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2019年3月

2019/03/31

■節子への挽歌4160:今しかない人生

節子
久しぶりにユカと一緒に湯島に行ったのですが、帰りに湯島天神と不忍池を通ってきました。
湯島は合格祈願のお礼参りで、また不忍池は桜の時期で、いずれもたくさんの人でした。
あれだけ各地の桜を見に行ったのに、なぜか節子と上野でお花見をした記憶がありません。
そんなはずはないのですが、私の記憶からすっぽりと落ちてしまっています。
湯島の梅は記憶にありますが。

湯島天神の梅も上野の桜も、年々、人が増えています。
それなのに、なぜかそこに節子がいないのは、奇妙な気もします。

途中だったので、先日も来た長浜観音ハウスに、また寄りました。
いま展示されているのは、先日も書きましたが、高月町の日吉神社の十一面観音坐像です。
改めてまたしげしげと眺めてみたら、前回とちょっと表情が変わっていたような気がしました。
この数日の、私の心境の変化が影響しているのでしょう。
仏の顔は、観る人や拝む人の心次第です。

今日は午後から我孫子で用事があったので、上野は通るだけでした。
上野駅も混んでいました。
節子がいたころとは上野駅もかなり変わりました。
上野駅周辺も変わりました。
節子が来たら迷うかもしれません。

それにしても、節子と一緒に何回も上野を通ったのに、あまり寄り道をしなかったような気がします。
あのころは、まだ私自身が「仕事」に埋没していたのかもしれません。
そこから出ようとした、まさにそのタイミングで、節子のがんが発見された。
人生には今しかないのだと気づいたのは、私の場合、少し遅すぎました。
しかし、それは、過去の話ではなく、いまもなお、そうなのでしょう。

今しかない人生と来世を確信している人生。
矛盾するようですが、いずれも大切にしなければいけません。

 

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2019/03/30

■節子への挽歌4159:「意味がない無意味」

節子
「意味がない無意味」という書名に惹かれて、千葉雅也さんの本を読みました。
私にはなかなか消化できない内容の本ですが、どこかに惹かれるものを感じて、理解できないまま読み終えました。
理解できていないのですから、読み終えたというのは正しくはないのですが、
ただ、こうした消化できないまま何となく読み進んでしまうのも、私の読書法の一つです。
わからないままにも、断片的な刺激を受けて、何となく自らの考えを意味出してしまうという、おかしな読み方です。

本書にも気になる言葉がたくさんありました。
たとえば、「エビデンシャリズムの蔓延は一種の責任回避の現象」、「コミュニケーションの不可避な失敗」「行為の本質とは、「頭空っぽ性」」などという言葉には、思いを広げてしまいました。
また「荘子」に出てくるに「胡蝶の夢」の話も出てきます。
「胡蝶の夢」については、挽歌の早い時期に書いた記憶がありますが、死とは何か、生きるとは何かを考える深い示唆を感じます。

しかし、何よりも私が興味を持ったのは、書名である「意味がない無意味」という言葉です。
この言葉と合わせて、「意味がある無意味」も語られています。
また本書では語られていませんが、当然「意味がない意味」や「意味がある意味」という表現もできるでしょう。

そして、そもそも「意味」の主体はなんなのか、つまり「意味」とはだれにとってのものなのかも大切なテーマです。
この点は、本書では語られていませんが、視点を気まない「意味論」は、私にはまったく無意味に思えます。
しかし、そんなことを言い出したら、本書の意味が全く否定されかねませんが、それはそれとして、本書を理解できなかったことは棚に上げて、本書から刺激された思考は読後広がりだしています。
言い換えれば、本に書かれていないことを読んでしまうのが、私の一つの読書法なのです。

私の最近の人生も、そしてこの挽歌も、「意味がない無意味」を含む典型的なものかもしれません。
しかし、にもかかわらず、私にはとても意味があるのです。
というわけで、これからもこの挽歌を続けようと改めて思いだしました。

まさに今日のこの挽歌は、「意味がない無意味」な文章ですが、「意味がないこと」は「意味があること」だということを勝手に合点してしまったのが、この私には不得手な本を読んだ結果です。

ちなみに、また「荘子」も読んでみたくなりました。

 

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2019/03/29

■節子への挽歌4158:みんなの場所

節子
また冬に戻ってしまったような寒い1日でした。
春になったら元気を出そうと思っているのですが、なかなかそうはさせてもらえません。
寒さは、どうも心身を縮みさせてしまうようです。

いまは不思議な時代です。
ネットのおかげで、日常の生活もパラレルワールドを生きているようです。
現実にある会話をしながら、ネットではヴァーチャルに別の人とチャットするということもできるわけです。
私はそこまでにはなっていませんが、実際のミーティングの合間に、ちょっとだけそこにいない誰かとやり取りすることはあります。
自宅のパソコンで仕事をしながらも、時々、気分転換にメールやFBをチェックしながら、まったく別のやり取りをするくらいは私にもできます。
そうしたやりとりの中には、うれしい話もあれば、気分が重くなる話もあります。
まあいってみれば、複数の生活を同時にしているというわけです。

そういう意味で、今日もまたいろんな人とのつながりがありました。
それに、新しい出会いもありました。
ネットの世界は、実に興味深いものがあります。
気になった人に思い出したようにメールをすると、それがきっかけで会うことになる。
同じような感じで、先方からメールが来ることもある。
別に何かがあったからではなく、お互いにそれぞれちょっと思い出しただけでしょう。

そのやり取りを通して、また「迷い」が出てきてしまいました。
そうしたやり取りの結果、会うことになると、湯島の効用が大きいのです。
先方から湯島に行くという連絡があることもあれば、私から湯島に来ませんかということもある。
湯島だと安心して会えるのです。
私が目指してきた「みんなの場所」という感覚が、自然とシェアされているような気がします。

数年も音信不通だった人が、突然に湯島を訪れてきたこともあります。
私が不在で、メモを残して帰った人もいる。
運よく私がいて、再開を果たした人もいる。

そういえば、私のホームページを見て、湯島を訪ねてきてくれた人が、私が不在で部屋がロックされていたため、私に読ませたい本を置いて行ったこともあります。
その人の連絡先が分からずに、まだお会いしていませんが、忘れたことはありません。
こうした「みんなの場所」を、維持できなくなったからといってなくしていいのか。

実は節子がいなくなった時に、湯島を閉鎖しようと思ったことがあります。
その時には、サロンの常連の数名が、残してほしいといったので何とか残しました。
そのおかげで、いまの私があるといえるかもしれません。

そう考えると、この場所は残しておきたいとも思います。
宝くじでも当たらないものでしょうか。
たぶんサロンの参加者に声をかけたら、湯島基金は集まるでしょうが、それができたらできたで、ますます私の生き方を切り替えるのは難しくなるでしょう。

悩ましい話です。
とりあえず椅子を買い換えるのはちょっと延期しようと思います。

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■「社会的セーフティネットの構築」(岩崎久美子編)をお薦めします

児童虐待に関する報道が相変わらずつづいています。
問題が顕在化されてきたのはいいとしても、相変わらず「児童虐待」そのものに目が行き過ぎて、社会全体への視野が広がっていかないのが残念です。
こうした傾向は、ほぼすべての社会問題に言えることですが、事件は事件として対処していくとして、その背景にある社会全体の状況への視野と自らの生き方の見直しとが大切ではないかと思います。

それに関連して、1冊の本を紹介させてもらいます。
子どもの貧困を意識した教育格差是正のための社会的セーフティネットを取り上げている「社会的セーフティネットの構築」(岩崎久美子編 日本青年館 1500円)です。
基礎になったのは、国立教育政策研究所の岩崎久美子さんたちが進めてきた「教育格差是正のための社会的セーフティネットシステム形成に関する総合的研究」です。
研究の目的は、子どもの貧困など、家庭の社会経済的背景に由来する教育格差の拡大が社会問題化している中で、諸外国における政策介入の効果や多様なパートナーの連携によるセーフティネット形成の実例を参考に、わが国の施策に資する知見の提供」です。

私は、本書の出版に関わった「社会教育」編集長の近藤真司さんからこの本を贈ってもらい、読ませてもらいました。
「社会的セーフティネット」というと、多くの人は高齢者や障害者、あるいは失業や病気や事故で、生活が維持できなくなった人の問題をイメージするかもしれません。
しかし、本書で取り扱っているのは、子どもの貧困や教育格差の問題です。
しかも、実際の現地取材をもとに、アメリカ、フランス、イギリスの事例がたくさん取り上げられていて、とても示唆に富んでいます。
あわせて日本の事例も幅広い視野で紹介されています。
抽象的な政策論ではなく、現実の事例から政策の方向性を示唆しているところがとても共感できます。

子どもの問題は、「保護者」や「家庭」、さらには「学校」という存在に隠されて実状がなかなか見えてこない上に、当事者が声を上げにくいため、政策の焦点にはなりにくいですが、子どもの問題は「子どもだけの問題」ではなく、社会の実相を象徴すると同時に、その社会の未来を示唆する「社会全体の問題」です。
社会のひずみは、子どもの周辺で露出してきますから、子どもの幸せや貧困を見ていくと、社会の矛盾が見えてきます。
逆に言えば、子どもの世界から、未来の社会の可能性も見えてきます。
ですから、すべての政策の起点は「子ども」であるべきではないかと、私は思っています。
本書は、そうした視点から、とても示唆に富む、実践的な書だと思います。

書名を「社会的セーフティネット」としているため、そうした内容が伝わるかどうか不安があり、それが本書を紹介する気になった理由です。
昨今の社会的セーフティネット議論には「子ども」を主軸にした議論が少ないと感じている私としては、本書をたくさんの人に読んでほしいと思います。
事例がふんだんに紹介されていますので、読みやすく、実践的です。

政策は政府や行政機関だけで生まれていくものではありません。
国民の関心や働きかけが、政策を変えていきます。
その意味でも、政策立案関係者だけでなく、多くの人たちに本書を読んでほしいと思います。

日本では、「子どもの貧困元年」とされる2008年から、10年以上が過ぎていますが、今なお子どもたちを取り巻く環境は改善されているようには思えません。
福祉やセーフティネットと言えば、どうしても高齢者に目が向きがちですが、子どもこそが起点になるべきではないかと思います。

できれば、このテーマでのサロンも開きたいのですが、どなたかやってくれませんか。

 

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2019/03/28

■節子への挽歌4157:惰性から抜け出すむずかしさ

節子
今日は久しぶりに手賀沼のほとりにある水の館に行きました。
そこに市役所の環境関係の部署の事務所があるのですが、そこの友人に会いに行ったのです。
これまでもいろいろとお世話になった方です。
我孫子での活動を少ししっかりと取り組もうという思いもあって、一緒に取り組みつつある若い友人と一緒に雑談に行ったのです。

