたりが見えなくなっているところに大きな問題がありますが、誰も大きな問題にしません。
最近は米軍こそがかつての天皇に代わっての統治者ではないかという話が出てきていますが、統治者が見えない状況での政治は気持ちがよくありません。
そろそろ「政治のパラダイム」を変えなくてはいけません。
しかし、統治者への関心は今回の参加者にはあまりありませんでした。

というわけで、今回のサロンは「不発」に終わりました。
体調を整えて、リベンジしたいと思っています。

ちなみ昨日また、辺野古では新たな埋め立てが始まりました。
辺野に新基地は多分完成しないでしょうが、残念なことに環境破壊は修復できません。
後悔はいつも先に立ちません。


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2019/01/28

■カフェサロン「人を大切にする経営とは」

個人と組織の関係をテーマにしたサロンは、坂本研究室で長年調査活動に関わっていた桝谷さんに「人を大切にする経営」をテーマにお話しいただきました。
桝谷さんの誠実さがあふれるようなサロンでした(この表現は参加者の杉本泰治さんの言葉です)。
桝谷さんは、3つの代表的な企業の話をしてくれた上で、「経営とは〈やり方〉ではなく〈あり方〉だ」といいます。
そして、「会社は、関わる全ての人の永遠の幸せを追求するためにある」というのです。

〈やり方〉ではなく〈あり方〉。
「人と会社」あるいは「人と人」の関わり方のなかにこそ、経営の本質が見えてくる。
小手先の技術ではなく、会社そのものの現実にこそ経営があらわれている、ということでしょう。
私もいくつかの会社の経営に関わらせてもらってきましたが、会社というのは、現場で働いている人たちの表情をしっかりとみていれば、ほぼすべてのことがわかります。
有価証券報告書などの資料や雑誌や新聞などの紹介記事からはなかなか見えてきません。

桝谷さんはまた〈需要〉と〈供給〉に関して興味ある指摘をしました。
ケインズ流にのっとった一般の経営の考え方では「企業の成長は貨幣的な裏付けのある〈有効需要〉」を獲得することを目指すが、いい会社の共通項は「〈供給〉を重視している」というのです。
つまり、顧客が欲しがるいい製品・いいサービスといった〈有効な供給〉を作り出せば顧客は必ず見つかるというのです。
この発想の違いを、改めてしっかりと考えることはとても大切のような気がします。

桝谷さんは、企業とは5つの業からなる生命体だといいます。
「環境適応業」「市場創造業」「幸せ創造業」「人財育成業」「社会貢献業」。
ちょっと未整理な気もしますが、いずれにしろ企業はさまざまな顔を思っています。
経済的機関であるととも、社会的機関・文化的機関であることは間違いない事実です。
少なくとも会社が生み出しているのは経済的な金銭利益だけではないことは大切な視点です。
そしてさらに言えば、多くの人間がそこで多くの時間を過ごす場でもあります。
そうした企業の持つ多義性をもっと重視していくことはますます大切になっていくはずです。

「新しい経営のモノサシ」につなげて、「人を大切にする経営学会」や「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」などの紹介の後、桝谷さんは「人を大切にする経営」を広めることは、人々の幸せを作り出し成熟した日本へ向かっていくための推進力になるはずだと締めくくりました。
いろんな意味で共感します。

ところで、「人を大切にする経営」とが話題になるのは、現在の会社経営においては人があまり大切にされていないことを示唆しているといってもいいでしょう。
さらにいえば、人を大切にしなくても成り立つ経営があるということです。
ほとんどの人はそんなことに疑問を持たないかもしれません。
しかし、組織の主役は常に人です。
人の力を活かしていくための制度が会社であるならば、経営の基本は本来、人を活かすということ、つまり〈大切〉にするということです。
実はこの問題は、「経営」とは何か「会社」とは何かにつながっていくのです。
今回は、そこまでは議論は進みませんでしたが、今回の桝谷さんのお話をベースに、そのパート2として、そのあたりの議論を深めるサロンしてみようかと思います。
話したい方がいたらご連絡ください。

今回のサロンも、桝谷さんと近藤さんの協力を得て、公開させてもらいうことにしました。
https://youtu.be/Etau9Pnvz5M

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2019/01/23

■節子への挽歌4095:意を決して湯島に出かけます

節子
まだ治りません。
熱は下がったのですが、どうも違和感が抜けないのです。
今日も午前中、寝室で寝ていました。

寝室からは空が見えます。
午前中は雲の多い空でした。
しかし次第に太陽が出てきて、明るい雰囲気が強まってきました。
なぜか「ハイジ」に出てくるクララを思い出しました。
こうして今も病室から空を見ている人がいるでしょう。
自分の不注意で風邪をひいてしまったことを反省します・
しかし、ちょっと不謹慎ではありますが、こうして昼間から風邪で寝込んでいる時間はとても貴重なのかもしれません。
元気な時には見えないことがたくさんなるからです。

昨日からまた抗癌治療を始めて友人から電話がありました。
来週見舞いに行くよと言われました。
見舞いに行くのと見舞いに来られるのとどちらがいいか。
私の考えでで、前者のほうがいい。
彼のために少し役だてたような気がします。
遠慮なく見舞いに来てもらおうと思いましが、私の風邪が治っているといいのですが。

今日は4人の人と会い、夜はサロンの予定でした。
前の3人は延期させてもらいましたが、この調子だと湯島に行けそうです。
最後の一組に会おうかと思います。

うまく歩けるといいのですが。
昨日はインフルエンザに罹っていた女性がホームでふらついて転落し死亡しました。
娘は危ないから今日は休めと言いますが、慎重に出かけましょう。
駅までの送り迎えを頼んだので、心配なのは湯島のあの急な階段です。
みんなの苦労がシェアできるので、これもいいことです。


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2019/01/22

■節子への挽歌4094:1日寝ていました

節子
今日は1日中寝ていました。
途中、娘家族がやってきましたが、風邪がうつるといけないので、孫は部屋に入らずに遠くからあいさつ。
孫は私のことを「おしゃむさん」と呼びます。
先日、上の娘とスーパーに行ったら、遠くから大きな声で「おしゃむしゃ~ん」という声がして、孫がとんできました。
でも今日は、風邪のために遠くからの声掛けでした。
いつもは自宅にいる時には携帯電話は持ち歩かないのですが、今日は、娘との連絡のために枕元に置いておきました。
そのため何回か電話に出ましたが、声がおかしいので、すぐに風邪だと伝わり、長電話はありませんでした。

節子は私が風邪をひくといろいろと面倒を見てくれました。
そのおかげで、今は娘が面倒を見てくれます。
当分頭が上がりません。

ちょっと気になるのは、身体の自由があまり聞かなくなっていることです。
起き上がるのにも苦労します。
急に筋力がなくなるというようなことはないでしょうが、寝ている状態から上半身起き上がるのに、1分近くかかるのです。
身体のありがたさなどあまり意識したことはありませんが、普段なんでもできていることができなくなると、大変です。

寝ていても退屈なので、テレビを移したら映像が映りません。
風邪にために私の電磁波が弱まっているからでしょうか。
それでアンテナを接続したのですが、やはり移りません。
私の身体もかなり老朽化してしまってきたようです。
1日、寝ていたぐらいではダメなようです。

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■節子への挽歌4093:風邪がかなり重症です

節子
風邪がかなり重症です。
というよりも、身体に力が入らずうまく歩けない。
猿の歩き方と似てきています。
昨日はうまく歩けずに廊下で倒れてしまい、会談に顔をぶつけてしまいました。
老化というのはこういうことなのでしょうか。
昼間は畑で土を耕していたんですが、困ったものです。

昨夜は7時に就寝、今朝はつい今しがたまで寝ていました。
熱は下がりましたが、だるさは変化なし。
昔からそうなのですが、私が一番苦手なのが「風邪」なのです。
心身の違和感がどうしようもなく、不快なのです。
痛みはある程度我慢できても、違和感はどうしようもない。

さて大事を取って、また寝ます。

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2019/01/21

■節子への挽歌4092:魂のかがやき

節子もしかしたら風邪かもしれません。
喉は相変わらずですが、なんだか全身がだるいのです。
それでテレビを見ることにしました。
テレビは友人が取り組んだ、ETV特集「ふたりの道行き「志村ふくみと石牟礼道子の“沖宮”」」です。
石牟礼道子さんの最期の作品の“沖宮”を演ずる主役の衣服を、石牟礼さんは志村ふくみさんに託していたのです。
石牟礼さんは最後に「生類」という言葉に行きつき、志村さんは鉱物に生命を見ていた。
最近の私の感覚と全く同じです。

最近のサロンで話題になったせいか、お2人がそれぞれに「魂」について思いを馳せるところがとりわけ印象的でした。
魂はどこにいるのか。

風邪で体調がかなりわるかったのですが、急に畑に行きたくなり、行ったら急に土を耕したくなってしまいました。
そのおかげ、お昼ごろには完全にダウン、熱も出てきて、死にそうなほどつらい感じになって、午後はずっと寝ていましたが、一向に良くなりません。

