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2019/02/07

■節子への挽歌4104:貧しさと豊かさはもしかしたら同義語

節子
2日間、認知症予防ゲームに付き合っていたので、いささか気分を変えたくなりました。
それで、久しぶりにリンカーンクラブの武田さんに湯島に来てもらいました。
最近、武田さんとは「統治行為と統治権」というテーマで電話で時々論争しているのです。
武田さんは今度の3連休、温泉宿に引きこもって、論文を書く予定です。
その前に少し議論しておきたくなったのです。

2人の共通のテキストは小林直樹さんの「憲法講義」です。
と言っても、私がその本を読んだのは50年以上前ですし、まだ上巻しかできていないかった頃のものです。
武田さんは1981年版の完成された本です。
でもまあ精神は一緒でしょう。
私は、武田さんから言われて、書斎からこの本を見つけ出したのですが、本にメモまで残っていました。
大学の教科書で、なぜか廃棄できずに残している本が3冊あります。
その一冊が、この本でした。

小林さんは、あまり授業には出席しない学生だった私がほぼすべて聴講させてもらった講座の一つです。
当時はまだ小林さんは40代だと思いますが、とても印象に残った講座でした。

統治権の捉え方は、政治の捉え方を規定します。
私は、現代の政治の捉え方には大きな異論を持っていますが、そういうレベルで話し合えるのは、意見は違うとしても、武田さんくらいです。
しかしいつも論争は堂々巡りになりがちで、収束しないのですが。

武田さんは、私を元気づけるために、大きなイチゴを持ってきました。
貧しい佐藤さんは、こんな立派なイチゴを食べられないだろうと言って、です。
確かにいつも食べるイチゴの3倍の大きさがありました。
しかし大きいから、高価だから、と言っておいしいわけではありません。
なぜか武田さんは、湯島に来る時、いつも何かを持ってきます。
私はよほど貧しいと思われているのでしょう。
困ったものです。

そういえば、武田さんの後、もう一組の人たちと会いました。
その一人は、たぶん、経済的には私よりも厳しいと思いますが、大きなケーキとスムージーカップを持ってきてくれました。
貧しい者たちは、こうして分かち合って生きていく。
だから豊かに生きられるのです。
貧しさと豊かさはもしかしたら同義語かもしれません。

さて今日で、時間破産の生活は終わります。

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