水の館は、節子が元気だったころ、何回か行きましたが、中身はどんどん変わってきています。
思い出せば、ここにもいろんな記憶があります。
水の館の周辺も大きく変わってきていますが、節子がいなくなってから、我孫子市内もあまり行動しなくなったことに気づきました。
毎年来ていたあやめ園もなくなりましたし、手賀沼沿いの散歩道もきれいになりました。
節子が病気になったころは、リハビリを兼ねて、毎朝サイクリングに来たり、散歩に来たりしていましたが、この10年以上、湖岸沿いの道を歩いたことはありません。
私自身の行動範囲が狭くなってしまっているのです。

用事が終わった後、一緒に行った若い友人と水の館の中にあるカフェで少し話しました。一緒でした。
彼に、サロンをやめようと思うと話したら、いつかいま取り組んでいることをサロンで話したかったのにと言われてしまいました。
こう言われてしまうと決意は揺らぎます。

そういえば、私も彼にいつか話してよと頼んでいたのを思い出しました。
彼だけではなく、いろんな人にいつか湯島で話したらといってきています。
それなのに、今ここで、サロンをやめてしまったら、なんだかみんなを裏切ってしまうような気もします。

生き方を変えるということは、なかなか難しいものです。
いろんなことを考えてしまうと、人生はどうしても惰性に流されてしまいます。
特に私は性格的にそういう面があります。

会社に入った時のように、節子と結婚した時のように、会社を辞めた時のように、思い切って生き方を変えなくてはいけません。
若いころは、その断絶が私には魅力でした。
しかし、いまの私にそれができるかどうか、いささかの心配はあります。

生き方を変えたくても変えられずに、惰性で生きて、死んでしまう人は、きっと多いでしょう。
そうならないようにしなければいけません。

 

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■節子への挽歌4156:第4期への移行

節子
第4期に移行することに決めました。
決断が遅すぎました。

私は四半世紀単位で生き方を変えようと、会社を辞める時に決めました。
ちょっと「短い四半世紀」の子ども時代と学生時代を社会に育てられ、次の「ぴったりの四半世紀」を会社人として暮らし、平成元年に社会人として生きる「長い四半世紀」を過ごしてきました。
節子が元気だったら、3番目の四半世紀も25年にしたかったのですが、25年過ぎてもだらだらと同じ生き方を続けてきました。

心の揺らぎが出てきたのは今年に入ってからですが、この1週間で、心境が大きく変わりました。
昨夜から今朝にかけて、半分眠りながら考えた結果、平成も終わる今年こそが「長い第3四半世紀」を終わるのにふさわしいと思いだしました。
それにいささか今の生き方にも疲れてきました。

湯島のサロンも6月で終了を考えたいと思います。
せっかくいろいろと面白い動きも出てきたところですが、場所を維持するのも大変になってきました。

時間をかけて、CWSコモンズ村を育て、部屋もシェアしていきたかったのですが、またまた挫折する結果になってしまいました。
しかし、人生には「潮時」というのがあるのでしょう。

会社は事実上、活動していませんが、遅くも来年には収束します。
いま取り掛かっているプロジェクトの関係で、しばらくは形式的に存在させておく必要があるからですが、できるだけ消えるようにしていこうと思います。
平成と共に始まり、平成と共に終わることにしなりました。

第4期をどういう生き方にするかは、いろいろと考えていますが、うまくまだ整理できません。
会社を止め、サロンを止め、仕事も止めるので、今以上にお金は不要になりますが、人と会わない生き方が、私にできるかどうかは心配です。

頭の中だけで考えているとまただらだらとしかねないので、節子には報告しようと思い、挽歌に書きました。
友人たちにはどう説明しようか、少し頭が痛いです。

第4期は、湯河原ではなく、我孫子の場を選ぶことにしました。
これは「たぶん」ですが。

 

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2019/03/27

■節子への挽歌4155:人が好きなのか嫌いなのか

節子
一人で生きていける人と一人では生きていけない人がいます。
今日、お昼を一緒に食べた若者は、家族とはほとんど付き合いがないそうで、驚きました。
一人でも全くさびしくないと言っていました。

ところで、私が今日気づいたのは、一人で生きていける人ほど知人友人と一緒に行動している人が多く、一人でいる時間はむしろ少ないのではないかということです。
逆に、私のように、一人では生きていけない人間は、知人友人と行動を共にすることは少なく結果として一人でいる時間が多いのではないか。

いささかややこしい物言いですが、こういうことです。
私は誰かとお酒を飲んだり一緒に旅行に行ったりすることはさほど好きではありません。
しかし、「いまここに」ではなくとも、いざとなったら私を全面的に受容する人の存在を実感できないと不安がつきまといます。
そういう存在があれば、一人でいることも苦痛ではありません。
行為は一人でやるが存在は一人ではないという実感が持てるといってもいいかもしれません。
四国遍路の同行2人という感じでしょうか。
私にとっては、いうまでもなく、それは節子なのですが、別に現世に存在しなくとも大丈夫です。
そう思えるようになったのは、つい最近なのですが。

私は、人が大好きだと思っていますし、事実、2~3日、誰とも合わないと誰かに会いたくなります。
しかし、本当は人間嫌いなのではないか、という思いもいつも心のどこかにある。
人に会うと、いろんなことが起こり、頼まれてもいないことをしたくなってしまう。
いや、したいわけではなく、「知ったことの責任」が発生し、自分でできることを探してしまう。
若いころは、それなりにできたのですが、いまは「思う」だけで、なかなか実践につながらない。
そうなると負担感がどうしても残ってしまう。

もしかしたら、そうした負担感を補償するように、最近は、人に「利用」されているのかもしれないと思うことが増えている気がします。
かつて何人かの人たちに、利用されているんじゃないかと注意されたこともありますが、最近、やはりそうだったのかと思うこともすくなくありません。
事実、それなりの被害も受けていますが、最近はそれを心静かに受容できなくなってもいます。
普通の人とは、反対かもしれません。

今日会った若者は、家族とはつながっていないのに、明るい顔と声をしていました。
若さのせいでしょうか。
最近、どうも生きることへの迷いが生まれてしまっています。

困ったものです。

 

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■節子への挽歌4154:迷い

節子
春らしい陽光が降り注ぐ気持ちのいい朝です。
にもかかわらずどうもわくわくする気分が出てこない。
なぜかといえば、最近少し迷いがあるのです。
やはり人生の第3期が長すぎたのかもしれません。
いまは惰性で生きているのではないかという迷いです。

収入を伴う、いわゆるビジネス的な仕事を辞めてからもう15年ほどになります。
にもかかわらず、なぜか会社を続けてきました。
ビジネスもせず、ほとんど収入もないのに、惰性で会社を続けてきたわけです。
ある意味では、それが私のよりどころだったのかもしれません。
会社は、そして一応、そのオフィスである湯島の部屋は、私と社会とのつながりを維持してきてくれました。
だからこそ、今の私があるといえるでしょう。

しかし、どうして会社を続けてきているのかは、明確な答えがあるわけではありません。
会社やオフィスを持続するにはそれなりの費用も関わりますが、その費用が会社やオフィスから捻出できるわけでもありません。
最近、会社の継続手続きをしなかったために(知らなかったのですが)、過料請求を受けました。
また会社の椅子なども30年もたつと壊れだしてきていて、それを買い換えるとなると50万近くかかります。
椅子はある人が一部負担してくれるといっていますが、果たして買い替えても、いつまで湯島の活動を続けられるかはわかりません。
購入費用を負担してもらえば、勝手に湯島をたたむこともできなくなります。
湯島は一応、所有しているのですが、管理費などが毎月3万円ほどかかり、そのうえ、固定資産税などの負担もあります。

昨年までは、この湯島の活動を持続し、場所も保持しようと思っていたのですが、最近は、購入したいという問い合わせが多いのです。
オリンピックのおかげかどうかわかりませんが、かなり高額で売却できそうです。
いま売却すれば、借金は解消し、手元にも数百万円残ります。
湯島に行って仕事などしなければ出費もなくなりますし、時間にも余裕ができます。

最近、体力も気力も弱っているせいか、湯島を売却して、娘たちへの借金を返し、あとはのんびり過ごすのもいいのではないかと思いだしました。
こんなことを考えるようになったのは今年に入ってからです。
それまではむしろ新しい事業を始めようとか、会社まで作ろうかというような気分だったのです。
どこでどう変わったのかは自分でも明確にはわからないのですが、まあこの1~2か月の間です。

貯金が底をつきだしたこともあるかもしれませんが、それだけではありません。
会社をやったりオフィスを持っていたりすると、いろいろと面倒なことが起きるからです。
人の嫌な面を見ることも少なくありません。
もちろん、人の良い面を見ることも少なくないのですが、心に残るのは嫌なことのほうなのです。
これも生命力の弱まりのせいかもしれません。

湯島をたたんで、隠棲にはいる潮時かもしれません。
そんな迷いの一方で、新しいプロジェクトの誘いに心を動かしてしまう自分がいる。

人は、死ぬまで迷い続けるのでしょうか。
孔子は本当に不惑を迎えたのか、なぜ私は不惑から抜け出られないのか。

春を超えるころには、迷いからも抜け出られるといいのですが。

 

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2019/03/26

■節子への挽歌4153:高月町井口の円満寺阿弥陀堂の十一面観音坐像

節子
先日、骨董市のついでに、すぐ近くの長浜観音ハウスに寄りました。
節子の生家の高月町の円満寺の阿弥陀堂の十一面観音など5つの仏が来ていました。
先日お会いした「いも観音」とは、まったく違う感じです。

円満寺も私たちは行ったことがありませんでしたので、今回の十一面観音にも私は初めてお会いしました。
実に端正な仏です。

円満寺の阿弥陀堂には近隣の日吉山王二十一社から仏たちが集められているようですが、中にはもしかしたらどこかで見たことのあるような仏もいました。
今回は、5体が展示されていましたが、写真でも感ずるように、何となくおかしな組み合わせで、ちょっと違和感がありました。
十一面観音坐像だけのほうが、きっと感ずるものが強まったような気がします。

高月町界隈には、己高山仏教・十一面観音信仰というのがあったようで、もし節子が元気でいたら、いつか一緒に調べてみたいと思っていました。
己高山のふもとには何回か行きましたが、行くたびに雰囲気が変わっていて、不思議な深みを感じさせるところでした。
この挽歌でも前に書いたことがあるかもしれませんが。