久しぶりに風邪をこじらせてしまいました。
困ったものです。
今週はかなりハードな日程なので、いささか心配です。
明日はなにがなんでも静養にしていようと思います。

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■節子への挽歌4091:「不幸」がなければ「幸せ」は見えてきません

節子
先日、インドのヴェーダ占星術をテーマにしたサロンを開きました。
ヴェーダといえば思い出すのが、アーユルヴェーダです。
節子のがんの状況をインドから来日したアーユルヴェーダの高名な脈診のドクターに診てもらいました。
残念ながら、その時の診立ては間違っていましたので、以来、私自身はアーユルヴェーダには懐疑的です。
しかし、だからといって、アーユルヴェーダを否定しているわけではありません。
どんなものにも間違いはあるからです。

ヴェーダそのものに関しては、昔はかなり本も読みましたが、あまり理解できていません。
ただ、日本語で「占星術」とか「魂」と言ってしまうと、やはり少し違和感が生じます。
私の関心は、かなり哲学的な側面なのです。
最近も、赤松明彦さんの「インド哲学10講」を読みましたが、理解しがたいところが多かったのですが、ヴェーダへの関心は高まっています。
ヴェーダはおそらくアブラハム系の啓示宗教にもつながっていると思いますが、古代ギリシアの哲学よりも私には理解しやすい気がします。

ところでそのサロンで、「魂」の存在が議論になりました。
節子との別れを体験した私には、議論するような問題ではなく、「魂」を前提にしなければ、思考が一歩も前に動き出さないのですが、魂の存在を前提にせずに生を生きている人がいるのがとても不思議です。
そういう人は、魂を何か『危ういもの』と考えているようで、昨日もそうした電話を受けて、いささか不快な思いをしてしまいました。
魂を語ることに強い拒否感があるようです。
そういう人こそ、救いが必要ではないかと思いますが、そもそもにおいてそういう人は「救い」など求めていません。
「不幸」のない人生、つまり言い換えれば「幸せ」のない人生を送ってきているのでしょう。
「不幸」がなければ「幸せ」は見えてきません。

インドには今もなお「カースト」の文化があります。
カーストも問題になりますが、あれもおそらくみんなが生きやすくなるための仕組みだったのでしょう。
おそらくたくさんの「不幸」と「幸せ」があったころに生まれた仕組みです。
「不幸」と「幸せ」は、悩ましい問題です。

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■節子への挽歌4090:喉がおかしい

節子
カラカラ天気が続いていて、ついに私ものどをやられてしまったようです。
一時は寝るときに加湿器を置いていたこともありますが、最近は何もやっていませんでした。
加齢とともに、感覚器の機能は弱まるのか、寒さも乾燥もあまり感じなくなるのかもしれません。
感覚は弱まるが、それと比例して、身体機能や免疫力も低下します。
だから前触れがなく、突然に機能障害がおこるのかもしれません。
今日、目覚めたらのどの調子が良くありません。
今までしばらくは心身不調でしたが、いよいよ身体不調になりそうで心配です。

今日は久しぶりに畑仕事をする予定でした。
昨日、野菜を覆って寒さから守るシートを買ってきたのですが、寒さや乾燥から守るべきは私だったかもしれません。
今日は風が寒いそうなので、どうしようか迷います。

加齢は、そのマイナス面が強調されますが、必ずしもマイナスだけではありません。
必ず良い面もある。
同じように、死でさえも、良い面があるはずです。
そういうことがこの歳になるとだんだんわかってくる。
いや、「わかってくる」のではなく、「感じてくる」。
認知症が悪者にされていますが、そういう風潮には異を唱えたくなる。

同じように、体調不良もきっと意味があるのです。
今日はちょっと静養しようと思います。
節子がいる時の静養は充実した時間でしたが、一人での静養は退屈でいささか苦行に近いのですが。

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2019/01/20

■節子への挽歌4089:言葉の暴力

節子
昨日は、節子も知っている西坂さんの「坊言」サロンをやりました。
お寺などの掲示板に書かれている言葉を材料にして、生き方をちょっと考えるサロンです。
たくさん集まるかと思いきや、私を入れて4人しか集まりませんでした。

ところがそのサロンに、思いがけない人が参加しました。
どうして参加されたのか戸惑いましたが、いろいろとあって元気になりたくて来たと、昨日は言っていました。
しかし、その人はいつも明るく元気ですし、これまであまりサロンには参加されたこともない方です。

その人が今朝、メールをくれました。

今日は、とても心が安らぎました。ありがとうございました。
(中略)言葉で傷つけられることが多いんです。
だから、それが嫌で切ってしまうところがあるようです。
反省。今日は伺って本当に良かったです。

この人は、いつも元気で明るい人ですが、その人から「言葉で傷つけられることが多い」と言われるとは思ってもいませんでした。
もしかしたら、私も同じようにみられ、同じように傷つけられているのかもしれないと思いました。
しかし、同時に、私もまた、誰かを言葉で傷つけているのでしょう。
節子がいたころは、何度も注意されましたが、今は私に注意してくれる人はいません。
注意しなければいけません。
今日も心当たることがありましたし。

私の言葉の暴力の一番の被害者は、節子かもしれません。
そして私のその欠点を正してくれたのは節子でした。
残念ながら、まだ欠点を正し切れてはいないのです。
注意しなければいけません。

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■節子への挽歌4088:友人といってもさまざまです

節子
抗ガン治療をしている友人と電話で話しました。
年が明けて一度お見舞いに行こうと思っていたのですが、自分自身があんまり調子が良くなく、その気になれず、電話で済ませてしまっています。
電話だと実際の状況は分からずに、むしろ私よりも彼のほうが元気そうでした。
節子のことを思い出しました。

かなり症状が悪化してきたころでも、節子の電話の声は明るくしっかりしていました。
電話に出ると、なぜか急に元気になるようで、声だけではなく身体からの生命力も変わるような気がしました。
そして電話が終わると、急に心身から生命力が失われたように、崩れ落ちるように横になるのです。
決して演技ではないのですが、生命の不思議を感じます。

私もそうで、湯島で人と会っている時はなぜか元気です。
もっとも最近は、そうでもない時もあるのですが、自分では疲れの意識はあまりないのです。
しかし自宅に着いた途端に、疲れがどっと出てきて、ソファーに座ったきり動きたくなくなることもあります。

人は他者からもらう「気」で生きているのかもしれません。
抗ガン治療している友人は、独り身で一人住まいです。
電話ではあまり「気」は遅れないかもしれませんが、ささやかには役立てているかもしれません。

彼は、私の小学校時代の同級生ですが、同じ同級生からメールで、一度、集まりをしてほしいと連絡がありました。
集まりを呼びかけるとこないくせに、少し間を置くと集まりをしてほしいといってくる。
実のところ、気は乗らないのですが、まあお互い、いつ終わるかもしれませんので、私の気が戻ってきたら、またみんなにも声をかけようと思います。

しかし同じ同級生でも、自然と会おうという気になる人と誘われても会おうという気にならない人がいます。
それは、性格の違いというよりも、たぶん「生き方」の違いです。
死を近く感ずると、それぞれの過去の生きざまが露呈されてきます。
私にも会いたい人と会いたくない人がいることでしょう。
今さら遅いでしょうが、最近そういうことがようやくはっきりとわかってきました。
葬儀にどれだけの人が集まってくれるか。
その意味で、節子は幸せな人でした。
私よりも、きっといい生き方をしていたのでしょう。

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■カフェサロン「坊言サロン」の報告

お寺の掲示板に書かれている「言葉」(それを西坂さんは「坊言」と命名しました)を話題にする「坊言サロン」は、意外なことに私を入れて4人のこじんまりしたサロンになりました。
しかし、そのおかげでいつもとは違って、じっくりと話し合えました(かなり脱線はしましたが)。
もう一つ意外だったのは、「坊言」メッセージを掲示しているお寺は多くないということです。
私も、自分の菩提寺も含めて、4つのお寺を回りましたが、メッセージを出していたお寺はありませんでした。

最初に西坂さんから、本で紹介された「坊言」を中心に、「坊言」を出したご住職の想いなどの紹介がありました。
またどうして西坂さんが「坊言」コレクションを始めたのか、そしてそこから何を感じたかなどのお話もしてもらいました。
「坊言」からお寺の実情や世相が見えてくるなどとは言いませんが、そうしたことを考える材料はいくつかあったように思います。

西坂さんによれば、人間関係に関する「坊言」が多いようですが、参加者が共感した「坊言」を2つ紹介します。

「一人でいると孤独感 二人でいると劣等感 三人でいると疎外感」
これは広島県福山市の光林寺の掲示物にあったものですが、実にうなづけます。

もう一つ、
「仲間を作ることは 必ず仲間外れを作ることであります(玉光順正)」
これは、本明寺(東京都墨田区)にあったものだそうですが、玉光順正さんの言葉のようです。

