■目先の問題解決のために大切な文化をないがしろにしていないか
「24時間はもう限界」、セブン-イレブンFC加盟店が時短営業で本部と対立、という話題がテレビや新聞で報道されています。
人手不足が、その大きな理由です。
そして、海外の労働力を日本に持ち込もうという考えを、多くの日本人は受け入れてきているようです。
前に「移民と移住」について書いたことがありますが、個人レベルでの「移住」の受け入れと、国家としての「移民」政策は、似て非なるものだと思います。
昨年、話題になった、ダグラス・マレーの「西洋の自死」を読んで、この問題の私の理解はまだまだ不十分だったと反省しましたが、日本もまた「自死」に向かっているという、解説者の中野剛志さんの指摘を思い出しました。
それが、どんどん真実味を増しているからです。
ダグラス・マレーは、個人としての移民(イミグラント)と集団としての移民(イミグレーション)とは違うといっています。
私は、それを「政策としての移民」と「個人としての移住」と分けて考えて、「移住支持」「移民反対」の立場です。
最近の労働力視点で「移民」や「移住受け入れ」を考えることは、無責任であり、日本の文化をさらに変えてしまうだろうと懸念しています。
それに、そもそも人の生活を労働で考えてはいけません。
「人は人を手段にしてはいけない」というカントの言葉に反するからです。
その奥にあるのは、24時間営業を便利だと思う文化です。
いや24時間営業などという「例外」を「ルーティン」にしてしまってきた文化というべきかもしれません。
ちなみに、昔はどこの店も24時間営業などと言わずとも、万一真夜中にどうしても薬が必要になったら、店の戸を叩いて店主を起こすこともできたのです。
それが薬でなくて醤油だったら、隣の家に分けてもらいに行けたかもしれません。
まあそれはともかく、人手不足であれば、人手を減らす社会をつくればいいだけの話です。
その根底にあるのは、「成長信仰」です。
電力を無尽蔵に使いたいので原発を稼働させたことの問題を私たちは知りました。
にもかかわらず、懲りずに労働力を無尽蔵に使いたいので外国労働力を導入する。
労働力の担い手は人間です。
ダグラス・マレーの「西洋の自死」は、あまりに反イスラムなのであまり薦めたくはないのですが、この本を読んだら、今の風潮には疑問を抱く人も増えるかもしれません。
大切なのは経済ではなく文化なのです。
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