節子が元気だったころにそこの道を歩いていた小さな沢蟹を捕まえて自宅に連れてきたことがあります。
しばらくして戻ってしまいましたが、なぜ道の真ん中を一匹だけ私に出会うように歩いていたのか不思議でした。
次に行ったときには、沢蟹に会うどころか、なんだかきれいになりすぎて、仏を感じませんでした。
おそらくもう行くことはないと思いますが、それにしても今回拝顔した十一面観音は丸顔なのに気高さを感じます。
四方から拝めるスタイルでしたので、後と横からも写真を撮らせてもらいました。

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小さな像ですが、渡岸寺の観音よりも聖なるものを感じるような気もします。
いや、それは私の最近の心の表れかもしれません。
仏は、観る人の心の状況で表情を変えますから。
期間中のもう一度、拝顔して、それを確かめてみようと思います。

 

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■節子への挽歌4152:椿

節子
どうも寒さが戻ってきてしまったようです。
天気予報ほどには温度が上がらず、なかなか春を感じません。
昨年は、今頃はもう近くのあけぼの山は桜が咲いていたのですが。

節子がいなくなってからわが家の庭はいささか悲惨な状況になっています。
サクランボの木をはじめ、いくつかの木が枯れてしまい、つつじも全滅です。
池は荒れ放題で、裏のバラは伸び放題。
困ったものです。

昨日、ユカがその荒れ果てた中から大きな花をさかせている椿を見つけました。
私も見たことのない椿の花です。
別のところに別の椿は咲いていますが、この椿は記憶にありません。



私やユカよりは庭の花木のことを知っているジュンに聞いたら、ジュンもこんな花はなかったはずだといわれました。
鳥が持ってきてくれたのかもしれません。
椿の生命は鳥によって守られているというのは私も聞いたことがあります。
なぜ気づかなかったかと言えば、別の木の葉の茂みに隠れていたからです。
いかにわが家の庭が荒れているかがわかってしまいます。

ユカがその椿の花を2輪活け花にして、節子に供えました。
15センチ近い大輪の花は斑入りです。

今朝も元気に咲いていたのですが、私の目の前で、一輪が「バサッ」と音を立てて突然落ちました。
椿は別名「首切り花」とも言われます。
花弁が1枚ずつ散っていくサザンカと違い、花ごとポトリと突然に落ちるのです。
これには意味があるのですが、近世では、そのため椿は縁起の悪い花といわれるようになりました。

しかし、古来、日本では、椿は魔除けの力を持つとされていました。
それに、椿の葉は厚く艶やかなので生命を感じさせ、古代では神の依代となり春の訪れを告げる木とされていたとも言われています。
そもそも椿(つばき)の語源は「艶葉木(つやばき)」から来ているそうです。

椿には、生の象徴も死の象徴も宿っているのです。

私は椿は好きですが、最近はあまり人気がないようです。
椿の花が落ちている風景も私は好きですが、枯れていくさまが汚いと思う人もいるのでしょう。

ところで昨日見つかった椿の花は斑入りです。
図鑑で調べましたがよくわかりません。
蜀紅のような気もしますが、葉の形が違います。
雪椿ではないかと教えてくれた人もいますが、椿にはたくさんの種類があるので、よくわかりません。

今年はもっと暖かくなったら、庭の手入れを始めようと思います。


 

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2019/03/25

■節子への挽歌4151:知の衰え

節子

昨日、生命力や体力の衰えを感じてきていることを書きました。
しかし、衰えはそれだけではありません。
認めたくはないのですが、知力の衰えもまた否定できません。
それは、「名前が出てこない」とか「物忘れが多くなったとか」、そんなレベルの話ではありません。
ひらめきというか、論理を超えた理解力というような、知の活動力の時空間がなんとなく生き生きとしていなくなったという感じです。
後で考えると、なんでそんなことに気づかなかったのかと思えることが増えてきている気がします。

それと時間感覚がどうも躍動的ではありません。
時間の流れがいかにも遅い。
いや逆に言えば、自らの時間感覚が緩やかになってきているために、時間のたつのが速いのです。
自分が時計の時間に追いついていけないのです。

こうしてみんな土に戻っていくのでしょうが、生命の時間とは違う時間感覚が生まれだしているといってもいいかもしれません。
それを「知の衰え」と言うか、「知の熟成」と言うか、物は言いようですが、もし「自分」という存在があるのであれば、明らかに、その「自分」の時間は歩みをゆるめています。
逆説的ですが、だから時の進みがとても速い、あるいは時間の密度が粗いのです。
それが、最近の充実感や倦怠感にもつながっているのかもしれません。
しかも、そうしたことが下方向きのらせん状に起こっている感じなのです。
まあ、そういうことが「生命力」の衰えというのでしょうが。

こういう意識を強めているのは、半年くらい前からです。
残念ながら、知や生命の衰えをカバーしてくれるものはありません。
むしろ抗うことなく、静かに対応していくのが一番いいでしょう。
それが人生を熟させていくことなのかもしれません。
強さとは違うしなやかさは、そこから生まれるのかもしれない。

この1週間、ある小論を何回か読んでいます。
しかし、その小論からうまく著者のメッセージを汲み取れないでいます。
知識や情報の不足のせいでは、たぶんないでしょう。
しかも、そんなに難しい文章でもない。
にもかかわらず、書き手の思いがどうも理解できないのです。
そして、それを読んでも自らの思いを育てられない。
短い論文なのに、何回読んでも汲み取れない。

知の衰えを感ずるのは、当然とはいえ、少なからずの衝撃です。
春になったら、知力は戻ってくるでしょうか。
成熟した知になって。

 

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■湯島サロン「腎臓透析中止の報道に接して考えたこと」報告

「腎臓透析中止の報道に接して考えたこと」サロンには6人が集まりました。
「死生観と医療のあり方」というテーマを設定していましたが、正面から大上段に取り組むのではなく、この事件の感想からそれぞれが話しはじめて自由に話し合いました。


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生命はだれのものか、というのが一つの論点でした。
「生命は自分のもの」と考えるか、「大きな生命の一部を預かっているだけ」と考えるかで、死生観は全く違ってきます。
また、生前や死後の世界をつなぐ「魂」を仮定するかどうかでも、死の意味は変わってきます。
こうしたことは、湯島のサロンでは時々話題になるテーマです。


生死に関することは状況によって変わってくるため、どの時点での考えを基準にするかは難しいという話も出ました。
話題になっている今回の事件に関しても、当人の意思は二転三転していると報道されています。
生命に関する「意志表示」は、どの時点を優先するかで変わってきますが、少なくとも一度決めたことに縛られるという考えは、それこそ生命的ではありません。


生命という、まさに「生きつづけていること」を、特定の瞬間の判断に、無限定にしばりつけていいかは、そう簡単には決められません。


医療行為に関して患者や家族にしっかりと説明して合意を得るという「インフォームド・コンセント」も、実際にはそう簡単ではありません。
医療に関する情報が圧倒的に違う医師と患者が、患者主役の話し合いで合意するということが、実際にはいかに難しいかは、体験者であればわかると思います。


それと同じように、過剰な医療行為という言葉はあっても、何が「過剰」かは、現実の場では判断がとても難しい。
延命行為と苦痛の除去の話も出ました。
両者は重なったり、相反したりすることもありますが、医療にとって何が一番優先されるかは明らかではないかという話もありました。


さらに医療の進歩ということを考えると、問題はますます複雑になる。
透析の辛さや効果も将来変化しうるとすれば、今は希望がなくとも、希望が出てくることもある。
医療技術は常に動いているからです。
それは腎臓透析に限った話ではありません。
それに生命現象は、今の知見の範囲での論理を超える可能性もある。


ほかにも関連して、いろんな話がでましたが、たとえ生命が自らのものであるとしても、周りの人や社会とつながっての生命である以上、死の選択はそう簡単な問題ではないと思います。
こうした問題は、また機会をつくって、話し合っていきたいと思います。


 

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■湯島サロン「万葉集の多様性ー古代和歌の魅力」報告

新たにスタートした「万葉集サロン」は15人で始まりました。

升田さん(昭和女子大学名誉教授)をガイド役にして、継続的に開催していく講座的なサロンです。

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今回は最初なので、総論的に、いろいろと面白い話が予告的に提出されました。

まず、万葉集の成り立ちや構成、時代背景の解説、そして、実際の万葉集の表記(万葉仮名)の説明がありました。

万葉集の成り立ちに関しても、文字を知らない人たちの歌を編纂チームのメンバーがどうやって集めたのか、どうやって選択したのかなど、いろいろと質問したくなるような話もたくさん出ました。

まだまだ読み解けていないところもあるという話も面白かったです。

古写本の表記スタイルもからコピーで見せてもらいました。

後半では、額田王の歌とされている「熟田津に 舟乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」の歌を事例に、歴史とのつながりを紹介してくれ、万葉集の世界を少し垣間見せてくれました。

話の骨子だけでもきちんと記録を取っておけばよかったと反省しましたが、記録をとる習慣がない私には話の概要を紹介するのは無理なので、いつものように私が刺激を受けたところを報告をさせてもらいます。

万葉集の魅力は多様性にある、と升田さんは(たぶん)話されました。

今回お話を聞いて、その多様性を私はやっと理解できました。

そしてその多様性こそが、時代の大きな変わり目の象徴だと気づかされました。

その多様性が次第に整理されていく過程も万葉集から見えてくるのかもしれません。

いうまでもありませんが、「文字」こそは「多様性」を統合していく最大の手段です。

文字にする前には、声にだし、みんなで歌いあって、歌が生まれてきた。

それぞれの声が生命のリズムにのって、それぞれの心の揺れが重なっていく。

そうしたなかで、個人の覚醒が起こるとともに、心のつながり(集団)が生まれてくる。

「ホロン」という概念(個でもあり全体でもある)がありますが、歌によって個人の覚醒が起こり、歌によってその個人がつながっていった。

さらに、それが「文字」にされることで、個人の多様性が編集され、国家体制を生み出していく。

いささか飛躍的ですが、文字や歌の効用に関して、気づかされることが多かったです。

文字や言葉は、「つなぐ」ためのメディアですが、人と人だけではなく、自然や「天意」と「人」をつなぐものでもあります。

アメリカの心理学者ジュリアン・ジェインズは、人間の意識は今から約3000年前に生成し、それ以前の人間は、意識の代わりに二分心(右脳と左脳)を持つことにより、社会生活を成り立たせていたと提唱しています。