西坂さんのコレクションではありませんが、今回参加できなかった方から寄せられた「坊言」も話題になりました。
「隣のレジは早い」
遠州、森の自得院にあったものだそうです。

ほかにも、西坂さんからいろんな「坊言」のお話がありましたが、考えさせられるも、笑えてしまうものも、誤解しそうなものも、いろいろとありました。
キリスト教の教会にも、箴言が掲示されていることは多いですが、そうしたものに比べると実に人間的で、心にひびいてきます。
最近では、生活とお寺の距離は少し遠くなってしまいましたが、お寺と生活をつなぐとてもいいメディアのような気がしてきました。
昔は、こうしたお寺の「坊言」が、地域社会の住む人たちに大きな影響を与えていたのかもしれません。

最近のお寺は、こういうところに力を入れる余裕がなくなってきているのかもしれません。
でもせっかくの「屋外広告板」を活かしていないのはちょっともったいないなと思いました。

もしお近くで、ちょっと気になる「坊言」に出会ったら、坊言集「きみはそのままでいいんじゃないか」の著者の西坂さんにぜひ連絡してやってください。


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■これからの葬儀について考える検討会のご案内

今日はいつもとちょっと違う集まりのご案内です。
これまで何回か、湯島のサロンでは「死」や「葬儀」、「看取り」についてのサロンを開催してきました。
昨年は、長年そうした活動に取り組まれてきた僧侶でもある中下大樹さんに湯島でサロンをやってもらいましたが、中下さんから「死を消費する社会」から「死を活かす社会」に向けての新しい事業を起こしていきたいという相談がありました。
私も長年、誰もが気持ちよく暮らせる社会に向けての活動(コムケア活動)に取り組んできましたが、さまざまな問題の根っこには、社会のあり方や私たちの生き方の問題があり、そのさらに奥には死の捉え方があると思うようになってきていました。

そこで中下さんと一緒に、死を要にして生を考えていくような社会に向けての新しいプロジェクトを起こせないかとこの半年議論してきました。
そして、中下さんが現在実際に取り組んでいる「葬儀」事業に取り組みながら、実践的に構想を具現化していくことになりました。
葬儀といっても、これまでの延長上の葬儀ではなく、「死を活かす社会」を目指したお葬式のあり方や供養のあり方、さらには「幸せな死」を目指す生き方の支援も意識しながら、新しい葬送文化を創り出すようなことを考えています。
しかし一挙には飛べないので、現実的な葬儀にも取り組みながら、いろんな人たちの知恵や思いも踏まえながら、ゆっくりと進めていこうと思っています。

しかし2人だけで考えていてもなかなか前には進めません。
それに、新しい葬送文化を構想する以上、できるだけさまざまな視点を取り込んでいかねばいけません。
そこで現在の段階で私たちが行きついた事業構想をお話しさせていただき、それをベースに、みなさんから、ご意見をいただき、実際の葬儀にも取り組みながら、思いをご一緒できるみなさんと一緒に、実践を積み重ねながら構想を形にしていくという方法をとることにしました。
私たちの思いはまだ十分に練られているわけではありませんが、構想が「絵に描いた餅」にならないように、ともかく一歩踏み出そうと決意した次第です。

そんなわけで、下記の通り、2月1日(金曜日)の午後と夜の2回にわたり、私たちの事業構想を材料にした「これからの葬儀」について自由に話し合う会を企画いたしました。
自分はこんな葬儀をしたいとか、死に向けてこんな生き方をしたい、あるいは遺された者として、こんなことがあったらいいと思っている、など、いろんなお話もお聞きできればと思っています。

もしご関心を持っていただけるようであれば、いずれかの回にご参加いただければと思います。 

〇日時:2019年2月1日(金曜日)午後2時~4時/6時半~8時半
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○進め方
最初に私たちから30分ほど話をさせていただき、それを踏まえて参加者のみなさんからご意見をいただき話し合えればと思っています。
〇主催:有限会社コムケアセンター(中下大樹・佐藤修)
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2019/01/19

■節子への挽歌4087:存在していない人とのコミュニケーション

節子
今日は5時半に起きました。
少しずつ生活のリズムを戻していこうと思います。
といっても、この季節、5時はまだ真っ暗です。
私の小さな書斎兼仕事場でパソコンに向かいましたが、寒くて手が凍えそうです。
しかしそのうち、慣れるでしょう。

最近、実は酢玉ねぎを少しサボっていて、食べていません。
そのせいか、なんだか血圧が高いような気がすることが時々あります。
何となく違和感があり、後頭部がもやもやするのです。
冬は血圧を測るのも面倒なので、図ってはいないのですが、注意しなければいけません。
まあしかし、生命体は壊れる時には壊れるものです。
パソコンでそれを何回も体験しています。
生命体とパソコンは違うといわれそうですが、まあ同じようなものでしょう。

先日のヴェーダのサロンで、話し合いの途中で、ついうっかりと「私はこの部屋の蛍光灯とも話せます」と言ってしまいました。
人とは話し合えるが物とは話し合えないというような発言につい反応してしまったのです。
それを聞いていた参加者の中には、この人はちょっと危ういなと腰が引けた人がいるかもしれません。
しかし、私が言いたかったのは、人でも想いを分かち合うことは難しい、物と想いを分かち合うのとそう違わないということを伝えたかったのです。
そもそも個別の想いを分かち合うことなどできないのです。
逆に言えば、他者である人と分かち合えると思えるような程度であれば、自然や人間が作った造作物とでも通い合えると私は思っています。

今朝は起きる前にそんなことを思い出しながら、節子とは果たして「想いをシェア」していたかとちょっと考えてみました。
たぶんシェアしてはいなかった。
しかし、思いをシェアすることが不要な関係というのもあるのかもしれません。
そんなこんなで、今朝は少し節子とコミュニケーションした気がします。
節子は現世には存在していませんが、存在していない人とのコミュニケーションもできる。
とすれば、目の前にある機械や蛍光灯とのコミュニケーションなど、いとも簡単なことかもしれません。

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2019/01/18

■カフェサロン「対話で感得するインド占星術」の報告

ヴェーダ占星術師のKishori(千葉和江)さんにお願いした「インド占星術」のサロンを、2回にわたって開催してもらいましたが、合計で25人を超える参加者がありました。
インド占星術への関心の高さに驚きました。
私はいずれにも参加しましたが、全く違った雰囲気のサロンになりました。
もちろん基本となるヴェーダの話は共通していましたが、参加者と一緒に場を創り出すというKishoriさんのおかげで、私にはまったくと言っていいほど違ったサロンでした。

1回目のサロンでは、ヴェーダそのものに関する疑問から始まったために、なかなかヴェーダの中身にはたどりつけませんでしたが、Kishoriさんによれば、それもまた必然的なことだったのかもしれません。
参加者のおひとりも同じような感想を送ってきてくれました。
2回目のサロンでは、ヴェーダの内容を中心に、魂の精神世界と心身の物質世界を分けて、とても具体的に、ヴェーダの世界観や死生観を話してくれました。
2回目のサロンでも終了後、Kishoriさんのセッションに以前から参加されている方が、Kishoriさんと参加者とのやり取りで理解が深まったといってくださいましたが、話し合うことの大切さを改めて感じさせてもらいました。

いずれの回でも、Kishoriさんはヴェーダとは「生きる知恵」「人類の操作マニュアルのようなもの」と最初に話されました。
大きな違いは、2回目は、最初にヴェーダの聖典の一つのサンスクリット版の「バガヴァッド・ギータ」の一節をKishoriさんが朗誦することから始めたことです。
その朗誦で、場の雰囲気が変わりました。
ヴェーダの前提には、魂の存在がありますが、「魂」の話も素直に聞ける状況が生まれたのです。
音(波動)の持つ大きな力を感じました。

Kishoriさんのお話をきわめて簡単にまとめると、私たちは、宇宙に遍満する「大きな魂」から生まれた「小さな魂」が、心と体という衣服を装った存在であり、それが故に、「間違い」や「幻想」から自由になれず、他者をだます傾向を持ち、感覚も不安定になってしまう、そこから解放されるための知恵がヴェーダにはある、というのです。
私の勝手な要約ですので、いささかの不正確さはお許しください。

ヴェーダの世界では、人の根源のことを知りたかったらヴェーダに聞け、という言葉もあるそうです。
どうしたら生きやすくなるか。
そこから、カルマ(因果)や輪廻、集合意識や阿頼耶識、死の意味、人の成長(人間存在の4段階)、徳と愛などの話題も出ました。
もちろん占星術、ホロスコープの話も出ました。

中途半端な報告は誤解を招きそうなので、私からの報告はこれでやめますが、Kishoriさんはご自分でのセッションも開いていますので、ヴェーダやホロスコープに関心のある方はKishoriさんにアクセスしてください。
Kishoriさんのフェイスブックは次にあります。
https://www.facebook.com/kishori.dasijapan

