■節子への挽歌4110:人生にとって一番大切なのはパートナー
節子
先日のサロンに、わざわざ新潟から参加してくれた友人がいます。
サロンが長引いたため、ゆっくり話すことができませんでした。
今度は私に会うだけにやってくると言って、帰りました。
今回のサロンも、たぶん私に合うのが目的だったのでしょう。
お互いのようすを確認し合うだけで、十分だったのかもしれません。
そういう友人が、私には数名います。
昨日書いた、若年性アルツハイマーを発症した藤田さんは、「認知症になってもだいじょうぶ!」という本の中に、友人知人の大切を繰り返し書いています。
「一人の人として関わり続けてくれる人がたくさんいれば、孤立することはありません」
「私には、アルツハイマー病になってもこれまでどおり関わってくれる友人が何人かいます。ありがたいなあと思っています。私のことを一人の人として見てくれていると実感しています」
「より多くの人と出会い、多くの頼れる人とつながっていると、人生を豊かにする可能性が広がっていくと思うのです」
いろんな人との支え合うつながりを育てていれば、たとえ認知症になってもだいじょうぶ、と藤田さんは言います。
藤田さんは、そういう人たちを「パートナー」と呼んでいるようです。
人生にとって、一番大切なのはパートナーだと、私も思います。
お金はなんの支えにもなりませんが、友人は人生を豊かにし、生きやすくしてくれます。
私にとっては、これまで「パートナー」と言えば、節子のことでした。
しかし、もっと広い意味で「パートナー」を捉えたほうがよさそうです。
たしかに、わたしはたくさんのパートナーに支えられて、いまここにいる。
本の紹介を書いた私のフェイスブックに、藤田さんがコメントしてきました。
そこにこんな文章がありました。
自分で言うのも変かもしれないですが、
増刷にあたり読み返し、自分の言葉に励まされました。
過去の自分もまた、いまの自分のパートナーなのです。
私は、この挽歌を読み直したことはありません。
でももしかしたら、私が思いきり落ち込んだりした時に、この挽歌が私を元気づけてくれるかもしれません。
過去の自分や未来の自分が、自分のパートナーだとしたら、人はみなたくさんのパートナーを持っていることになる。
孤立している人などいないのです。
サロンに参加してくれた友人は、今度いつ湯島に来てくれるでしょうか。
待ち遠しいです。
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