古代人の心は、神々の声を出していた部分と、現代で言う意識している心とに分かれていた。

古代ギリシアの『イーリアス』(有名なトロイ戦争が書かれています)は、そうした二分心時代の人間を描写した代表的な文献だというのです。

そう思って、『イーリアス』を読むととても納得できますが、もしかしたら万葉集にもそうした名残があるのかもしれません。

万葉集の歌には、「天の声」が含まれているかもしれません。

そして同時に、ジェインズが言うように、「言葉」の誕生の形跡がみられるのかもしれません。

サロンの報告を超えた話になってきてしまいましたが、こういう壮大な話をついつい思い出してしまうほどの、たくさんの示唆をもらったサロンでした。

もう一つ付け加えれば、例に取り上げられた、額田王の「熟田津に…」の歌ですが、それに関して、升田さんは(たしか)「女性は言葉の力が強い」といったような気がします。

そして、現代の社会は左脳重視の論理社会なのでどんどん窮屈になってしまっている、精神の自由を広げていくためにも、歌の効用に注目しようというメッセージをくれたような気がします。

「女性は言葉の力が強い」という点に関しては、私は異論がありますが、AI(人工知能)が社会を覆いだしている現在、改めて万葉集を読み直す意味に、私は初めて気づきました。

参加者の発言にもいろいろな気付きをもらえましたが、ひとつだけ紹介します。

平田さんは、「万葉集は新しい日本語(やまとことば)練習帳ではないか」という仮説を提出されましたが、なるほどと思いました。

なんだか「万葉集」とも、またサロン当日の話とも、違う内容の報告になったような気もしますが、お許しください。

ちなみに、連続サロンとしての万葉集サロンの第1回目は、518(土曜日)の午後を予定しています。

内容が決まり次第、ご案内します。
以後、隔月、原則として第3土曜日の午後に開催していきます。

継続参加されたい方はご連絡ください。

ゲストの名前も今回すでに出ていましたが、参加者(希望者)が自主発表することもできればやっていきたいです。
ちょっと大学のゼミ気分を味わうのもいいかもしれません。

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2019/03/24

■節子への挽歌4150:不忍池の骨董市

節子

久しぶりに上野の不忍池の骨董市を通りました。
先日、そこに行った友人からメールがあり、思い出したのです。

節子がいたころは時々立ち寄りましたが、節子がいなくなったからはすっかりご無沙汰です。

というよりも、そもそも湯島の帰りに不忍池を通ることがほとんどなくなったのです。

節子は骨董市のようなものが好きでしたので、時々付き合わされました。


節子は、陶器市や骨董市が好きでしたので、よく付き合いました。

私は最初は面白いのですが、すぐにあきるので、あんまりいい同伴者ではなかったでしょう。

不忍池から湯島のオフィスに行く途中にも、陶器のお店やちょっと面白そうなインテリアのお店がありました。

そういうところにも、時々付き合わされました。

そうしたお店は、節子が湯島に来なくなってからは、全くいかなくなってしまいました。

節子がいなくなってからは、私の生活も多様さを欠いてきているようです。

節子と一緒に歩いていると、私には気付かないことをいろいろと気づかされることも多かったです。

同じように、節子もまた私と一緒にいることで、たくさんの人生の寄り道をしたはずです。

ひとりで生きるよりも、伴侶を伴って生きることの方が人生が豊かになるのは、そうしたことの影響かもしれません。

しかし、時にそれが制約的になってしまうこともあるでしょう。

物事には常に両面があります。

夫婦よりも独り身の方が、豊かな人生になることもあるでしょう。

そういう人は私の周りにもたくさんいます。

ただ、私の場合は、幸か不幸か、伴侶のある生き方を選ぶことになりました。

そしてその伴侶がいなくなった。

その状況変化に、いまだに対応できていないのかもしれません。


不忍池の骨董地は、久しぶりに立ち寄ったのですが、場所も少し変わっていたのと、外国の人が多いのに驚きました。

うまく説明できませんが、雰囲気はかなり変わっていたような気がします。

出品されている商品も、ちょっと変わっていたような気がしましたが、何か興味をひくものは見つかりませんでした。

そのため通り過ぎるだけで、立ち止まることはありませんでした。


ちょうど花見の季節なので、不忍池の周りも混雑していました。

今日は日曜だったせいもあり、また桜も咲きだしたこともあり、人でいっぱいでした。

こうした人ごみを一人で歩くことは、最近はめったにありません。

どうしても早足になってしまう。

きっと周りのリズムとは違っていたでしょう。

そのせいか歩きにくかったですが、それはまるで生き方において、最近、生きづらくなったのと同じような気がしました。


上野公園の桜もだいぶ咲き出してきました。

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■節子への挽歌4149:生命力の衰え

節子

昨日のサロンでの「熱田津に・・」の歌の升田さんの解釈は、大学教授らしい正統派的で、しかも控え目の解釈でした。

まあ総論編だったので、あまり議論を広げることを自重したのかもしれません。

それに参加者の情報レベル-もさまざまなので、そこもきっと配慮したのでしょう。

そこがサロンでの話し合いのむずかしさなのですが、同時に、そこにこそ、サロンの面白さがあるのです。

なまじっか知識があると面白い話し合いは生まれにくいのです。


今日もまたサロンです。

先日話題になった腎臓透析を医師の「アドバイス」で中止して死亡した患者の報道を読んで、サロンをやりたくなって呼びかけた「生命とはだれのものか」を話し合うサロンです。

残念ながら参加者が一人だけしかいないので、中止しようと思いますが、その前に認知症予防関係の集まりがあるので、いずれにしろ朝から湯島です。

いささかいろんなことをやりすぎて、時間破産や思考破産に陥りますが、百姓的生活を志向している生き方としては、それなりに満足できる生き方なのです。

ただし、人との付き合いが多いと、いろいろとストレスも多いです。

昨夜もちょっと「うれしい」一方、「ストレス」を感ずる長電話がありました。

こういう生き方は退屈しませんが、精神的にはだんだんストレスを感ずるようになってきました。

生命力が衰えてきているのでしょう。


ちょっと懸念していた体調は回復しました。

しかし生命力と同時に、身体もまた衰えてきていることは言うまでもありません。

自らの限界を知るべき歳になってきたようです。


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2019/03/23

■節子への挽歌4148:鳥は死霊の使い

節子

昨日と一変して、今日はまた冬に戻ったようです。

昨日は20度を超えていましたが、今日は10度以上、気温も下がるようです。


今日は湯島で「万葉集」のサロンです。

少しは予習しておこうと斎藤茂吉の「万葉秀歌」を読もうと書棚や書庫を探したのですが、見つかりません。

代わりに、ちょっと視点の違う梅原猛や李寧煕の本などがいろいろ出てきました。

いずれも古い本ですが、懐かしい本です。

今日のサロンでは額田王作とされる有名な「熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ漕ぎ出でな」の歌をとりあげるかもしれないと聞いていたので、その関連の記事を読もうと思っていたのですが、間接的にですが、それを取り上げていた本がありました。

梅原猛さんの「さまよえる歌集」(1974)です。

それを読んでいたら、こんな文章が出てきました。

古代人にとって鳥はそのようなものではない。鳥は何よりもまず死霊の使いであり、あるいは死霊そのものですらあった。

節子が、「また鳥や花になって時々戻ってくるから」といっていたのを思い出しました。

古代においては、植物もまた人間の霊が宿る存在でした。

節子がそんなことを知っていて、この言葉を残したわけではないでしょう。

現世を離れる前になって、たぶん鳥や花への転移を感じたのではないかと思います。

節子が「蝶」ではなく「鳥」を選んだのがどうも不満だったのですが、こういうわけなら仕方がありません。


梅原さんの本には、こうも書かれていました。

古代人にとって、鳥と蝶とは大変近い関係にあるものである。

どちらも羽があり、それは遠い霊の国からとんでくるものと信じられていたのである。

ポイントは羽なのです。

黄泉の国にしっかりと根付いた植物と、そこから自由に飛翔する鳥や蝶。

彼岸の生活は、なんだか楽しそうです。


ちなみに、「熱田津に・・」の歌についての梅原さんの解釈は通説とは全く違います。

新羅に向けての勇壮な旅立ちの歌ではなく、軽皇子を悼む哀傷の歌だといいます。

さて、今日のサロンで升田さんはどういう解釈を示すか。

興味が高まります。

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2019/03/22

■節子への挽歌4147:結婚の立会人としてのアドバイス

節子

久しぶりにMさんとゆっくり話しました。

私たちが結婚の立会人をやったMさんです。

最近なかなか会う機会がなかったのです。

いろいろ話して2人が合意したのは、「お互いに全然変わっていない」ということでした。

良くも悪くも変わっていない、ということです。

いささか自嘲の意味を込めて。


忙しいのに、なぜか経済的な収入はなくて、Mさんは最近は半分以上が対価のない仕事になっているというのです。

奥さんも最近仕事をしていますが、なぜか利益につながっていないようです。

それで結婚の立会人として、アドバイスしました。

「それが正常なのだ」と。

私など、半分どころかほとんどすべてがそうだと、元気づけました。

そもそも「お金」のために仕事するのは、不自然ですから。

仕事をした結果、お金が入ってくるのは歓迎すべきです。

そのお金が入ってこないのは、子供の教育費がかかる時期には大変かもしれません。

しかし、お金をかけた教育が子供にとって良いことかどうかはわかりません。

とまあ、こんな話をしたのですが、こんな考えの人に結婚の立会人を頼んだのが不幸だったと思うしかないでしょう。

困ったものです。


そのMさんにまたお金にならない仕事を頼んでしまいました。

ますます困ったものです。

でも快く引き受けてくれました。


それとともに、今日は思いもかけなかった話を聞きました。

Mさんは、いつか僧籍か神職を得たいと思っているのだそうです。
仕事を辞めた後、誰かの役に立ちたいというのが、その理由です。

意外な話でした。

Mさんは教会で結婚式を挙げたのですから。


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2019/03/21

■節子への挽歌4146:血圧のせいかもしれません

節子

最近、酢たまねぎをさぼっていました。

どうもその影響が出てきているのかもしれないと、気づきました。

つまり高血圧の影響で、あんまり頭がすっきりしないのかもしれません。

気が付いたのは今日の夕方です。


降圧剤を飲まなくなってから、もう2年近くたちます。

最初はそれなりにいろいろとやっていましたが、最近は最後の酢たまねぎまでやめてしまっていました。

畑作業もめったにしなくなったので、これも影響しているかもしれません。

今さら降圧剤を飲む気にはなれませんが、明日からまたそれなりに対策に取り組もうと思います。

まずは血圧を測ることからですが、まあ今日は測るのをやめましょう。

面倒ですから。


そう思いついた途端に、身体は不思議と反応します。

手にしびれを感じ、頭の後ろが何となくもやもやしてきました。

まさに、病は気から、です。


今日は、のびのびにしていたホームページの更新をしようと考えていましたが、それもやめて、もう眠ることにしましょう。

明日から、血圧対策復活です。


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■湯島サロン「贈与と共生の経済倫理学」のお誘い

以前、私のホームページやフェイスブックで、折戸えとなさんの著書「贈与と共生の経済倫理学」を紹介させてもらいました。

昨今の生きづらい社会から抜け出るヒントが得られますので、多くの人にぜひ読んでほしい本です。

http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2019/02/post-6da3.html

しかし、難しそうな書名で、しかも厚くて高価な本ですので、そう簡単には読んでもらえないかもしれません。

最初は、本書を読んだ人たちでの読書会を想定していましたが、まずはその前に、本を読んでいない人も対象にして、本書からのメッセージを読み解くサロンを開くことにしました。