湯島のサロンでは、アーユルヴェーダのお話をしてもらったことがありますが、ヴェーダそのもののサロンは初めてです。
ヴェーダは宗教的な側面と哲学的な側面を持っていますが、哲学というと私たちはついつい古代ギリシアを思い出します。
しかし、インドのヴェーダには、神話的な人間的要素があって、それよりも古層の哲学を感じます。
死や生を考える、いろんな材料があったような気がします。

Kishoriさんは、とてもいいサロンだったので、また話をしたいとおっしゃってくれました。
ヴェーダ占星術師のKishoriさんの使命は、大きな魂(バガヴァン/クリシュナ)の知恵を多くの人に広げていくことなのだそうです。
そして他者にできるだけ喜んでもらう。
Kishoriさんは、毎回、手づくりのお菓子を参加者のために持ってきてくださいました。
そしてどんなぶしつけな質問にも、笑みを絶やさずに、応じてくれました。
毎年、3か月ほど、インドの聖地ヴリンダーヴァンで、魂を浄化しているからでしょうか。
私は、そこにヴェーダの本質を感じました。

機会があれ、またヴェーダサロンをお願いしようと思います。
Kishoriさんに叱られそうな報告で済みません。


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■節子への挽歌4086:すべての因果は逆向きにも働いている

節子
年末にパソコンがクラッシュしてしまい、これまでのデータの一部がなくなってしまいました。
そのため、この挽歌の正確な番号がわからなくなってしまいました。
挽歌の番号は、節子がいなくなった日からの日数を表示していますが、それがわからなくなってしまったということです。
しかも、年末年始は、どうも気が萎えすぎてしまっていて、挽歌を書けない日が続いたので、番号はかなり遅れているはずです。
もちろん計算すれば正しい数字はわかるのですが、実は昨年後半の数字はそもそもが2つくらいずれています。
それを修正しようと思い、かなり根を詰めて単純作業を繰り返しやっていたら、パソコンが動かなくなったのですが、パソコンが壊れたのももしかしたら、節子の働きかけかもしれません。
節子は私のパソコン作業が好きではなかったですから。

ざっと計算してみると、どうも今日は節子が逝ってしまった日から4154日のようです。
とすれば、挽歌の番号とは70近くずれてしまっています。
2か月以上、書かなかった必要があるということです。
昨年12回目の命日までは番号は基本的にあっていましたから、この5か月は、半分くらい、書かなかったというわけです。
困ったものですが、私の生活の乱れがわかります。
挽歌を書けば、乱れていないというわけではありませんが、挽歌を書くことで生活のリズムを維持することにはなっていました。
戦略活が乱れていたから挽歌が書けていないのではなく、挽歌を書かなかったがゆえに生活が、あるいは意識が乱れてしまっているといってもいいでしょう。
すべての因果は逆向きにも働いている。
これは、私が最近特に痛感することです。

因果関係をこう考えると、生き方もまた変えやすくなります。
さて「いい果」に出会うために、「いい因」をつくらなければいけません。
今日は体調があまり良くないのですが、まあ「いい因」くらいはつくれるでしょう。
今日はとても気持ちのいい快晴です。
外も、私の書斎も、とても寒いですが。

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■節子への挽歌4085:ヴェーダのマントラ

節子
昨日は湯島で、ヴェーダ占星術師のキショーリさんに「ヴェーダ」のサロンをやってもらいました。
先週についでの2回目のサロンでしたが、前回とは全く雰囲気の違うサロンになりました。
もしかしたら、本当に、もしかしたらなのですが、今回は話の初めに、キショーリさんが「バガヴァッド・ギータ」の一節をサンスクリット語で朗誦したからかもしれません。
ヴェーダでも、最初に言葉ありと考えるそうで、人間の五感はまず耳からだとキショーリさんは言いましたが、音の響きは生命につながっているようです。
「音」を「観る」という『観音』という表現に何か大きなものを感じ続けてきていますが、たぶん「音」は見えるのでしょう。
最初に光ありという考えよりも、私にはなじめます。

ヴェーダに関しては、私は、言葉や文字であらわす以上に、もっと深くて大きなものを感じているので、具体的な話を聞くとついつい違和感をもってしまうのですが、今回もやはり「解脱」というか、カルマから抜け出すということにやはり価値を見出せませんでした。
どうも私は、如来よりも菩薩、菩薩よりも悪人のほうが向いているのかもしれません。

最後にまた、キショーリさんはヴェーダのマントラを紹介してくれ、みんなで一緒にそれを唱えさせてくれました。
たぶんインドの聖地で、このマントラを唱えたら違ったものになるのだろうと思いながら、私も唱えてみました。
キショーリさんの表情は明らかに違っていました。

私もいつか心身に宿るようなマントラに出会えるといいのですが。
今回は、言葉の限界というか危うさを強く実感しました。
やはり「言葉」を通してではなく、大きな耳である心身を通して、魂の世界を「観たく」なってきました。

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2019/01/17

■節子への挽歌4084:何かがのしかかっている感じ

節子
いろいろな問題はそれなりに解決し、前に向かおうと思う気は高まっているのですが、どうも朝起きても頭がすっきりしない。
何かが私自身に覆いかぶさってきている気がしてなりません。
こういう状況がもう数か月続いています。
救いがほしいです。
覆いかぶさっているものがなんだかまったくわかりません。
でも何かが気になっていてすっきりしない。
動き出せば、そうしたこともあまり気にならずに忘れられるのですが、一人になると心身がとても重い気がします。
困ったものです。

昨日は金田さんから電話がありました。
昨年は、奥さんともども体調が悪く、節子に供えるチューリップを送れなかったが、今年は奥さんからも送るようにと言われているという電話です。
奥さんの状況も快方に向かっているようで、安堵します。
金田さん自身も少し元気が回復したようです。
誰かと話すと元気が出ることもある。
そんなときの話し相手になれることがうれしいですが、時に私も元気をもらいたいこともあります。
残念ながら、今の私にはそういう人は見つかりません。
あまりに深く節子に依存してしまっているからかもしれません。

以前であれば、節子に話すことで、自分が背負ってしまった重荷を放すことができた。
いまは、その「放し方」がわからなくなってきているのです。
そして、放したつもりが、逆にさらに新しい重荷を背負ってしまうこともある。
若いときには、重荷が多ければ多いほど、力が出てきた。
今はどうもそうではないのに、なぜか重荷を背負ってしまう。
節子はいつも笑っていましたが、その生き方からどうも抜け出られない。

しかし行動を起こしていけば、私を覆っているなにかもきっと消えていくでしょう。
今は心身が弱っているので、ちょっとしたことが心を傷つけてしまうような気がします。
そこから抜け出すには行動しかない。

今日は湯島でサロンです。
テーマは前回に続いてヴェーダです。
なんと15人を超える参加申し込みがありました。
こころやすまるサロンになるといいのですが。

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■「人間の成長」とは「新たな働きかけをする人へ自分自身が変わること」

昨年末、長年の友人の経営コンサルタント荻阪哲雄さんが湯島に来たのですが、その時に、昨年出版された新著『成長が「速い人」「遅い人」』を持ってきてくれました。
荻阪さんは、プロセス・コンサルティングの視点で、長年、組織開発に取り組んでいる、論理的な熱血漢のプロフェッショナルです。
これまでも何冊かの経営関係の書籍を出版していますが、その主張は、ご自身の実体験に基づいていますので、いずれも具体的かつ実践的です。
その荻阪さんが、「個人」の働き方支援に重点を置いてまとめたのが、本書です。
組織開発の出発点である個人の成長を支援しようというのが今回のテーマです。

荻阪さんは、「人間の成長」とは「新たな働きかけをする人へ自分自身が変わること」だと捉えています。
私にはとても共感できる捉え方です。
この捉え方に、荻阪さんの経営思想やコンサルティング理念が凝縮されています。
新たな働きかけをする人たちの集まった組織は、放っておいても生き生きと動き出す。
それこそが、荻阪さんの考える、個人を起点とした組織開発のポイントです。

しかし、実際には、新しい「働きかけ」をすることはそう簡単なことではありません。
組織の中にいると、さまざまな呪縛が「働きかける」ことの足かせになってしまうからです。
それを荻阪さんは「7つの悩み」にまとめています。

その悩みを解いてやるにはどうすればいいか。
それが本書で提唱されている「飛躍の7力(ななりき)」モデルという人間成長法です。
さまざまな現場で、さまざまな人たちと長年接してきた荻阪さんの体験知を体系化し、誰もが自分に合った「気づける力」を高める取り組みができるようにしたのが、このモデルです。

「飛躍の7力」とは、熱望力、実験力、修業力、結果力、体験力、盟友力、好転力です。耳新しい言葉もありますが、大切なことは、これらの7つの力が、相互に活かしあう関係でつながり、全体として循環している仕組みに気づくことです。
その仕組みを踏まえて、自分の得意な「力」から入っていけば、自然と無理なく、「飛躍の7力」を会得し、人間力が高まっていく。
本書では、その7つの力を高めていく方法が実践的に説明されています。
詳しい内容は本書をお読みください。

