■節子への挽歌4116:時間感覚がちょっと変わってきてしまいました
節子
このところ、なぜか時間がたつのが実に速いのです。
それに生活のルーティン意識が希薄になってきています。
朝起きて、顔を洗うことくらいしか、ルールはなくて、あとは気の向くままに、という感じが強まっています。
だからといって、することがないとか、寝ていてもいいというわけではないのです。
いつも「やらなければいけないこと」リストからは解放されないままです。
それなりに時間にも追われている。
もっとも、「追われている」というのは不正確で、「やらないといけない」という思いはありますが、やらなかったからといって、契約違反で訴えられることはありません。
そもそも私には「契約」という概念が希薄ですから。
それに、毎日、「やらなければいけないこと」リストは増え続けます。
そんなことまで引き受けて、やりすぎではないのか、自分で頼んできながら、私に言いきった友人もいますが、まあ私にやれることがあれば、ある意味ではやらなければいけません。
私以外の誰かがやれることなら、その必要はありませんが。
そんなわけで、最近、時間感覚がルーズになってしまっています。
何とかリズムやルールを回復したいとは思っていますが、なかなか難しい。
そんなわけで、また気が付いたら、挽歌が2日、書けていませんでした。
書き忘れましたが、毎日の日課がもうひとつありました。
顔を洗った後に、節子の位牌に水を供えて、ろうそくに火を灯し、線香をあげて、般若心経を(時に簡略版で)唱えるのです。
この日課だけは、家にいる限り、さぼったことはありません。
問題は、そのあとです。
心を入れ直さないといけません。
実は今朝起きたとき、そう思ったのですが、今日も寒いので、決意が揺らいでいます。
困ったものですが。
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