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2019/02/25

■国民主権に従わない「統治権」

沖縄県民投票によって、沖縄県民の「辺野古埋め立て反対」の思いは明確になりました。
しかも沖縄の場合、沖縄県という地方自治体も同じ意見です。
にもかかわらず、実際の政治は、それとは別の方向に向かっています。
県民の多数派の意向も、地方自治体の意向も知りながら、政府による辺野古の埋め立ては止まることはありません。
住民の意思とは別の政治が展開されているわけで、民主主義国家においては、きわめておかしな事態です。

しかし、全くおかしいわけではありません。
住民が暮らす地域をどういう範囲で考えるかによって、住民意思と政治の動きは食い違うことはよくあります。
たとえばごみ焼却場などの迷惑施設の設置に関しては、近隣住民からの反対にもかかわらず、推進されることが、長期的かつ社会的な視点から承認されることはあります。
それに、地方自治体は国家の一部であり、その地域の自治を限定的に認められているだけです。
「国民主権」という言葉はあっても、「住民主権」という言葉はありません。

しかし、今回の沖縄の県民投票は、主権者と統治者の構図を分かりやすく可視化してくれています。
沖縄県民や沖縄県がどんなに希望しても、「政治性の高い問題」は、県や県民の上にある日本政府が決定し、施行することになっているのです。
自治権が制約されるのは仕方がないことです。
辺野古の問題は沖縄の地域問題であるわけではありませんが、現在の制度上ではそうなっているだけです。
いやむしろ地域を超えた問題であればこそ、政府の意向が優先されてしまっているわけです。

もう60年以上前のことですが、日米安保保障条約の合憲性が裁判になったことがあります。
その裁判では、最高裁は「高度に政治性のある国家行為」に関しては司法の対象から外すとして、違憲性の評価をしませんでした。
後になって判明したのですが、当時、日米両国政府から最高裁に圧力がかかっていたのです。

日米安保保障条約は、日本の国民の生活にとっては極めて重要な問題です。
そもそも「高度に政治性のある問題」こそ、国民にとっては死活につながる問題なのです。
そうした問題を司法から外す、つまり統治権を持つ政府にゆだねるということは、主権者たる国民から統治者である政府が「主権」を取り上げるということになります。
主権者たる国民が、政府に自らを「統治」することを信託したのは、三権分立の統治体制の中で、統治者である政権の独走を抑制するためなのですが、司法が外されてしまうことは、統治を信託する前提を否定することになります。

つまり国民主権に従わない「統治権」があるということです。
しかしその実体は、法治国家や権力分立型の統治体制に組み込まれた民主的な政府という幻想によって、覆い隠されてきました。
主権者の選挙で信託された政権が統治権を施行しているという幻想もありました。
しかし、日本の政権を超える「統治権」の存在が少しずつ見えてきています。
そして、政治と国民の思いが大きくずれてきている現実があります。

県民や県知事がどう思おうと、それとは別の論理で沖縄は統治されています。
高度に政治性のない問題に関しては、自治が与えられていますが、肝心の問題は沖縄の外で決められてしまう。
高度に政治性のある問題は既存の統治体制の枠外で決められているのは、日本全体においても同じなのです。

つまり、統治権者たる政府とは別の統治者が存在するということです。
それが米国の産軍複合体なのか、金融資本なのか、有徳の政治家なのか、は別にして、高度な政治性のある問題にこそ、統治の主軸があるのです。
「誰が日本を統治しているのか」
主権者たる国民は統治者にはなりえません。
国民主権とは、統治者を監視し制約できるという意味です。
統治者の存在を、私たちは意識し、その可視化を進める必要があると思っています。

沖縄の県民投票は、そのことをとても分かりやすく可視化してくれています。
もちろん内容は国政とは違いますが、かたちは相似形になっています。

ちょっと長くなったので、続きはまた明日に。
少しこのシリーズを続けてみます。

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