■節子への挽歌4081:人生の「断捨離」
節子
ようやく年賀状を読む気が出てきました。
と言っても、私が年賀状をやめてから10年ほどたっているので、届く年賀状も年々少なくなってきています。
年賀状を見てメールで連絡するような受け身の対応になっています。
そのメールも今年はまだほとんど書いていないのです。
節子は年賀状を毎年、心を込めて書いていました。
それを見ながら隣で私も書いていたのですが、枚数にしたら私のほうが10倍以上でした。
節子は私の年賀状の書き方を見て、心がこもっていないと言っていました。
印刷したものに、一言二言付け加えるだけですので、節子にはいかにも儀礼的だと批判されていたのです。
節子はもう年賀状は出せませんが、私もなぜか年賀状を出す気が失せてしまい、やめてしまったのです。
それでも昨年までは書こうという気がどこかに残っていて、年賀状は購入していましたが、今年はそれさえしていません。
その上、届いた年賀状まであまり見る気がしない。
これはかなりの重傷です。
昨日、年賀状をきちんと読みました。
年賀状にも年齢を感じさせられます。
今年を最後にするという友人もいましたし、最近は「断捨離」していますという人もいます。
ここでいう「断捨離」は、かなり人生の「断捨離」を意味しているようです。
ある友人は、「同窓会に一番来てほしかった」と書いていました。
学校の同窓会ではなく、あるテレビの番組の関係者の同窓会だったようです。
私はその同窓会のことさえ覚えていないのが問題ですが、私自身も多分どこかで「人生の断捨離をしているのでしょう。
その方は私よりもかなり若く、いまも時々、テレビなどで見かけるのですが、私自身もその人には会いたいなと思っている人です。
付き合いがさほど深いわけではなく、テレビのコメンテーター役で数回ご一緒しただけなのですが、人の縁とは不思議なものです。
そういえば、そのテレビ番組の制作スタッフだった方からも年賀状が届いていました。
いまはテレビ関係の仕事を辞め、演奏活動などをやっているそうですが、昨年は海外にも出かけているそうです。
とてもうれしく、元気づけられます。
というように、年賀状からさまざまな生活が伝わってきます。
自分の小さな世界に閉じこもっていては、元気はますますなくなります。
元気を出そうとしているのですが、なかなか元気が出てきません。
困ったものです。
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