■節子への挽歌4119: 電気ケトル
節子
電気ケトルが壊れてしまいました。
外出の途中で購入してきたのですが、どうもスタイルがピンときません。
結局、平均的なものにしてしまいました。
湯島のヤカンも、前から買い換えたいと思っていたのですが、前に買いに行ったら、笛吹きケトルはたくさんあるのですが、笛吹でないヤカンはどうも形が私好みではないのです。
それで結局、まだ買い換えていません。
今日も、探してみましたが、気にいるのがありません。
自宅にあるヤカンは、今は使っていないので、それを持っていこうかと思いだしています。
まあそんなことはどうでもいいのですが、節子がいなくなってから、買い換えた家具はそうありません。
しかし、買い換えたくなって、探しに行っても、あんまり気に入るのが見つかりません。
デザインや機能の面では、たぶん良くなってきているのでしょうが、私向きではないのです。
新たに購入して使っていると、すぐになじむことが多いのですが、最初はやはりちょっと抵抗があります。
節子仕様ではないからかもしれません。
わが家の食器類は、ほとんどが節子の時代からのものです。
私の好みもありますが、私たちはできるだけシンプルなものが好きでした。
節子のいたころは、家族数も多かったので、大きな食器も時々使いましたが、最近はそういう食器はあまり食卓には出てきません。
毎日目にするのは、いつものお決まりの食器です。
節子がいたころはよく陶器市にも出かけました。
節子がいなくなってからは、そういうこともあまりなくなりました。
娘たちに付き合って一度出かけたことはありますが、なぜか昔と違い、退屈でした。
そういえば、玄関マットやラグなどを探すのも、節子は好きでした。
そういう感じで、室内の雰囲気も時々、変わっていましたが、最近はあまり変化がありません。
湯島にいたっては、節子がいなくなってから、何一つ変わっていません。
玄関の造花も、もう来られなくなるからといって、節子がバラの造花を飾ってくれてから、全く変わっていません。
部屋の版画もコーヒーカップも、節子以来です。
昔は、時々、コーヒーカップも変えようと2人で探しに行ったものです。
いまは15年ほど前から同じものを使っています。
しかし、カップはかなり壊れ、いろんなものも買い替え時期に来ているのかもしれません。
湯島の椅子は、かなり限界です。
それも当然のことです。
今年は、節子の13回忌なのですから。
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