「飛躍の7力」モデルの出発点は「熱望力」になっています。
「熱望力」とは、「惹く力」だと荻阪さんはいいます。
仕事を通して、強く望んでいる「想い」や「感情」、それがさまざまなものを惹き付け、自らもまた惹き付けられていく、これこそが成長するための出発点だと。
いわゆる「志」といってもいいかもしれません。

しかし、「想い」は自らの中にあるだけでは大きくは膨らんでいきません。
「飛躍の7力」モデルの7番目は「好転力」。
「好転力」は、自らの目の前にある現実をよくする力だと荻阪さんは言います。
人は自らが置かれた環境の中で、他者と関わりながら、現実を生きている。
同時に、自らの存在や生き方が、環境をつくりだしていく。
自分と環境(他者)は、一体であり、共進化関係にある。
つまり、自らの想いが現実をよくしていくことで自らが成長し、環境(会社)は成長していく。
それこそが、個人を起点にした組織開発であり、継続していく生きた組織づくりだというわけです。
「熱望力」から「好転力」に向けての「飛躍の7力」がどうつながり、どう循環していくかは、本書を読んでじっくりとお考えください。

本書はビジネスマンに向けて書かれた本ですが、会社の中での生き方にとどまるものではありません。
この「飛躍の7力」モデルは、生きる上でも大きな示唆を与えてくれます。
個人を起点とする社会や組織にしていくことを課題にしている私には、とても示唆に富む本です。
企業人にはもちろん、社会を豊かにしていきたいと思っている人にも、お勧めします。

もし本書を読んでもう少し議論を深めたいという方が複数いらっしゃったら、荻阪さんもお呼びして、読書会的サロンを企画します。
本を読まれて、関心を持たれた方は私にご連絡ください。

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2019/01/16

■節子への挽歌4083:死や別れの学び

節子
昨年のある出会いがきっかけで、今年は「葬儀」の問題を考えることになりました。
すべての出会いには、必ず意味があります。
私が節子に出会ったのも、意味があったのですから。

その関係で、昨日と今日とで「死」にかかわる本を3冊読みました。
2冊は看護師の書いたもので、そこにはさまざまな死の事例が語られていました。
それぞれに深いメッセージを感じられるものですが、やはり実際に伴侶をみとった立場からすれば、いささか淡泊すぎる気がします。
というよりも、観察的な死の語り口にはいささかの違和感さえもちましたが、その一方で、節子との別れの前にこれを読んでいたら、どうだっただろうかとも思います。
よかったのか、よくなかったのか。
これは微妙な問題です。

2冊を読み終えたときには、こういう話を多くの人に読んでもらっておいたら、死を迎えるための準備ができて、後悔することが少なくなるだろうと思いました。
私にも、それが当てはまったなとも感じました。
しかし、少しして、ちょっと違うかなと思いだしました。
あまり死の事例を読んでしまうと、気分らしい「別れ」ができなくなる恐れもある。
死や別れはあくまでの一回性のものでるならば、準備をしたりせずに、むしろ「おろおろ」して、あとで後悔するような慌てぶりや失敗があってこそ、いいのではないか。
そんな気もしてきました。

新しい葬儀活動を一緒に考えている友人から、喪主をやったことのある佐藤さんはどんな葬儀がいいと思っているのか、と問われているのですが、考えれば考えるほど、答えが遠のく気がしています。
節子との別れや葬儀をもう一度、やり直せるとしたら、どうするか。
今考えると、やはり私が体験した、自分を見失って、不満の多かった、あの葬儀は、もしかしたら一番良かったのではないかという気さえしてきます。
なぜなら、不満やミスは多かったですが、私としては精いっぱいに節子を見送ることができたからです。
何よりも、おかしな言い方ですが、節子と一緒に、葬儀を執り行った気がするのです。
ほとんど実現できませんでしたが、私なりの私たちスタイルを目指しました。

これは両親の時とは全く違います。
その違いはなんなのか。
これは、「葬儀」の問題ではなく、「伴侶」の問題かもしれません。
ちなみに、「伴侶」は必ずしも夫婦の相手というわけではありません。

本の話に戻れば、たくさんの死や別れのエピソードのなかには、夫や妻の死の話はありましたが、「伴侶の死」ということを実感できた事例は残念ながら私にはありませんでした。
「伴侶の死」は、「自らの死」でもある。
私の体験がいささか特殊なのでしょうか。
これはもう少し考えてみたいと思います。

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2019/01/15

■節子への挽歌4083:現川焼

節子
テレビをなんとなく見ていたら、長崎の「現川焼」が取り上げられていました。
25年ほど前、佐世保の三川内焼の窯元たちと一緒に、ささやかな活動に取り組ん無ために、毎月通っていたのを思い出しました。
現川焼は江戸時代に一時期話題になった焼き物ですが、その後、焼き方がわからなくなり、「幻の現川焼」と言われていましたが、佐世保の三川内の窯元の第12代横石臥牛さんが再興したのです。
私がお会いしたのは、13代目の臥牛さんですが、私が関わらせてもらった世代よりは少し世代が上だったので、一度、臥牛窯を見せてもらってお話を聞いただけでした。
私自身は、三川内焼にかかわりながらも、当時はあまり磁器に興味が持てなかったのですが、現川焼には興味を感じました。
臥牛さんがコーヒーカップを一つくださったのが今も残っています。

私と違って、節子は陶磁器が好きでした。
近くの陶磁器展にも何回かつき合いましたが、いつもいろんな陶磁器を買ってきていたので、我が家の当時の食卓は今と違ってにぎやかでした。

当時は、出張に節子と一緒ということはほとんどありませんでしたので、節子は三川内にはついに行けずに終わりました。
長崎では、これ以外にもいくつかの仕事をさせてもらいましたが、一度だけ、節子と佐世保を訪問しました。
その時は三川内には行かずに、ハウステンボスに行ってしまいました。
長崎の友人たちが予定を組んでくれたのですが、節子の好みとしては、ハウステンボスよりも三川内だったかもしれません。

節子のがんが発見されたのは、私自身が仕事中心の生活をやめると決めた、まさにその年でした。
もし節子が元気だったら、佐世保や山形など、行くはずのところがいくつかありました。
伊勢もそうです。
しかし、節子の闘病が始まったこともあり、遠出は難しくなりました。
今となっては、なんで仕事で足しげく通っていた時に、節子と一緒に行かなかったか、悔やまれます。
節子と一緒でなかったので、私も原則として、仕事で通っても、あえて観光地的なところには足を延ばしませんでした。
私が行きたいところであればあるほど、一人ではいかずに残しておいたのです。
節子がいなくなってしまったので、とうとう行けずに終わったところがいくつかあります。

現川焼の窯元は今は14代になっているようで、テレビに登場した人は私がお会いした人ではありませんでしたが、とても懐かしい気持ちです。
明日から、臥牛さんにいただいた現川焼のカップでコーヒーを飲むことにしました。

節子と一緒に行かなかったところの思い出にまで、いつも節子が出てきます。

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■節子への挽歌4082:今度こそ挽歌を書き出します

節子
なかなか挽歌がかけずにいます。
それでも毎朝、節子には灯明と線香をあげて般若心経をあげていますので、まあ許してもらえるでしょう。
しかしなぜかこの1か月、どうにも気が動かないのです。
頭は動いているし、心も動いているのですが。

先日、ヴェーダのサロンをしたときに、魂と心の話が出ましたが、まさに魂と心は別であることを実感しています。
あんまり疲れるようなことをしていないのに、なぜか疲労感があって、床暖房のあるリビングに座ってしまうともう動けない、いや動きたくなくなってしまいます。
ついつい「なんでこんなに疲れているのだろう」などと口に出してしまうほどです。

考えられる理由は一つ。
心身を置いて、魂がどこかで活動しているということです。
もしかしたら、亜空間をさまよってきているのかもしれません。
そのせいか、最近、言葉では説明できないのですが、世界や自分の人生の見え方がちょっと変わってきているような気が何となくしているのです。
そんな気がするというだけの話なのですが。
しかし、笑われそうですが、もしかしたら、私は単なる電磁波が起こした現象なのではないかという気さえする。
つまり私のすべての体験は、生命体ではなく生命現象は、電磁波の現象のひとつでしかない。
そうなると、節子はいったいなんだったのだろうかとさえ、思ってしまうこともある。

それはともかく、挽歌や時評編のブログを再開します。
読書も開始し、人生も再開です。

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■ようやく復活

年末年始と思ってもいなかったことが続発で、かなり滅入っていました。
まだ立ち直れてはいないのですが、何とか心身が動き出せそうになってきました。

問題のひとつは、パソコンがほぼすべて壊れてしまったことです。
自宅のもオフィスのも、娘から借りたパソコンも。
さらに自宅のテレビとDVDがおかしくなりました。
もしかしたら私自身の電磁波システムが変調をきたしたのかもしれません。