本書で題材に取り上げられているのは、有機農業運動に取り組んでいる埼玉県小川町の霜里農場の金子さんを中心にした、さまざまな人たちのライフストーリーです。

そこで語られている「生き方」の基軸は、金銭契約を超えた「お礼制」と功利的な関係を超えた「もろともの関係」に集約されます。

いまの時代では、冗談だとか時代遅れと思う人もいるかもしれませんが(私もそう言われてきています)、少し前までの日本人の多くの生き方だったのではないかと思います。

そして、そこに、これからの私たちの生き方のヒントがあるかもしれません。


最初に本書の紹介とそこに込められたメッセージを解説してもらい、つづいて本書を読んだ人たちから感想を話していただき、そこからみんなで、できれば自らの生き方につなげながら話し合えればと思っています。

解説は著者にお願いするのがいいのですが、著者のえとなさんは本書を仕上げた後、亡くなられました。

そこで、えとなさんと伴走してきた伴侶の折戸広志さんにガイド役をお願いし、併せて本書の舞台になった霜里農場の金子友子さんや編集者の大野さんにも参加してもらうことにしました。


できれば、サロンの前に本書を読んできてほしいですが、読んでいない方も歓迎します。

読んでいない方も議論に参加できるような、気楽な話し合いの場にしますので、気楽に参加してください。


若くして旅立った著者の折戸えとなさんに喜んでもらえるようなサロンになればと祈っています。

どうぞよろしくお願いいたします。


〇日時:2019年4月20日(土曜日)午後2時~4時半

〇場所:湯島コンセプトワークショップ

http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf

○話題提供:折戸広志さん(「贈与と共生の経済倫理学」著者のパートナー)

〇テーマ:「贈与と共生の経済倫理学」を自らの生活につなげて考える

〇会費:500円

〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com

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2019/03/20

■節子への挽歌4145:孫と一緒に墓まいり

節子

昨日はちょっと畑をがんばりすぎました。

夕方から体調に違和感があり、ダウンしてしまいました。

すぐに熱いお風呂に入り寝てしまいました。

それでなんとか今朝は復調しましたが、違和感は残っています。

そんなわけで昨日はお墓にいけなかったのですが、今日、孫が来たので、孫もつれてお墓に行きました。

母親のジュンは、工房でスペインタイルの教室をやっていたので、その合間にユカに連れて行ってもらったのです。

今回は、線香をあげるのと水をやるのと、にこもやるといって手伝ってくれました。

節子は見ていたでしょうか。

  

体調はまだ正常ではないですが、明日は回復するでしょう。

歳にはどうも勝てそうもありません。

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■節子への挽歌4144:幸せそうな花屋さん夫婦

節子

わが家から我孫子駅に行く途中のビルの一角に小さな花屋さんがあります。

節子が外出できなくなってからできた花屋さんなので、節子は知りませんが、1坪ほどの小さな花屋さんです。

節子の献花に来てくださった方に、ミニバラの鉢をお礼にさし上げた時期があったのですが、そのミニバラはその花屋さんに頼んで入荷してもらいました。

残念ながら、その花屋さんは間もなく閉店しましたが、すぐに別の方が同じような花屋さんを開店しました。

場所の関係もあって、たぶん維持するのは難しいと思っていました。

お客様が入っているのを見たことがありません。

だからきっとまたすぐに閉店ではないかという気がしていました。

わが家も、ミニバラ以降は、時々、ほとんど買いに行ったことはありません。


ところが、もう10年近くになると思いますが、いまもお店は続いています。

最初のころは女性の方が一人でやっていましたが、数年前から男性の方が一緒にいます。

たぶんご夫婦でしょう。

私よりも2まわりほど若いご夫婦です。

私が朝、駅に向かう時に、たぶん旦那さんの方が仕入れた花を自動車からおろしているのを見かけることがあります。

おふたりで花を並べたり、店内でお花の手入れをしたりしている姿も時々見ます。

奥さんがはじめて、会社を定年退職した旦那さんが手伝っているのかなと、勝手に想像しています。


あまり話している姿を見たことがないのですが、一緒に作業している姿を見ると、とても幸せそうな雰囲気が伝わってきます。

ちょっとうらやましいです。

まだ私は、お2人に話しかけたことはありませんが、豊かな人生なのだろうなと思います。

私には、もうやってこない「幸せ」です。


勝手な想像では、この花屋さんのお店は、金銭的には赤字ではないかと思います。

でも、視野を広げれば、たぶん大黒字なのではないか。

そして、それがきっと長い目で見れば「金銭的」にも黒字になっているはずです。


私は会社を辞めてから、仕事は「お金がかかること」と考えるようになりました。

お金がかかっても、もっと大きなものを得ることができる。

花屋のお2人は、きっとそうした「仕事」をされているのだろうなと思います。


節子がいたら、そうした仕事を人生の最後まで一緒にやりたかったのです。

そういう仕事は、一人ではむずかしい。

それがとても残念です。

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2019/03/18

■節子への挽歌4143:弱さと強さはコインの裏表

節子
今日は3組の人とのミーティングでした。
それぞれにかなり深刻な問題を抱えている人たちです。
それも、自らも含めて周辺の人たちの生き方にも関わるような問題に取り組んでいる人たちです。
問題の性格は、3組とも全く違いますが。

3組ともというわけではありませんが、最初の人と最後の人は、いろんな意味で自分の思いしか見えていないような気がします。
いずれも以前から付き合いのある人ですが、わが道を行くというタイプですが、そのスタイルはむしろ真反対です。
一方は一匹狼的な実践者、もう一方は組織のリーダーです。
いずれとも2時間ほど話しましたが、形は違うものの「自分だけで生きている」ような感じがあります。
ひとりだと結構大変だろうなと思いますが、信頼できる仲間を2人はつくらないと大きなパワーは出てこないといっていますが、それが難しい。

もうひと組みは今回、偶然に会った人たちです。
その前に、その中の一人と1時間ほど2人だけで話す機会がありました。
私の生き方を少しだけ話させてもらいました。
それに反応してくれました。
初対面でも、心が通じ合えるような気がして、なにかとてもうれしい気分になりました。
私が元気なのは、「自分だけで生きている」のではなく、いろんな人に弱味を見せながら、支えられているからでしょう。

今ちょっと困っていることがあることをフェイスブックに書いたのですが、その人は私が頼みもしないので、私を助けてくれると別れる時に行ってくれました。
弱味をさらけ出せば、誰かが助けてくれる。
弱い人ほど、何かができるのかもしれないと、改めて気づきました。
私が今も、ささやかに社会とかかわりを持てるのは、私が弱い欠点の多い人間だからなのでしょう。
今日会った、最初と最後の人は、強い人間でパワーもあるので、それがきっと弱さになって苦労しているのかもしれません。

弱さと強さは、コインの裏表です。

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■節子への挽歌4142:同世代の人たち

節子
同世代の友人ががんになったと連絡を受けました。
この歳になると、この種の連絡は少なくないのですが、最近は「風邪を引いた」くらいの感じで受け止めています。
そのうち、がんよりも風邪の方が心配になるようになるかもしれませんが。

もっとも同じ世代でも相変わらず元気いっぱいの人も少なくありません。
今朝もその一人から、今日の夕方会えないかと連絡が来ました。
残念ながら今日は目いっぱい予定が入っていてだめなのですが、近いうちに会おうと思います。

もっとも、元気であろうと病気であろうと、いずれにしろ「現世」からはそう遠くない時期に旅立つという点では共通しています。
それが、意識しているかどうかとは関係なく、生活行動に表れてくるように思います。
私だけかもしれませんが、現世の先が少しずつ感じられてくるということもあります。
いずれにしろ、考え方が変わってきます。
自分の生きてきたあかしを確認するかのように、友人に会いたくなる人もいるようです。
最近、時々、そうした人が訪ねてきます。
私も、以前、そういう気になったことがありますが、いまはあまりありません。
また「向こうの世界」で会えるだろうという感じが強くなってきているからです。
それに、現世であったところで、何を話すのか。

同世代の人の生き方を見ていると、自分を見ているようなことも少なくありません。
人は「たくさんの自分」を持っていますが、私が選択しなかった自分を生きている人もいれば、自分には気付かなかった生き方をしている人もいます。
さて、私の生き方は、同世代の人にはどう映っているのでしょうか。

いや、なによりも、彼岸にいる節子にはどう見えているでしょう。
そう思うと、ますます素直な自分を生きないといけないなと思います。

と、ここまで書いてきたら、今、電話がかかってきました。
元気いっぱいの人がやはり今日、会いたいというのです。
なんとか時間を調整して、ちょっとでもあわなければいけません。
こうしたことを怠って、ついに会うことがかなわずに、先だった人のことは、今でも後悔しています。
誘われたら会わなければいけません。
何やら矛盾したことを書いてしまったような気もしますが、まあそれがこの世代の特徴かもしれません。

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2019/03/17

■節子への挽歌4141:畑を耕してきました

節子
昨日は、徹底的にのんびりしました。
そのおかげか、今日はちょっと元気でした。
それでユカにも手伝ってもらって、畑を少し耕してきました。
畑仕事の嫌いなユカがめずらしく手伝ってくれたので、ちょっといい畑仕事ができました。
畑仕事は、独りでやるのと二人でやるのは全く違います。

しばらく行っていなかったので、収穫すべき野菜はみんな花を咲かせていました。
ブロッコリーの花をはじめてみましたし、キャベツも花を咲かせていました。
なぜかキャベツは丸くならずに開いていました。

放っておいたらすぐに野草に覆われるところを、鍬と鎌とで畑にし、そこに家で目を出していたじゃがいもとニンニクを植えました。
どうせ労力を使うなら、きちんとした苗を買ってきた方がいいのですが、最近、いつも苗を買っていたお店が閉店してしまったのです。
それもあって、自宅のものを使ってしまいました。

昨年植えていた蕗やミョウガの芽が出てこないのが残念ですが、少しずつ畑らしくなってきました。

花壇のチューリップのだいぶ伸びました。
なぜか同じ時期に植えたフリージャの芽が出てこないのですが、まだ諦めることはないでしょう。
今日の畑は、とても春を感じました。
腰の痛みはだいぶ治りましたので、もう大丈夫でしょう。

