■節子への挽歌4115:人を幸せにするのは簡単かもしれません
節子
孫ががんばっています。
私は今日は朝からずっと不在だったのですが、帰ってきたら、玄関にトイレットペーパーが6個、置いてありました。
今日は、新聞紙の回収日だったのですが、いつもは2~3個、新聞紙と引き換えにおいて行ってくれるのです。
それが今回は6個。
娘から理由を聞きました。
ちょうど新聞の回収に来た時に、孫がやってきたようで、その回収の人に向かった、大きな声でこんにちわとあいさつをしたのだそうです。
その元気さをほめてくれて、回収している人が、おまけだといって、いつもの倍のトイレットペーパーとポケットティッシュを一袋くれたのだそうです。
孫の「初めての稼ぎ仕事」です。
いやそういう言っていいかどうかはわかりませんが。
孫は、ともかく大きな声であいさつします。
いつもとは言えませんが、とても大きな声なのです。
それは実に気持ちがいい。
私もそうですが、明るい大きな声は、人を幸せにするのです。
回収しに来た方は私と同じ年頃の高齢の男性だったそうです。
その方も、きっと、ちょっと「幸せ」になって、大盤振る舞いをしてくれたのでしょう。
そしてまた、それが孫の親や祖父を幸せにしてくれたというわけです。
それを聞いて、私はテレビ電話で孫に「ありがとう」といいました。
たわいない話ですが、人を不幸にするのも幸せにするのも、そう難しくない話だと、改めて思ったのです。
節子がいたら、こういう幸せをたくさん体験したことでしょう。
人は、ただ存在するだけで、他者を幸せにすることができるのです。
節子がいたころには、孫がいなくても、私はいつも幸せでした。
私も、ただそこにいるだけで、他者を幸せにできるような存在になりたいですが、今日もまた、サロンで、他者を幸せにするどころか、不快にさせたかもしれません。
孫に学ばなければいけません。
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