まあ以前からテレビのアンテナをつなげなくても、私がいるとテレビが映ったりしていましたし、臨時に借りていたパソコンがパスワードでロックされていたのに、パスワードなしで入り込めたり、まあ電磁波がおかしく動いていることがありました。

最近、私自身、もしかしたら単なる電磁波体(つまりアンドロイド)ではないかなどと思うようになっているのですが、それが変調をきたしだしているわけです。
困ったものです。

まあそんなことはどうでもいいのですが、そんなわけでこの1か月、私が発するメールやネット投稿は「乱調」気味だったかもしれません。
ブログもあまりかけず、ホームページはかなりおかしくなってしまっていました。

幸いに今日から私の電磁波体も少し回復してきました。
今日と明日でたぶん正常に復帰します。
パソコンも友人のおかげで治りましたし、ブログも今日から復活します。

そんなわけで、遅くなりましたが、今年もよろしくお願いします。
この1か月の亜空間への旅は、私の考えをまた少し変えてくれました。
今度お会いした時には、またちょっと変わった私になっているかもしれません。

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■カフェサロン「留学生の目からの来日前の日本、来日後の日本」の案内

湯島のサロンの常連メンバーの太田篤さんは、日本への留学生の支援活動をされています。
そこで、太田さんにお願いして、日本に来ている留学生のみなさんが日本をどう感じているかを話題にしたサロンを開いてもらうことにしました。
太田さんが、2人の留学生に頼んでくれました。
温さん(韓国)とラッセルさん(スリランカ)です。
お2人には、日本に来る前の日本像と実際に来日して実感した日本の印象を話してもらうことにしました。
加えて、たくさんの留学生たちと長年触れ合ってきている太田さんには、受け入れ側の日本と留学生たちが、この数十年、どう変わってきているかを話してもらおうと思います。

私も25年近く前に、私費留学してきた人たちの交流サロンを湯島でやっていました。
留学生から聞く話は、意外なものが多かったのですが、一番驚いたのはせっかく日本に来たにもかかわらず日本が嫌いになって帰国する人が多いということでした。

異質な人との交流の中で、自らの見えなかった面が見えてくることは少なくありません。
日本の中で暮らしている私たちには気付いていないことを、違った社会で育ってきた人たちの体験から、気づかせてもらえるだろうと思います。

どんな話題が出てくるか、とても興味があります。
自分自身の生きている社会はどんな社会なのかを、ちょっと意識するサロンになればと思っています。
みなさんのご参加をお待ちします。

〇日時:2019年2月16日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「留学生の目からの来日前の日本、来日後の日本」
〇話題提供:温ビチャンさん(韓国)とJ.ラッセル(スリランカ)と太田篤さん
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2019/01/13

■インド占星術の第1回目のサロンを開催しました

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昨日、ヴェーダ占星術師のKazue Kishori Chibaさんにお願いしたインド占星術の第1回目のサロンを開催しました。
ヴェーダはインド古来の知恵ですが、Kishoriさんは「生きる知恵」だと話してくれました。
「占星術」というと「占い」のような感じがしますが、「生きる知恵」が身につけば、過去も未来も見えてくるのがヴェーダの知恵なのかもしれません。
今回は、そうした「知恵」と「知識」の混同が参加者の中にあって、本論に入る前の質疑応答が少し多すぎてしまったのが残念でしたが、それでも多くのことを気づかせてもらえました。
このサロンのために、わざわざ富山から出てきた人もいて、その人は終わった後、来てよかったと言ってくれました。

1月17日(14時~16時)に第2回目を開催します。
ヴェーダ占星術を知りたいという方は是非ご参加ください。
1回目に参加した方も参加されなかった方も、いずれも歓迎です。
単なる知識だけではなく、インドの聖地ブリンダーヴァンで1年の1/4を過ごしているKishoriさんの人柄に触れるだけでも、ヴェーダを感じられるかもしれません。

サロンの内容の報告は、2回目が終わった後、まとめて報告させてもらいます。

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2019/01/12

■カフェサロン「沖縄の辺野古県民投票を考える」のご案内

久しぶりにリンカーンクラブサロンを開催します。
テーマは、いま話題になっている沖縄県民投票を材料に、国民投票について考えたいと思います。
あわせて辺野古の問題もちょっとだけ、考えられればと思います。

リンカーンクラブは、できるだけ国民一人ひとりの意見が政治に反映する仕組みを目指しています。
そのためには、制度に期待するだけではなく、私たち一人ひとりが、政治に対する関心を高め、自らの意見をしっかり持って、できることに取り組んでいくことが大切です。
リンカーンクラブサロンは、そうした場のひとつのしたいと思っています。

今回の沖縄の住民投票は、さまざまな問題を示唆しています。
最近の新聞記事によれば、沖縄県の一部の自治体の首長は県民投票には協力しないことを明言していますが、住民も必ずしもみんな賛成ではないようです。
ある人は、「県民の分断を深める」県民投票には懐疑的だと言っています。
知人同士でも、酒が入ると言い合いになることがあり、「(投票すれば)本音だけがむき出しになり、県民がいがみ合う。こんな苦しみはうんざりだと言っている人もいるそうです。
私自身は、そうした発言そのものに大きな違和感がありますが。

県民投票をやるためには5億円以上もかかると言われていますが、菅官房長官は投票結果が工事に与える影響は「まったくない」と明言しており、政府が工事を止めることはないと思うと諦めている人もいて、「それなら、お金を福祉に回した方がいい。仮に投票が実施されても、行くつもりはない」という人もいると報道されています。
こうした考えにも、私は本末転倒を感じます。

さらに実際に県民投票をやるとなれば、実務は基礎自治体である市町村が担うことになりますが、そこで果たして公正な投票が行われるかどうかもわかりません。
こんなことを話し合いながら、国民投票(住民投票)というものを通して、「政治」について考えるサロンにできればと思っています。

政治こそ、私たちの生活を支える基盤です。
辺野古にも国民投票にも、まったく関心も知識ももっていなかった人も含めて、いろんな立場の人に気楽に参加してほしいと思っています。
私たち一人ひとりが変わらなければ、日本の政治も社会も変わっていかないのですから。

誰もが気楽に話し合えるサロンですので、どうぞ気楽にご参加ください。

〇日時:2019年1月26日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「沖縄の辺野古県民投票を考える」
辺野古基地に関する沖縄県民投票の住民や自治体の反応を材料に民主主義とは何かを考える。
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)


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2019/01/11

■徴用工訴訟問題で思うこと

徴用工訴訟問題がまた日韓関係を悪くしています。
この問題に関しては、いろんな意見や解決策はあるでしょうが、私にとっての関心は、「国家主権」と「三権分立」の問題です。

組織(社会)を統治するためには、最終的に責任をとるべき1点がなければいけません。
三権分立体制では、統治はできません。
三方三すくみになるからです。
組織活動を少しでもやったことのある人なら、そんなことは常識です。
統治には、主権を総括する立場が不可欠です。
最終的な意思決定は一つでなければいけません。
三権分立は統治概念ではなく、統治権力の運用のためのサブ概念です。

となると、三権の上にある統治権が問題になります。
三権分立概念によって、巧みに隠されている統治権を可視化するうえで、今回の韓国政府の対応は示唆に富んでいます。
いや、示唆に富むというよりも、隠されたヴェールをはがしてくれる契機というべきでしょうか。

日本の場合は、有名な砂川判決で、田中最高裁長官が、あまりにもお粗末に「日本版統治行為論」を論じました。
つまり、日本の統治権は米国にあることを露呈させたのです。
にもかかわらず日本では三権分立論から議論を進めることは、政治学者も憲法学者も取り組みませんでした。
そしていま、安倍首相が、司法や立法を超えた行政の長として自らを位置づけています。

三権分立議論で、時々、第4の権力存在(たとえば情報権)を提唱する人がいます。
それはそれでいいですが、問題はそこにあるわけではありません。
統治にとって一番大切なものは、「教育(情報と言語)」と「通貨(経済)」と「暴力」です。
それらはいずれも三権の下位概念に位置付けられていますが、私たちが三権分立が日本の最高の権力だと思い込んでいる(つまり統治権力の姿を機にしないでいる)のは教育と言語の結果であり、日々の行動は「通貨」と「暴力」の無意識な「意識」に呪縛されています。

そんなことを、私は文在寅大統領の記者会見で感じました。

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2019/01/06

■「タネと内臓」(吉田太郎 築地書館 1600円)をお勧めします

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湯島のサロンで、種子法や遺伝子組み換えのサロンを開こうと思い、霜里農場の金子友子さんに話題提供者の相談をしました。
友子さんはすぐに吉田太郎さんがいいと即答され、吉田さんの新著を紹介されました。
読んでみて、世界では各地でいま、食の視点から農業が変わりだそうとしていることを知りました。
私が思っていたのとは逆の方向です。
諦めていたことが世界では始まっている。
子どもたちは救われるかもしれない。
ちょっと元気が出てきました。
早速に吉田さんにサロンをお願いしました(2月10日に開催予定)。
あわせてこの本を、多くの人に読んでほしくなりました。