節子にはまだ勝てないでしょうが、だいぶ作業も手馴れてきました。

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■原発の対価

昨日、NHKテレビで、毎年放映している、「廃炉への道2019」を見ました。
昨年より廃炉作業が進んでいるのかどうか、私にはにわかに評価しがたいですが、ここでも何か「真相」が隠されているような気がしてなりません。
辺野古もそうですが、当初の予定は常に先送りされ、しかも予算はどんどんと積み増されていきます。
今年の番組でも、40年とされていた廃炉作業期間は、さらに伸びるかもしれないと操作的とさえ思えるような形で繰り返し語られていました。

廃炉作業に降り組んでいる人たちへの感謝の気持ちと敬意は、こうした番組を見るたびに高まりますが、それに反して、現場から遠いところにいて廃炉を進めながらも原発稼働を進めている人たちには憤りを感じます。
それに、作業現場で、果たして被爆者や健康障害などが起きていないのか、いつも気になります。
いいところだけ放映されているようで、見た後、いつもすっきりしないのです。
廃炉作業の厳しい実態やそこから見えてきたことをもっと公開していってほしいですし、そこから原発政策そのものに影響を与えていってほしいと思います。

廃炉や原発事故にまつわる補償や環境回復などの資金はすべて税金で賄われています。
東電という会社が負担しているという人もいるでしょうが、そもそも東電の資金は基本的には国民の電気代と税金投入が基本です。
それに、電気代というと、一般商品やサービスと違い、生活を支える必需性が強く、しかも消費者としての選択の余地はほとんどありません。
もちろん最近の電力自由化で、形の上ではいろんなメニューがあるように見えますが、基本は電力会社(あるいは政府)の管理下に置かれており、電気代も供給側で設定されます。
原発事故の補償費にしても、実質的には(当然ですが)国民が税金と電気代で負担しています。
しかも、その国民負担を東電の判断で、十分な補償に回さないという現実もあるようにも思います。
それも含めて、原発にまつわるお金の状況は、私には見えにくくなっています。
その気になれば、明確なお金の流れは見えるようにできるはずですが。

いろんな問題がありますが、一番の問題は、果たして原発を継続していくためにはどのくらいのお金が必要なのかが、明確になっていないことです。
廃炉費用もすべて本来的には電気代に乗せるべきですが、その費用も全く見えていない。
本来的にコスト計算するときには、そうした費用もきちんと考慮すべきはずですが、電気代に関しては、いわゆる外部コストは違うところに賦課される仕組みになっています。
そうしたことがはっきりと理解されれば、原発による電力コストが安いなどという人はいなくなるでしょう。

原発被害者の補償ですが、東電などを通さずに、国民一人あたりから原発税として徴収したらどうかと思います。
そうすれば、国民も原発に依存しようなどとは思わなくなるでしょうし、被災者の苦労も共有できるはずです。
どこに使われるかわからない税金は払いたくなくとも、原発被害にあっている人たちの生活支援に使われるのであれば、払いたいと思う人も少なくないでしょう。

原発に関連したテレビ番組を見ると、いつも元気が吸い取られます。
廃炉作業で死者が出ないことを祈ります。

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2019/03/16

■経営者は労働者ではないのか

24時間営業をやめたために本部から違約金を請求されそうになったセブンイレブンの事件は、世論の盛り上がりにも支えられてか、なんとか無事おさまりましたが、事態は何も変わっていないのだと改めて思ったのは、昨日(2019年3月15日)の「コンビニ店主は労働者ではない」という中央労働委員会の判断です。
5年前の地方労働委員会の判断を覆したものです。
地労委の委員は現実と個人に目を向けているのに対して、中労委の委員は、法律条文と政府に目を向けているとしか思えません。

「地方の判断」と「中央の判断」が正反対になることは多いのですが、少なくとも私は、ほとんどの場合、地方の判断の方に納得します。
そこには、「地方分権」と「地方主権」の違いが表れていますが、一時、言われ出した「地方主権論」はもう忘れさられたようで残念です。

しかし、そう遠くない先に、関係の反転が起こると私は思っていますが(そうでなければ社会は破綻しますから)、今回、話題にしたいのは「コンビニ経営者は労働者か」という問題です。

中労委は「オーナー店主は労働者とはいえないとして団体交渉権を認めない」としました。
法論理的にはそういえるのかもしれませんが、法の精神は果たしてそうなのかは疑問です。
以前も、「みなし管理職」という概念で、裁判で問題になったことがありますが、オーナーというのは名ばかりで、実際には雇用労働者よりも「労働者」なのではないかと私には思えます。

4年前に東京都労働委員会は、ファミマのオーナーたちのユニオンに対して本部との団体交渉権を認めましたが(今回、それが否定されたわけですが)、その報道の時に紹介されていた、コンビニオーナーは、次のように言っていました。

「オーナー・店長といっても、仕事のほとんどの時間は、アルバイトと同じような業務を自ら行っています。ファミリーマートが以前、あるオーナーに示した経営資料では、加盟店のオーナーと家族で毎週7日、1日18時間の店舗労働を担うことが前提とされていました」
「私たち加盟者は、再契約をしてもらえなければ家族単位で職を失う。本部が1店失うのとはまったく重みが違う。それなのに“対等の事業者”であるというならば、対等の意味をはき違えている」

非正規社員よりも過酷なのではないかと私には思えます。
それはそれとして、問題は、労働者とは何かです。
経営者の一部は、確かに労働しない「不労所得」を得ている人もいるでしょう。
しかし、経営者といえども、特に中小零細企業の経営者は、雇用している社員よりも収入は少ないことも少なくありません。
しかも、従業員よりも時間的にも精神的にも労働している人を私も知っています。
そして過労死した人も、自殺を図った人もいます。
「経営者」と「労働者」は対立概念ではなく、役割分担が違う、同じ労働者(働く人)ではないでしょうか。
実際には、「経営」という労働をしていない「不労経営者」が多くなっているのかもしれませんし、「経営者とは労働者とは違うのだ」というゴーンさんのような人が増えているのかもしれません。

「働き方改革」の本質が、今回の中労委の判断に象徴されているように思えてなりません。
それにしても、なぜ過酷な条件のコンビニオーナーの成り手がいるのかが不思議でなりません。
「働き方改革」の捉え方が私にはまったく理解できません。
だれかが「働き方改革」をしてくれるなどと思ってはいけません。
その改革の「方向」は、もしかしたら反対を向いているのかもしれません。

改めるべきは、働き方ではなく、私たちの生き方であり、社会のあり方ではないかと思います。

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■節子への挽歌4140:久しぶりの畑

節子
久しぶりに畑によってきました。
10日ぶりくらいでしょうか。
最近、雨も降っていたので、水やりは大丈夫でしたが、せっかくの菜花やキャベツなどは花が満開になっていました。
ブロッコロリーの花もきれいにさしていました。
じゃがいもも芽を出していました。

花壇のチューリップはまだ咲いていませんが育っていました。
同時に植えたフリージャは芽を出していないのが心配です。
芝桜も花を咲かせていました。

畑にも春が来ましたが、それは野草が元気になってくることを意味します。
これからは畑に行かないと、せっかく畑らしくなってきたのが、また野草に覆われるかもしれません。

残念なのは昨年、友人にもらって植えておいたものが復活していな感じなのです。
フキノトウは一つだけ見つけましたが、あとは見つかりません。

今日も畑をやればいいのですが、ちょっと元気が出てきません。
そのまま帰宅してしまいました。
今日くらいの寒いような日が作業には向いているのですが、まだ気が出てきません。
それに腰の問題もあるので、今日は在宅ですが、たまっている課題解消に向けたいと思います。
実はそうしたことへの気もあんまり出てきていないので、無気力に過ごす1日になりそうな気配もあります。

最近、会う人たちから、疲れているねとよく言われるので、元気回復が必要なのかもしれません。
しかし、どうしたら元気がでてくるのか、それがよくわからない。
困ったものです。
無駄になりそうな1日が始まりましたが、無駄もまたいいものでしょう。

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2019/03/15

■節子への挽歌4139:湯島の椅子

節子
湯島のオフィスの椅子が壊れだしています。
もう30年も使っていますから、当然のことなのです、この椅子は私たちには思い出の多い椅子であり、私はとても気に入っています。
座るととてもホッとする感じなのです。
すわり心地がいいので、すっかり長居してしまったといってくれた人も何人かいます。
しかし、その椅子も布地が色あせ、一部の椅子には穴が開き、観た感じも古くなってしまいました。
しかし10脚を買い換えようとすると50万円ほどかかるので、買いかけられずにいました。

昨年、湯島のサロンに参加している友人から、具合の悪いエアコンを買い換える費用をきふしたいという申し出がありました。
エアコンの具合は治ったので、椅子の話をしました。
そうしたら、では椅子を寄付しようということになり、2人で椅子を探し始めました。
ところが、今使っている椅子と同じタイプのものが見つかりません。
ようやく見つけたら1脚7万円近くします。
消費税や送料を含めると80万円前後にはなるでしょう。
あまりにも高額なので、あんまり貯金もない彼女も負担しかねますし、負担してもらうのも気が引けます。
私も一部を負担する必要がありそうです。
さてどうするか。

それで今日、湯島で相談することにしました。

いまの椅子とはデザインが違いますが、まあ許容範囲のデザインの椅子が中古で1万円強であります。
それだと全部で15万円ほどなので、友人もひとりで負担できるといいます。
しかし、その一方で、彼女がつぶやいたのです。
現在の椅子は節子さんも気に入っていたのではないか、やはりできるだけこの椅子に似たものを選べないか。
彼女は、節子のことも知っている人なのです。

さてさて悩ましい問題です。
湯島のオフィスをいつまで継続していくかにも関わっていますが、そのことも今、私の中では揺らいでいます。
もし一新するのであれば、平成のうちに買い換えたいと思いますが、湯島サロンの仲間に声をかけたら、基金は多分集まるでしょう。
しかし、それは無意識の強制になるような気もします。
お布施は呼びかけるものではなく、自然に行われるものだと思っています。

この問題は、私の生き方の基本にも関わっているような気がして、もう少し考えてみようと思います。
節子がいたら、どういうでしょうか。

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■節子への挽歌4138:いも観音(

節子
なかなか行けずにいた上野のびわ湖長浜KANNON HAUSEにやっと行けました。
今週まで、滋賀の木之元町の安念寺の通称「いも観音」が来ているのです。
安念寺には行ったことがなく、こんな仏たちが堂内に10体も安置されていること知りませんでした。
安念寺は木之元ですが、余呉湖のほうなので、行ったことがなかったのですが、こんなにいい仏たちがいるのであれば、ぜひ本堂で拝観したかったです。
節子も知らなかったでしょう。

