■節子への挽歌4100:墓前での孫との会話
節子
前の挽歌で書いたように、今日はチューリップを持って娘や孫とお墓に行きました。
孫は時々、お墓に同行しています。
今日はお墓に供えている花瓶や湯飲みを洗おうと思ったら、自分から手伝ってくれました。
お墓ではいつものように、私が般若心経をあげさせてもらいました。
孫はいつも笑顔でそれを聞いていますが、終わると手を合わせます。
ここにはもうじき私も入るのだと言い聞かせていますが、まだあまり理解はできていないかもしれません。
先日、新しいお葬式を考える会というのを開きました。
その時に長年墓石の仕事をされている篠田さんが参加してくれました。
話し合いの中では、お墓の話も出ましたが、自分が死んだら「散骨」にしたいと思っている人が予想以上に多かったのが印象的でした。
篠田さんはそれを聞いて残念がっていました。
お墓がないと祖父母のことを孫と話す機会はますますなくなってしまうというのです。
確かにそうです。
話題に知る人がいなくなれば、それは「第2の死」だという人もいます。
旅立ってもなお、遺された人たちがウィにしてくれることは、故人にとっては最高の供養かもしれません。
そんなこともあったので、今日は、墓前で改めて孫と少し話したわけです。
孫はここに、会ったことのない節子が入っていることは認識しています。
もうじき「おさむ」も入るんだよと話しましたが、まだ理解はできていないでしょう。
しかし、改めて「お墓」の意味がわかりました。
この墓は、個人墓ではなく、家族墓です。
以前はそんなこともあまり深くは考えていませんでしたが、もう少ししっかりと考えようと思います。
墓碑銘的なものもあってもいいような気がしますが、それをどう形にしたらいいのかまだイメージできません。
孫がいる間に、私の記憶を引き出すようなものをここに工夫しておこうと思います。
孫は、お墓参りのついでに、わが家で豆まきもしていってくれました。
節子は豆まきが好きでした。
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