本の内容は、同書の裏表紙に書かれている文章が簡潔で分かりやすいですので、ちょっと長いですが引用させてもらいます。

遺伝子組み換え大国アメリカはもちろん、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、ロシア、中国、韓国まで、世界中の母親や家族が、農薬漬けの農業を見直して種子を守り、農産物や加工食品の質を問い直す農政大転換が始まっている。
なぜ、日本だけ主要農産物種子法が廃止され、発がん物質として世界が忌避する農薬の食品への残留基準が規制緩和されていくのか、緩和の事実がなぜ日本の大手メディアでは報道されないのか。
世界の潮流に逆行する奇妙な日本の農政や食品安全政策に対して、タネと内臓の深いつながりへの気づきから、警笛を鳴らす。一人ひとりが日々実践できる問題解決への道筋を示す本。

ちなみに本書の副題は、「有機野菜と腸内細菌が日本を変える」です。
これは、吉田さんの体験を踏まえたメッセージでもあります。
吉田さんは、自らの大病を有機野菜で克服したのです。

ついでに同書の表表紙の文章も引用させてもらいます。

世界中で激増する肥満、アトピー、花粉症、学習障害、うつ病などが、腸内細菌の乱れにあることがわかってきている。けれども、日々私たちと子どもたちが口にする食べものが、善玉菌を殺し「腸活」の最大の障壁になっていることは意外と知られていない。

吉田さんも自らの病気を通して、そのことに気づき、食生活を変えることによって大病を克服したのです。
農と食、そして生命は深くつながっている。
そのことを多くの人に知ってもらいたくて、吉田さんは本書を書いたのでしょう。

本書には2つのメッセージが込められています。
一つは、世界でいま農政大転換が始まっているが、その主役は母親を中心とした普通の生活者たちだということ。
つまり、農政の変革は政治や専門家ではなく、生活者である私たちにこそ起こせるのだということです。
残念ながら日本ではそういう動きはまだ顕在化してきていません。
種子法が廃止され、遺伝子操作によって農業が変えられそうなのに、マスメディアも生活者もまだ大きな問題としてとらえていないということです。
でも逆に言えば、私たち生活者が動き出せば、農政は変わるということでもあります。

もう一つは、農政変革を待たずとも、それぞれの生活者でもできることがあるということ。
吉田さんは最後の「あとがき」で、その具体的な方法をていねいに説明しています。

本書の根底にはもう一つの大きなメッセージが流れています。
現在の工業型社会への懸念です。
それを抽象的にではなく、たとえば「生産性」や「経営」という概念がいかに偏った理解をされているか、というように具体的に語っています。
企業型農場が生産しているのは「農産物」ではなく「商品」だ、と吉田さんは書いていますが、農業とは何なのか、を根源的に問うているのです。
それは言うまでもなく、私たちの生き方への問いかけでもあります。
そしてそれが、たぶん前に書いた2つのメッセージにつながっているのです。

本書はそう簡単に読める本ではありませんが、そこに込められた吉田さんのメッセージは生々しく伝わってきます。
それをしっかりと受け止めて、まずは自分でできることをしっかりと実践していく。
そんな決意を起こさせてくれる本です。

多くの人に読んでいただきたくて、紹介させてもらいました。
2月10日には湯島で吉田さんのサロンを開きます。
本書を読んで、ぜひご参加ください。

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■節子への挽歌4081:人生の「断捨離」

節子
ようやく年賀状を読む気が出てきました。
と言っても、私が年賀状をやめてから10年ほどたっているので、届く年賀状も年々少なくなってきています。
年賀状を見てメールで連絡するような受け身の対応になっています。
そのメールも今年はまだほとんど書いていないのです。

節子は年賀状を毎年、心を込めて書いていました。
それを見ながら隣で私も書いていたのですが、枚数にしたら私のほうが10倍以上でした。
節子は私の年賀状の書き方を見て、心がこもっていないと言っていました。
印刷したものに、一言二言付け加えるだけですので、節子にはいかにも儀礼的だと批判されていたのです。
節子はもう年賀状は出せませんが、私もなぜか年賀状を出す気が失せてしまい、やめてしまったのです。
それでも昨年までは書こうという気がどこかに残っていて、年賀状は購入していましたが、今年はそれさえしていません。
その上、届いた年賀状まであまり見る気がしない。
これはかなりの重傷です。

昨日、年賀状をきちんと読みました。
年賀状にも年齢を感じさせられます。
今年を最後にするという友人もいましたし、最近は「断捨離」していますという人もいます。
ここでいう「断捨離」は、かなり人生の「断捨離」を意味しているようです。

ある友人は、「同窓会に一番来てほしかった」と書いていました。
学校の同窓会ではなく、あるテレビの番組の関係者の同窓会だったようです。
私はその同窓会のことさえ覚えていないのが問題ですが、私自身も多分どこかで「人生の断捨離をしているのでしょう。
その方は私よりもかなり若く、いまも時々、テレビなどで見かけるのですが、私自身もその人には会いたいなと思っている人です。
付き合いがさほど深いわけではなく、テレビのコメンテーター役で数回ご一緒しただけなのですが、人の縁とは不思議なものです。

そういえば、そのテレビ番組の制作スタッフだった方からも年賀状が届いていました。
いまはテレビ関係の仕事を辞め、演奏活動などをやっているそうですが、昨年は海外にも出かけているそうです。
とてもうれしく、元気づけられます。

というように、年賀状からさまざまな生活が伝わってきます。
自分の小さな世界に閉じこもっていては、元気はますますなくなります。
元気を出そうとしているのですが、なかなか元気が出てきません。
困ったものです。

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2019/01/05

■カフェサロン「種子法がなくなって、日本の野菜は大丈夫なのか」のご案内

今年も湯島では、有機野菜シリーズを開催していく予定ですが、今回はその番外編として、種子法廃止や遺伝子組み換え野菜の問題を取り上げることにしました。
霜里農場の金子友子さんに相談したら、話題提供者は吉田太郎さんがいいと即答されました。

個人的に20回近くもキューバに行った吉田さんのことは、これまでも友子さんからお聞きしていましたので、いつかキューバのサロンをお願いしたいと思っていたのですが、吉田さんはアグロエコロジストでもあり、最近は自らの大病を食生活で直した体験者でもあるということを、知りました。
昨年末に出版された吉田さんの「タネと内臓」(築地書館)も読ませてもらいました。
種子法や遺伝子組み換えにとどまらず、大きな問題提起がなされていました。
多くの人に読んでほしいのでまた改めて本の紹介はホームページでさせてもらう予定です。

「あとがき」の一文が心に響きました。

本書の内容は筆者が「書いた」というよりも、故人を含めて「いのち」を守りたい人々の「想い」がオートポイエティックな自己組織化によって編集されたものだと思いたい。

吉田さんの心身に宿ってしまった、そういう「想い」をサロンでお聞きしたいと思います。
本の「まえがき」の一説も紹介します。

いま、「タネ」が大企業に支配され、金儲けの道具にされようとしている。タネが失われれば農業は画一化する。農業生態系が画一化すれば害虫が発生し農薬が必要となってくる。農薬が散布されれば土壌細菌が死滅し、死んだ土からできた作物は栄養がない。カロリーだけのカスのような食べ物を口にしていれば腸内細菌も画一化して死滅する。そして、腸内細菌が死滅したときに内臓は…。そう。タネと内臓は直結するのだ。

「タネと内臓」の副題は、「有機野菜と腸内細菌が日本を変える」です。
種子法に関しては講演会や映画上映会なども広がっていますが、今回のサロンでは、ご自身も大病を食生活で克服した体験を踏まえての、生活目線からの「日本の野菜のタネ」の話をしてもらうことにしました。
吉田さんの心身に宿っているテーマは、多岐にわたっているし、聞きたいことはたくさんありますが、今回は吉田さんの「想い」のままに話してもらおうと思います。
サロンですので、もちろん話し合いを重視しますが、いつもよりは少し講演的なスタイルになると思います。

ちなみに、「タネと内臓」の副題は、「有機野菜と腸内細菌が日本を変える」です。
食と農に基本をおいて、広く深い論議が展開されています。
この分野での日本の立ち遅れや私たち生活者の無関心さに驚かされます。
同書をお読みになって参加してもらえると吉田さんの話も理解しやすいと思います。
決して読みやすい本ではありませんが、ぜひ頑張って読んでみてください。

たくさんの人たちに参加していただきたいサロンです。
それぞれで自分にできることをはじめる契機になればと思っています。

〇日時:2019年2月10日(日曜日)午後1時半~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「種子法がなくなって、日本の野菜は大丈夫なのか」
〇問題提起:吉田太郎さん(アグロエコロジスト/NAGANO食と農の会会員)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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■節子への挽歌4080:気が少し戻りだしました