説明書によれば、奈良時代草創だそうです。
滋賀の湖東には素晴らしい観音が多いですが、今回お会いしたいも観音ほど朽損した仏ははじめてです。
戦さの時などには村民たちが土中に埋めて守ってきた歴史を感じさせます。

節子と観音めぐりをすることももうありません。
もう一度お会いしたい仏はたくさんいるのですが。
ちょっとさびしいです。

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2019/03/14

■節子への挽歌4137:会社の行方

節子
節子が病気になってから、会社関係の仕事はやめました。
以来、私が社長をしている会社(株式会社コンセプトワークショップ)の年商は年間100~300万円です。
したがって、事務所経費(湯島のオフィスを維持するには毎月15万円はかかります)を負担すれば、ほぼそれでなくなってしまい、私の給料はこの15年はもらえずにいます。
税務申告はきちんと提出していますが、この状況であれば、会社を維持しなくてもいいのではないかと気づきました。

一方で、ある友人から事業を起こしたいので会社を立ち上げてほしいといわれています。
一時期は、私も借金返済のために、それもいいかと思ったりしたのですが、最近、会社を維持するためには結構面倒くさいことがあることを改めて知り(それを知らなかったために過料請求書が届きました)、その話も考え直すことにしました。
社会的な制度を利用するには、それなりの社会的責任が発生することは当然のことで、そのことをこれまでいささか軽く考えてきました。
そうしたことの責任が、昨年からいろいろと覆いかぶさってきていて、最近の「なんとなくの憂鬱さは、もしかしたらそのせいかもしれません・

そんなわけで、今、私の会社をどうしようか迷っているのです。
節子と一緒にやってきた会社なので、そんな思いも絡んでいます。
しかし、そろそろ現世の痕跡は整理していかなくてはいけないでしょう。

名実ともに、私の人生も、いよいよ第4期。
生き方を改めて考え直す年になりそうです。

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■節子への挽歌4136:孫のお見舞い

節子
孫のにこがインフルエンザにかかってしまいました。
母親のジュンも風邪気味なので、ユカが買い物などして持っていくというので、私もお見舞いに同行しました。
昨夜は39度を超える熱だったそうですが、今日は熱も下がり元気でした。
子どもは突然急変することがあるので気は許せないですが、とりあえず安心しました。

にこの母親のジュンは、医師の誤診で急性肺炎が見過ごされ、診察してもらった夕方、節子が肺炎ではないかと判断して救急車で病院に入院したことがあります。
その時には、奇跡的に助かったのですが、その経験があるので、子供の病気には少し過剰なほど心配してしまいます。
節子がいたらいろいろとできるのでしょうが、こういう時には父親は役に立ちません。
困ったものです。

孫はいま急速に成長しており、言葉遣いや話の仕方が、一日一日変化します。
2~3日会わないでいると、そうしたことを感じます。

当分外出は禁止だそうです。
わが家にもしばらくは来られないようです。
この週末も来られないでしょうから、見舞いに行かなくてはいけません。
ユカが行くと「おさむさんは来ないのか」といつも質問されるそうですので。
孫との相性はとてもいいのです。
まあだれもがそうかもしれませんが。

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■腎臓透析中止に思うことを話し合いたいと思います

腎臓透析を中止したために死亡したというニュースに接した方の投書が、数日前の朝日新聞に載っていました。

Tousho


この報道に接した時には、なぜか最初に恐怖感と嫌悪感を持ったのですが、次第に、とても大切な問題提起をされているのではないかと思うようになりました。
そんな時に、この投書を読みました。
気づかされることが多く、改めて、生命とは何だろうと考えずにはいられません。

私の周りにも若くして腎臓透析を受けている人がいます。
本人はもちろんですが、家族の大変さも実感しています。
今回の件で、何もできずにいる負い目を感じながらも、いつのまにか傍観者になってしまっている自分に、改めて気づかされた感じです。
恐怖感と嫌悪感を持ったのは、こうした自分への非難と感じたからかもしれません。
他者の生命に対して、できることの少なさに、今回もまた襲われています。

投書した透析専門医の方は、数多くの事例を体験されているでしょう。
その方が、最後に、「ただ、善悪で結論を出して終わり、ではなく、死生観と医療のあり方について議論のきっかけになればと願う」と書かれているのに共感しました。

言葉で「死生観」というのは簡単ですが、実際には死生観を語ることは難しい。
昨日も、湯島で「お墓」をテーマにしたサロンをやったのですが、なかなか「死生観」を語り合うのは難しい。

そこで今朝、思いついたのですが、この事例をただ傍観しているのではなく、この事例を踏まえて、それぞれの死生観を語り合う場を持つことなら、私にもできそうです。
そんなわけで、急なのですが、記憶がまだ冷めないうちに、「腎臓透析中止の報道に接して考えたこと」を話し合うサロンを開くことにしました。
できれば、投書された方のメッセージを受けて、死生観と医療に絞って、批判的な議論ではなく、自らの生き方につなげる形での、肯定的で建設的な話し合いにしたいと思います。

急ではありますが、ぜひご参加ください。

〇日時:2019年3月24日(日曜日)午後1時~3時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:腎臓透析中止の報道に接して考えたこと
〇スタイル:肯定的で建設的な話し合い(できればそれぞれの死生観を話し合いたい)
〇会費:500円
〇申込先: 佐藤修(qzy00757@nifty.com)
今回は必ず事前に参加のご連絡を下記にください。参加者がいない場合は中止しますので。

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■湯島サロン「スマート・テロワールを考える:非市場経済は可能か」のお誘い

湯島では、今の経済のあり方への疑問が時々話題になりますが、久しぶりにその問題を正面から話し合うサロンを開催します。
山口県で、循環する地域づくり研究所を主宰している東孝次さんに問題提起していただきます。

タイトルの「スマート・テロワール」という言葉はご存じない方も少なくないかと思いますが、一言で言えば、「美しく強靭な農村自給圏」のことです。
そのベースにあるのは、重商主義から重農主義へと社会のあり方や私たちの生き方を変えようという思想です。
提唱者の松尾雅彦さんは、農業や農村をとらえ直すことで、日本が今抱えている2つの課題、「少子高齢化」と「財政・貿易収支赤字」を解決することができるといいます。
農村にこそ日本最後の成長余力があるというのです。

東さんからのメッセージを下記しますが、そこにスマート・テロワールの説明もありますので、お読みください。

タイトルは難しいですが、私たちの生き方にもつながるテーマです。
ぜひさまざまな立場の人に参加していただきたいサロンです。

〇日時:2019年4月11日(木曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
○話題提供:東孝次さん(循環する地域づくり研究所・主宰)
〇テーマ:「スマート・テロワールを考える:非市場経済は可能か」
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

〔東孝次さんからのメッセージ〕

お金至上主義が蔓延っている日本において、心豊かに生活することが難しくなっているように思えます。また経済優先の日本は、地方の疲弊をももたらしています。
このような日本の現状を変えるためには、根本的な変革が必要だと叫ばれて久しくなります。
そのような中、全国各地では、様々な試みが地道に取り組まれています。
その1つとして、「スマート・テロワール」の取組があるのではないかと、私は考えています。

今回のテーマを話し合うための情報として、“スマート・テロワール構想”について、少しご紹介させていただきたいと思います。
この“スマート・テロワール構想”とは、企業家である故松尾雅彦さん(元カルビー㈱代表取締役社長)が、日本、米国、欧州の農村を40年にわたり観察してきた結果に基づき、自らの仮説と実践、実績を通じて、日本の農村地域に明るい未来があることを提示し、農村再生を実現するための方策を示した構想です(2014年)。

このスマート・テロワールの骨格は、農産業に「耕畜連携」、「農工一体」、「地消地産」という3つの連携体制(「利他の循環システム」ともいえるもので、「共利共盛」となる「非市場経済」システムです)を導入し、圏内で消費者と生産者(農家と加工業者)が循環システムを構築するというものです。これにより、自給圏が構築でき、森林の活用・エネルギーの自給にまで積み上げることができると、農村はアルカディア(理想郷)になると考えられています。
「耕畜連携」とは、地域内の耕種農家と畜産農家との手間の交換(物々交換:互酬)で、このことにより安全な飼料の提供と土壌の改善を進めることができます。「農工一体(農工連携)」とは、地域内の耕種農家と加工業者とが契約栽培(自給自足:家政)を行うことで、耕種農家は安心して輪作の継続的改善を促進することができ、加工業者も安全な材料の提供を受けることができます。「地消地産」とは、地域で消費するものはできる限り地域で生産しようということで、それは同時に地元消費者の絶大な購買支援に生産者が応えることでもあります。

11日は、スマート・テロワール(地方都市を含む広域の農村自給圏)を考える中で、市場経済一辺倒の日本において、非市場経済の実現は可能かについて、皆様と一緒に考えさせていただきたいと思っています。多くの皆様のご参加をお待ちしています。

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2019/03/13

■湯島サロン「お墓のことを考えたことはありますか」報告

「死の視点から生き方を考えよう」シリーズのサロンは、今回は篠田石材工業の篠田雅央さんに「お墓」のお話をしていただきました。


私自身、お墓に関して、あまりにも無知であったことを痛感させられました。


私にとって、とても示唆に富んだサロンでした。


篠田さんの会社は明治22年創業の老舗で、「石を通じてお客様に喜びと感動をもたらす仕事をします」と、潔く言い切っている理念を掲げ、実践している会社です。


まず、ご自身の会社の歴史を写真で見せてくれながら、墓石やお墓の変化を、とてもわかりやすく紹介してくれました。


紹介できないのが残念ですが、篠田さんが手がけたデザイン墓石にまつわる感動的なお話もありました。


そうした具体的なお話を通して、死とは何か、供養とは何か、生きるとは何か、ということに関する深い問題提起をしてくださいました。


私は目からうろこでした。


つづいて、お墓づくりに関して、「墓地あり・墓石建立なし」「墓地・墓石あり」「墓地・墓石なし」という状況それぞれに対応した、とても具体的な取り組み方の話をしてくださいました。


「墓地・墓石あり」の場合は、お墓に悩むこともないはずですが、実際にはその場合もさまざまな事情があって、むしろ「墓地・墓石あり」のほうが悩ましい状況になることも多いそうです。


参加者の中にも似たような「事情」をお持ちの方もいましたが、そうしたことに関しては、篠田さんのアドバイスももらえました。


墓じまいや墓の引っ越し、改葬や合葬の話も出ました。


 


話し合いを聞いていて、お墓の問題にはやはりその人の「生き方」が深くつながっていることを思い知らされました。


私が一番感動したのは、墓石の字彫りにも遺族の参加を勧めているという篠田さんの姿勢です。


私事ながら、わが家の仏壇の大日如来は家族の手作りで、魂をご住職に入れてもらったのですが、墓石に関しては、全く思いもつきませんでした。


 


