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2019/02/24

■湯島サロン「国民主権と統治行為論」の報告

沖縄で辺野古新設に関する県民投票が実施される前日に、「国民主権と統治行為論」のサロンを開催しまました。
奥にあるテーマは、「国民投票制度」です。
10人を超える方が集まったばかりでなく、初めて参加してくださった方も何人かいました。

最初に私から、統治行為や砂川事件の資料などを紹介させてもらった後、リンカーンクラブ代表の武田さんが、テーマに沿った話をしてくれました。
現在の日本の政治が主権者たる国民から大きく乖離していること、しかも砂川判決以来、「国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為」に関しては司法の対象にしなくなったこと、国会で議論している政治の外にそうした「統治」分野があるとされていること、それに、そもそも議会制民主主義は国民の意思を反映させられる民主主義なのか、といった話をチャートに合わせて、説明してくれました。
そして、そこから、「高度な政治性を有する国家の行為」というのがあるのであれば、それこそそうした問題を国民投票の対象にして、高度な政治性のある統治行為を国民主権で決定することが考えられると提唱したのです。
これまで、三権分立の世界から「特別扱い」されていた「高度な政治性を有する国家の行為」を、逆に国民に取り戻すという提案です。

ここから「国民主権」と「統治権」の「ずれ」を解消するための話し合いが行われる予定だったのですが、論点を整理しようとしだした途端に、話が混乱しだしてしまい、残念ながら、内容の話ではなく、言葉遣いや「統治権」そのものへの異論などの議論になってしまい、なかなか内容的な議論にはたどり着けませんでした。
それでも最後のほうでは、「高度な政治性を持つ国家行為」に関する国民発議権や、主権を現実化するためには立法と同時にその法を実行するということの2つを伴わなければ完成しないという話にまではたどり着けたと思います。

途中で、参加者から「沖縄の県民投票の話」が出ましたが、残念ながら、国民主権と統治権という話にまで深める時間がありませんでした。
今回の県民投票には、「統治権」がわかりやすく可視化されているので、まさに統治の実態を考える事例でしたが、それだけではなく、「自治権」と「主権」との対比で考えるとさまざまな論点が出てきたと思います。
今回は参加者の一人の方が問題提起してくれましたが、逆に話が混乱するという人もあり、議論は深められませんでした。
そうならないために、事前にチャートまで書いて説明したのですが、私の説明不足と進行のまずさで、内容の議論をする時間がなくなってしまい、申し訳ないことをしました。
今回は、私も意見を言いたかったのですが、進行役として、言葉や論点の整理で終わってしまい、かなりの欲求不満が残りました。

しかし、武田さんの問題提起には、いろんな示唆が含意されています。
私が大学で学んだころから、砂川判決に端を発する「日本版統治行為論」は議論されていましたが、むしろ、そのことで「統治権」あるいは「主権」があいまいにされていたように思います。
私が日本の憲法学者を全く信頼しないのは、そのためです。
最近になって、ようやくそうしたことが議論されるようになってきていますが、多くの人は「統治行為」はともかく「統治権」というとらえ方にさえ視野が行っていない気がします。

「人の支配」から「法の支配」の確立への移行が近代国家だという人もいますが、理論的にはともかく、実際に複数の人々を統治していくためには、最終的には「人の意思」が不可欠です。
学者はともかく、数名の組織に関わったことがある人であれば、すぐわかることです。
法は基準であって、行為主体にはなりえないからです。
法治国家においても、当然のことながら卓越した権力を持った「統治者」が必要です。

世界初の成文憲法典は、17世紀の「統治章典」だといわれますが、これは統治者に対する「統治行為への制約」と言えるでしょう。
しかし悩ましいのは、国民主権国家となると、憲法が制約する対象は複雑になります。
素直に考えれば、憲法は主権者たる国民を制約するのではなく、「統治者」を制約することになりますが、もしそうならば、主権者である「国民」を(制約がなければ)自由に統治できる存在があるということです。

とまあ、こういう話に広げたかったのですが、今回はその入り口で時間切れでした。
ちなみに、日本は「主権国家」というようないささか過激な話が出ましたが、「国家主権」と「国民主権」の関係も刺激的なテーマです。

沖縄の県民投票の結果もそろそろ明らかになりだしていますが、その結果の動きなどももう少し見えてきたら、またこのテーマでのサロンを開催したいと思っています。
関心のある方はご連絡ください。

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