節子
一昨日の決意にもかかわらず、気が戻ってきませんでした。
今朝はちょっと気分が違ってきました。

今朝は6時に起きて、コーヒーを飲んでいます。
節子への挨拶もすませました。

今年の年明けは、節子がいなくなってから12回目です。
10回を超えるとは思ってもいなかったのですが、今は節子がいないことが自然になってきていますが、その一方で、節子が身近にいる感覚はむしろ強まっています。
それが私の生き方を少し変えてきているのかもしれません。

年末から年始にかけて動けなくなってしまったのは、パソコンの故障のせいです。
いつの間にか、パソコンが節子との接点になっていたような気がします。
節子の代わりに、パソコンに向かう時間が増えていたのです。
パソコンに向かって毎日節子に語りかけながら挽歌を書いていたからでしょう。
そのパソコンから記憶が消えてしまった。
そこから気分がどうしようもなく無力になってしまった気がします。

実際には、パソコンそのものは友人のおかげで直ってはいるのです。
しかし、どうもそのパソコンが別人になったように感じてしまう。

節子を見送った後、何をするでもなく、節子が残したパソコンに向かっていた時期があります。
まるでパソコンの向こうに節子がいるような気がしていたのかもしれません。
そのパソコンはいまはもうありません。
その後、自分のパソコンに向かって挽歌を書き続けているうちに、そのパソコンが私と記憶を共有するようになってきたのです。
娘から最近、お父さんはパソコン依存症だからと言われました。
たしかにそうかもしれません。
それもあって、パソコンから少し離れようとも思ったのですが、一方で、心を完全に開けるパートナーとしてのパソコンを、もう一度、育てていきたいとも思っています。

節子と結婚したころ、「マイフェアレディ」という映画が話題になっていました。
こういう言い方をすると誤解されそうですが、私は節子を、私が理想とする女性にしていきたいと思いました。
それは、節子を変えることではなく、自分を変えることであり、新しい自分たちを生み出すことだと思っていました。

言い替えれば、私自身が、私の目指す生き方をしたかったのでしょう。
私は若いころからいささかの「変わり者」と思われていました。
会社に入った時の自己紹介では、「ニヒリズムの理想主義者」と話しましたが、あまり群れた生活はしませんでした。
だからと言って孤独感はありませんでした。
私よりも年上の同期入社した人からも支えられました。
どこかに、未熟さと頼りなさがあったからかもしれません。
そのおひとりから、今年も年賀状をもらいました。

話がそれだしてしまいました。

私は、一人では生きていけない弱い人間だと思いますが、その一方で、群れることができない人間でもあります。
群れの中では、いつも自分が浮いた存在であることがよくわかるのです。
だから、完全に心が開けるパートナーが大事なのです。
節子がその役割を果たしてくれた。
そして私は、その生き方において、節子が不可欠の存在になってしまっていたのです。
節子がいない私は、私ではない。
にもかかわらず12回目の新年を迎えてしまった。
しかし最近、私の中に節子を感ずるようになってきています。
その節子は、実に「あたたかい」。

今日こそ、新しい年をはじめたい。
いまはリビングで、ノートパソコンでこの挽歌を書いていますが、陽光が注ぎ込みだしました。
山のようにたまっている宿題に取り組めそうな気がしています。

これほど長く気が沈んでいたのは、久しぶりです。

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2019/01/03

■節子への挽歌4079:さて今日から新年のスタートです

節子
ホームページを更新できないのが、元気が出ない理由なのですが、ホームページにはこだわらないことしました。
さてこれでようやく新年がスタートできそうです。
ためておいた年賀状や年賀メールを見ました。
久しく音信が途絶えていた人からのものもありました。
年賀状の効用を改めて感じます。

今年は湯島に行くと書いている人もいました。
湯島は30年、場所を変えていませんので、こういうことが可能になるわけです。
年末のサロンに初めて参加した人は、今年はできるだけサロンに通いたいと書いてありました。
サロンの意味を感じてくれる人が増えてきているのはうれしいことです。
サロンにも、湯島にも、私には深い思いがあります。
節子と一緒につくり上げてきたということも含めて。

節子が元気だったころは、毎年、正月の2日か3日に湯島に一緒に行っていました。
そして、湯島の掃除をしていました。
節子がいたころと今では、わが家の新年の迎え方は一変してしまいました。
同じなのは、みんなでの初詣くらいでしょうか。
しかしわが家の要は、やはり節子だったなと改めて思います。

さて、今日からまた挽歌と時評の両方を書き始めることにします。
ダラダラしているのは今日でおしまいにしましょう。

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2019/01/02

■節子への挽歌4078:おだやかな年明けでした

節子
年末と年初は、ちょっとパソコンの書き込みをやれませんでした。
いや、やらなかったというべきでしょうか。
その気になれば、パソコンに書き込みができなかったわけではありません。
しかし前にも書いたとおり、メインのデスクトップパソコンがダウンした影響で、ホームページの更新ができなくなってしまったのです。
なにしろホームページは、完全な手作りで試行錯誤的につづけていますので、知識がないのです。
アップした記事をネットにあげようとしても、なかなかうまくいきません。
理由が全く分からないのです。
それを繰り返しやっているうちに、どうもパソコンに向かう気が消えてしまいました。

そのとばっちりを節子の挽歌も受けてしまったわけです。
時間もあれば、書くこともあるのですが、何やら書く気が起きてこない。
気を取り直して、今日から書こうと思いますが、長年続いてきた年末年始の習慣が途絶えてしまったのが、なんとも残念なのです。

と言っても、年末の墓参りと年越しそばから年始の初日への祈りは、いつもの通りでした。
そして元日は、娘家族も一緒に、いつもの子の神様への初詣と菩提寺への墓参り。
みんないつもの通りです。

しかし何とも気が起きてきません。
これほど気が起きないことは、もしかしたら生まれてはじめでしょうか。
今日は完全に何もやる気が起きずに、箱根駅伝を見ていました。

というわけで、今年はおだやかというよりも、何もしない無気力の始まりになってしまいました。
明日にはもう少し元気が出るといいのですが。

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2019/01/01

■ 年のはじめに

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今年もまた、気持ちのいい朝からのはじまりです。
屋上で初日を待っていた時には、寒くて体が震えそうでしたが、太陽が顔を出すと暖かさが伝わってきました。
朝の寒さが嘘のように、あたたかな1日になりそうです。

昨年は、いろんなことがありすぎて、心身ともにかなり疲れましたが、何とか乗り切って、いい年だったと言えそうでしたが、12月にパソコンがダウンし、データが消去し、何か自分の一部が失われたような気がして、めげてしまいました。
パソコンは直ったのですが、ソフトがうまく稼働せずに、大みそかは1日かかって頑張ったのですが、ホームページを更新できずに年を越えました。
したがって、この文章も、ホームページに掲載されるのは数日後になるでしょう。

大みそかにパソコンと格闘するのは、これで2度目です。
前回は、実はこのホームページをアップするための格闘でした。
12月に友人からホームページのスキームを教えてもらい、ソフトを購入して30日からホームページづくりに取り組み、大みそかの除夜の鐘が鳴りだしたころに、完全手づくりのホームページを立ち上げました。
以来、17年が経過しましたが、付け足しつけたしのホームページは整理したくても整理できないほどの複雑な構造になってしまい、自分でも何が書かれているのかわからないほどです。
しかも途中でプロバイダー側の事情変更などもあって、初期のものはかなり削除しましたので、ますますわからない世界になってしまいました。
まあそれはまさに私自身のあり様にもつながっている気がします。

昨年、喜寿を超え、現世のことはかなりわかってきた気がします。
わがままに生きても、さほどの則を超えることのないようになってきた気もします。
彼岸のこともそれなりに見えてきたようにも思います。
このまま、静かに第4期に入れるように考えていましたが、どうもそうはならないようになってきました。
昨年会った若い友人に、また刺激を受けてしまったのです。
困ったものですが、もう少し長い第3期を続けることになりそうです。
テーマは「死と生」です。

また、湯島のサロンに意味も、多くの人に理解してもらってきた気がします。
今年も湯島でサロンをつづるための元気も、たくさんもらいました。
今年も、週に1回をめどにサロンを続けていくつもりです。
見ず知らずの方も含めて、どなたでも歓迎のサロンです。
もし気が向いたら遊びに来てください。

湯島には、週の半分くらいは行こうと思っています。
オープンサロンでなくても、時間さえ合えば、だれでも歓迎です。
コーヒーしかお出しできませんが、お気軽にご連絡ください。

今日の青空はとても美しい。
この青空のように、澄んで暖かい社会を目指して、私ができることをしていこうと思います。
今年もまた自らに誠実に生きていこうと思います。

そろそろ初詣に出かけます。

2019年月1日1日 午前9時

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