■節子への挽歌4089:言葉の暴力
節子
昨日は、節子も知っている西坂さんの「坊言」サロンをやりました。
お寺などの掲示板に書かれている言葉を材料にして、生き方をちょっと考えるサロンです。
たくさん集まるかと思いきや、私を入れて4人しか集まりませんでした。
ところがそのサロンに、思いがけない人が参加しました。
どうして参加されたのか戸惑いましたが、いろいろとあって元気になりたくて来たと、昨日は言っていました。
しかし、その人はいつも明るく元気ですし、これまであまりサロンには参加されたこともない方です。
その人が今朝、メールをくれました。
今日は、とても心が安らぎました。ありがとうございました。
(中略)言葉で傷つけられることが多いんです。
だから、それが嫌で切ってしまうところがあるようです。
反省。今日は伺って本当に良かったです。
この人は、いつも元気で明るい人ですが、その人から「言葉で傷つけられることが多い」と言われるとは思ってもいませんでした。
もしかしたら、私も同じようにみられ、同じように傷つけられているのかもしれないと思いました。
しかし、同時に、私もまた、誰かを言葉で傷つけているのでしょう。
節子がいたころは、何度も注意されましたが、今は私に注意してくれる人はいません。
注意しなければいけません。
今日も心当たることがありましたし。
私の言葉の暴力の一番の被害者は、節子かもしれません。
そして私のその欠点を正してくれたのは節子でした。
残念ながら、まだ欠点を正し切れてはいないのです。
注意しなければいけません。
| 固定リンク
「妻への挽歌18」カテゴリの記事
- ■第1回リンカーンクラブ研究会報告(2021.09.06)
- ■節子への挽歌4500:東尋坊からのお餅(2019.12.28)
- ■節子への挽歌4499:歯医者さんと節子(2019.12.27)
- ■節子への挽歌4498:年末のお接待(2019.12.26)
- ■節子への挽歌4496:年末の相談つづき(2019.12.24)
コメント