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2019/01/18

■節子への挽歌4085:ヴェーダのマントラ

節子
昨日は湯島で、ヴェーダ占星術師のキショーリさんに「ヴェーダ」のサロンをやってもらいました。
先週についでの2回目のサロンでしたが、前回とは全く雰囲気の違うサロンになりました。
もしかしたら、本当に、もしかしたらなのですが、今回は話の初めに、キショーリさんが「バガヴァッド・ギータ」の一節をサンスクリット語で朗誦したからかもしれません。
ヴェーダでも、最初に言葉ありと考えるそうで、人間の五感はまず耳からだとキショーリさんは言いましたが、音の響きは生命につながっているようです。
「音」を「観る」という『観音』という表現に何か大きなものを感じ続けてきていますが、たぶん「音」は見えるのでしょう。
最初に光ありという考えよりも、私にはなじめます。

ヴェーダに関しては、私は、言葉や文字であらわす以上に、もっと深くて大きなものを感じているので、具体的な話を聞くとついつい違和感をもってしまうのですが、今回もやはり「解脱」というか、カルマから抜け出すということにやはり価値を見出せませんでした。
どうも私は、如来よりも菩薩、菩薩よりも悪人のほうが向いているのかもしれません。

最後にまた、キショーリさんはヴェーダのマントラを紹介してくれ、みんなで一緒にそれを唱えさせてくれました。
たぶんインドの聖地で、このマントラを唱えたら違ったものになるのだろうと思いながら、私も唱えてみました。
キショーリさんの表情は明らかに違っていました。

私もいつか心身に宿るようなマントラに出会えるといいのですが。
今回は、言葉の限界というか危うさを強く実感しました。
やはり「言葉」を通してではなく、大きな耳である心身を通して、魂の世界を「観たく」なってきました。

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