« ■節子への挽歌4082:今度こそ挽歌を書き出します | トップページ | ■節子への挽歌4083:死や別れの学び »

2019/01/15

■節子への挽歌4083:現川焼

節子
テレビをなんとなく見ていたら、長崎の「現川焼」が取り上げられていました。
25年ほど前、佐世保の三川内焼の窯元たちと一緒に、ささやかな活動に取り組ん無ために、毎月通っていたのを思い出しました。
現川焼は江戸時代に一時期話題になった焼き物ですが、その後、焼き方がわからなくなり、「幻の現川焼」と言われていましたが、佐世保の三川内の窯元の第12代横石臥牛さんが再興したのです。
私がお会いしたのは、13代目の臥牛さんですが、私が関わらせてもらった世代よりは少し世代が上だったので、一度、臥牛窯を見せてもらってお話を聞いただけでした。
私自身は、三川内焼にかかわりながらも、当時はあまり磁器に興味が持てなかったのですが、現川焼には興味を感じました。
臥牛さんがコーヒーカップを一つくださったのが今も残っています。

私と違って、節子は陶磁器が好きでした。
近くの陶磁器展にも何回かつき合いましたが、いつもいろんな陶磁器を買ってきていたので、我が家の当時の食卓は今と違ってにぎやかでした。

当時は、出張に節子と一緒ということはほとんどありませんでしたので、節子は三川内にはついに行けずに終わりました。
長崎では、これ以外にもいくつかの仕事をさせてもらいましたが、一度だけ、節子と佐世保を訪問しました。
その時は三川内には行かずに、ハウステンボスに行ってしまいました。
長崎の友人たちが予定を組んでくれたのですが、節子の好みとしては、ハウステンボスよりも三川内だったかもしれません。

節子のがんが発見されたのは、私自身が仕事中心の生活をやめると決めた、まさにその年でした。
もし節子が元気だったら、佐世保や山形など、行くはずのところがいくつかありました。
伊勢もそうです。
しかし、節子の闘病が始まったこともあり、遠出は難しくなりました。
今となっては、なんで仕事で足しげく通っていた時に、節子と一緒に行かなかったか、悔やまれます。
節子と一緒でなかったので、私も原則として、仕事で通っても、あえて観光地的なところには足を延ばしませんでした。
私が行きたいところであればあるほど、一人ではいかずに残しておいたのです。
節子がいなくなってしまったので、とうとう行けずに終わったところがいくつかあります。

現川焼の窯元は今は14代になっているようで、テレビに登場した人は私がお会いした人ではありませんでしたが、とても懐かしい気持ちです。
明日から、臥牛さんにいただいた現川焼のカップでコーヒーを飲むことにしました。

節子と一緒に行かなかったところの思い出にまで、いつも節子が出てきます。

|

« ■節子への挽歌4082:今度こそ挽歌を書き出します | トップページ | ■節子への挽歌4083:死や別れの学び »

妻への挽歌18」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ■節子への挽歌4083:現川焼:

« ■節子への挽歌4082:今度こそ挽歌を書き出します | トップページ | ■節子への挽歌4083:死や別れの学び »