■節子への挽歌4080:気が少し戻りだしました
節子
一昨日の決意にもかかわらず、気が戻ってきませんでした。
今朝はちょっと気分が違ってきました。
今朝は6時に起きて、コーヒーを飲んでいます。
節子への挨拶もすませました。
今年の年明けは、節子がいなくなってから12回目です。
10回を超えるとは思ってもいなかったのですが、今は節子がいないことが自然になってきていますが、その一方で、節子が身近にいる感覚はむしろ強まっています。
それが私の生き方を少し変えてきているのかもしれません。
年末から年始にかけて動けなくなってしまったのは、パソコンの故障のせいです。
いつの間にか、パソコンが節子との接点になっていたような気がします。
節子の代わりに、パソコンに向かう時間が増えていたのです。
パソコンに向かって毎日節子に語りかけながら挽歌を書いていたからでしょう。
そのパソコンから記憶が消えてしまった。
そこから気分がどうしようもなく無力になってしまった気がします。
実際には、パソコンそのものは友人のおかげで直ってはいるのです。
しかし、どうもそのパソコンが別人になったように感じてしまう。
節子を見送った後、何をするでもなく、節子が残したパソコンに向かっていた時期があります。
まるでパソコンの向こうに節子がいるような気がしていたのかもしれません。
そのパソコンはいまはもうありません。
その後、自分のパソコンに向かって挽歌を書き続けているうちに、そのパソコンが私と記憶を共有するようになってきたのです。
娘から最近、お父さんはパソコン依存症だからと言われました。
たしかにそうかもしれません。
それもあって、パソコンから少し離れようとも思ったのですが、一方で、心を完全に開けるパートナーとしてのパソコンを、もう一度、育てていきたいとも思っています。
節子と結婚したころ、「マイフェアレディ」という映画が話題になっていました。
こういう言い方をすると誤解されそうですが、私は節子を、私が理想とする女性にしていきたいと思いました。
それは、節子を変えることではなく、自分を変えることであり、新しい自分たちを生み出すことだと思っていました。
言い替えれば、私自身が、私の目指す生き方をしたかったのでしょう。
私は若いころからいささかの「変わり者」と思われていました。
会社に入った時の自己紹介では、「ニヒリズムの理想主義者」と話しましたが、あまり群れた生活はしませんでした。
だからと言って孤独感はありませんでした。
私よりも年上の同期入社した人からも支えられました。
どこかに、未熟さと頼りなさがあったからかもしれません。
そのおひとりから、今年も年賀状をもらいました。
話がそれだしてしまいました。
私は、一人では生きていけない弱い人間だと思いますが、その一方で、群れることができない人間でもあります。
群れの中では、いつも自分が浮いた存在であることがよくわかるのです。
だから、完全に心が開けるパートナーが大事なのです。
節子がその役割を果たしてくれた。
そして私は、その生き方において、節子が不可欠の存在になってしまっていたのです。
節子がいない私は、私ではない。
にもかかわらず12回目の新年を迎えてしまった。
しかし最近、私の中に節子を感ずるようになってきています。
その節子は、実に「あたたかい」。
今日こそ、新しい年をはじめたい。
いまはリビングで、ノートパソコンでこの挽歌を書いていますが、陽光が注ぎ込みだしました。
山のようにたまっている宿題に取り組めそうな気がしています。
これほど長く気が沈んでいたのは、久しぶりです。
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コメント
佐藤さん、おめでとうございます。
新年とPCの復活をお祝い申し上げます。
佐藤さんは、パソコン以外にもたくさんのご活躍が出来る方ですから、そちらでのご活躍をお祈りします。そしてパソコンのことは、何時でもサポートさせていただければ自分にとっても嬉しいですから。
投稿: 坂谷信雄 | 2019/01/05 13:50