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2019/02/10

■節子への挽歌4107:死者は遺された者たちの生きる支え

節子
昨夜また少し雪が降り積もり、今朝も雪景色のまぶしい朝です。

いま知人と一緒に「新しいお葬式」を考え事業化する取り組みを始めています。
これに関しては時評編で前に書きましたが、その検討会で、死者は遺された者たちの生きる支えにもなっていると話しました。
それは、私が最近特に強く感じていることです。
つまり、節子は私がいまを生きるうえでの「支え」だということです。

精神的な支えだということではありません。
最近、私は心身ともにかなり疲れていました。
そうした状況の中で、2日続けて、節子が夢に出てきました。
正確に言えば、「節子を感ずるなにか」というべきでしょう。
節子の姿が出てきたわけではありません。
ただなんとなく「節子」を感じただけです。
そして、同時に、いのちのエネルギーを感じたのです。
言葉ではなかなか表現できないのですが、疲れていた生命が少しだけ「輝き」を取り戻せたのです。
エラン・ヴィタールという言葉も思い出しました。

こういうことが、時々起ります。
死者は、遺された者の心に生き続けている、と私は実感しています。

ただ、死者のすべてがというわけではありません。
そして、節子だけでもないのです。
若くして突然死した友人たちや過労や病気で亡くなった友人たち。
時にそういう人も夢に出てきます。
いや夢だけではありません。
何かをしているときに、突然、思い出すこともあります。
なぜ思い出すのか考えたことはありませんが、たぶん私の心身が萎えているときに、元気を出せと出てくるのです。
私の心身のなかには、そうしたたくさんの死者がいまも生きている。
最近特にそういう感じが強まっています。

太陽が出てきました。
陽光が庭や隣家の屋根の上の雪に反射して、まぶしいです。
静けさと眩しさ。
雪景色は大好きです。

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