最後に、長年、墓石に関わってきた篠田さんご自身の「思い」を、参加者への問いかけを含ませながら、話してくれました。


墓石には見えない不思議な力が隠されている。


石は時代を超えて残っていくもの。世界の大半で石を墓としているのは、永遠に生きる石と魂が融合すると本能で感じているからではないか。


自分の先祖の数は何人だと思いますか。


この世に残る遺族の幸せってなんでしょうか。


自分の思いと家族の思いは同じでしょうか。


お墓は人生の道標。


などなど。


いずれも長年の篠田さんの体験からのお話なので、とても心に響きました。


 


こんな話もしてくれました。


篠田さんが子供のころは、テレビや自動車などが広がりだしていた時代だったが、当時の人たちは、そういう夢の代物を買う前に、お葬式や仏壇やお墓にお金をかけていた。


先祖や子孫にお金をかけて自分は質素に生きている人が多かった。


しかし、今は全く逆になっている。


お墓の簡素化や墓石離れは、先祖崇拝という大切な日本人の心の喪失につながるのではないか。


そして、いくら経済力がついても日本人の大事な心を見失ったら、日本は消滅していくのではないかとしめくくりました。


話し合いではいろんな意見が出ました。


世界中の大半の人々はお墓を持っていないが、だからといって信仰心がないわけではないという指摘もありました。


そもそも今のような墓石が人々に広まったのも、日本でも最近のこと。


また、それでもやはり自分は散骨だという人もいました。


思いを込めた散骨は、惰性で選ぶお墓よりも、私も価値があると思います。


大切なのは、自らにとって「墓」とは何なのだろうかを考えることであり、それを通して、今の生き方を考えることではないかと思います。


 


それにしても私たちは「お墓」に関して、あまりにも無関心だったような気がします。


お墓の持つさまざまな意味や機能、あるいはお墓を通して実現できることがたくさんあることに、もっと気づいてもいいのではないかと私は思いました。


篠田さんが言うように、人生の墓標としての自分のお墓(私は広義に捉え散骨も含めたいですが)は、やはり自分でしっかりと考えていくのがいいのではないかと思いました。


 


言葉では明確には語られませんでしたが、死生観や生き方、あるいは家族や社会のあり方を考えさせられるサロンだったともいます。


お墓にはそれだけのパワーがあります。


私が今回一番認識を変えさせられたのは、お墓はそこに在るモノではなく、自らの生を込められる「生きた」存在だということです。


 


篠田さんのお話はとても示唆に富むお話でしたので、もっとたくさんの人たちに聞いてほしいと思いました。


篠田さんに無理をお願いして、土日にもう一度、同じような「お墓」サロンをしていただこうと思っています。


決まったらまたご案内いたします。


 


来週はお彼岸なのでお墓詣りに行こうと思います。


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■節子への挽歌4135:お墓には生命を込められる

節子
今日は湯島のサロンでお墓の話を聞きました。
お墓に関する私の認識はかなり変わりました。

これまでお墓はそこにある「物」だと思っていました。
もちろんお墓参りに行ったときには、お墓に話しかけたり触ったりしていますが、お墓が生きていると思ったことはありませんでした。
そして、節子が「お墓に入り」、いつか私も「お墓」に入ると何となく考えていたのです。

今日、篠田石材工業の社長の篠田さんから、いろいろとお墓のお話を聞いて、お墓には「生命」が宿っているし、宿らせることができるのだと気が付きました。
わが家の墓は、いわゆる和墓の標準スタイルです。
私の父が亡くなった時に、兄と一緒に建立しました。
墓石屋さんに頼んでつくったお墓です。
節子は、亡くなる半年ほど前に、そのお墓に入りたいと言い出したので、その希望を叶えました。
だから節子の痕跡は、お墓の横にある墓誌に戒名が彫ってあるだけです。

篠田さんは、遺族が希望すれば、墓誌などの字彫りを手伝ってもらうのだそうです。
そのおかげで、たとえばお彼岸に故人の孫がやってきて、親戚の人に、このお墓は自分も一緒に作ったといえるわけです。
お墓を通して、個人と孫のつながりが可視化されることになります。

また最近のデザイン墓石では、たとえば生前、船が大好きだった夫のために、舟形の墓石をつくったこともあるそうです。
伴侶の方は、夫が気に入ってくれればいいなと言っていたそうですいs五日、その船に私も乗れるといっていたそうです。
死者と遺された者は、こうして心と生をつなげられるのです。

そういう話を聞いて、墓はあるものではなく、死者と遺された者たちとで、育てていけるものであり、ある意味では生命を持った存在ではないかと思ったのです。
そのことは何となくみんな感じていればこそ、お墓に語りかけるのでしょう。

お墓は単なる物体ではない。
その気になれば、生命を吹き込める。
そのことに気づくと、これまでとは違った墓石との付き合いができるような気もします。
どうしたらいいのかは、まだわかりませんが、少なくとも墓石との付き合い方は変わりそうです。
私のいのちも、墓石に少しずつ託していきたいと思います。

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■水俣病を知らない人も増えてきているのでしょうか

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NHKテレビの100分de名著で「苦海浄土」が取り上げられていたようですが、この番組はあまり見ていないので気がつきませんでした。
「苦海浄土」は50年以上前に読んでいますが、きちんと読めたのは最初の1冊だけです。
その番組がベースになって、NHK出版から「悲しみのなかの真実」という本が出版されていました。
若松英輔さんの著作です。
図書館で見つけて借りてきたのですが、読み出したらすぐに引きずり込まれてしまいました。

そしてぜひ多くの人に読んでほしいと、強く思いました。
「苦海浄土」を読むのは大変ですが、この本はとても読みやすく、静かに読み続けられます。
それがいいのかどうか迷いますが、自分でも考えながら読めます。

実はここまでのことを書いたのは、先月です。
アップする段階になって、ふと思いました。
水俣病の話は、いま、どれだけの人がどのくらい知っているのかと。
私は比較的早く水俣病のことを知り、書籍もかなり読んできました。
水俣にも行く機会があり、本書にも出てくる杉本栄子さんにもお会いしました。
まだお会いしたことはありませんが、緒方正人さんの本も読ませてもらっています。
そうしたことがあるので、この本のメッセージが素直に入ってきたのかもしれないと思ったのです。
そして、ふと不安に思ったのは、水俣病のことをいまいったいどれだけの人が知っているのだろうかということです。
あの福島原発事故でさえ、いまの状況です。

3.11関連の報道をみていて、なぜか水俣のことを思い出してばかりいました。

それでもやはり、この本は多くの人に読んでほしいと思い直しました。
まだ読まれていない方がいたら、ぜひお薦めです。
余計なお世話ですみません。

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■湯島サロン:人生も仕事も「もっと面白く♪」のお誘い

民間企業(東レ)を定年前に“脱藩”して、大学で「組織心理学」を研究している渕野康一さん(東洋学園大学現代経営学部客員教授)は、自らも「面白まじめ」を軸に〝自遊人”として生きています。

趣味は「①富士山②ジャズピアノ③温泉・銭湯④花鳥風月⑤寺社参拝・・・」と多彩に10個ぐらいあります。ただ多趣味なだけではなく、「面白さ」や「まじめさ」を掘り下げて、人生や社会をもっと面白くするための「面白まじめ道」を究めることが、渕野さんが一番大切にしていることです。
大学でも、「富士男♪先生」の愛称で、リーダーシップ論や人間関係論の「面白まじめな講義」をやっています。
当初、「個人と組織の関係」シリーズの一環としてのサロンを考えていたのですが、それだけでは渕野さんの持論を十分に聞けないような気がして、経営問題に限らずに、生き方サロンとして、渕野さんに自由に語ってもらうことにしました。
実際に渕野さんは、地元(浦安市)では社会教育活動にも関わっていますし、災害救助犬や里海うらやすネット、とらえもん(虎会門)など、ご自分でも様々なボランティア活動にも取り組んでいます。もっと言えば、「面白まじめ」な〝自遊人”としての生き方の効用を、身を持って体験されています。

テーマは「もっと面白く♪」。
どんな話になるか、楽しみなサロンです。
参加者それぞれの人生が「もっと面白く♪」なるための、まじめなサロンです。
すでに人生の面白さを満喫している人はさらに面白く、人生は面白くないと思っている人もそれなりに人生が面白くなるサロンです。

人生や仕事を面白くし、世の中や社会を明るく平和にするためにも、ぜひご参加ください。
経営学の先生ですが、誰でも歓迎の気楽な「面白まじめサロン」ですので、お気軽にどうぞ。

〇日時:2019年3月30日(土曜日)午後2時~4時
〇場所:湯島コンセプトワークショップ
http://cws.c.ooco.jp/cws-map.pdf
〇テーマ:「会社も人生ももっと面白く♪」
〇問題提起:渕野康一さん(面白まじめ求道者)
〇会費:500円
〇申込先:佐藤修(qzy00757@nifty.com)

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2019/03/12

■節子への挽歌4134:腰痛の兆し?

節子
いささかいやなことに、この数日、腰痛の気配があります。
最初は先週畑で久しぶりに鍬を使って土を耕した夕方からですが、腰に少し違和感がありました。
あまり気にしていなかったのですが、そこからだんだん悪化し、腰痛とはこんなものなのだろうかと感ずるようになってしまいました。
私はこれまで腰痛とは全く無縁でしたので、ちょっと嫌な気分です。
痛いというわけではないのですが、歩いていると時々、前かがみ気味になっているのに気づきます。
それに時々、歩いている時に痛みを感じます。

湯河原ではかなりの急坂を登ったり、普段とは比べようもないほど歩きましたが、やはり痛みを感ずるとともに、身体のバランス感覚がおかしい感じでした。
山坂では一度つまづいて転びそうになりましたし、街中でもバランスを崩しかけたこともあります。

いよいよ私も腰痛の仲間入りかもしれません。
湯河原で温泉にも入りましたが、その効果はまだ出てきていないようです。
困ったものです。

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■湯島サロン「東京で感じたこと、米子で見えたこと」報告

久しぶりに、まだ日本には救いがあるなと実感できたサロンでした。
これはきわめて主観的な感想ですが。

今回の話題提供者の矢辺さんは、鳥取の米子で育ちました。
東京で大学卒業後、障害者に特化した人材系会社に入社。
活動を通して、「障害者」の捉え方が変わり、本人が不自由を感じていたらそれはすべて障害なのではないか(その逆もある)、そうした生きにくさを抱えている人の問題を解決したいと思うようになったそうです。
その後、生活困窮者支援を行う国のモデル事業(パーソナルサポーター制度)の就職担当相談員に転身。
その制度がなくなったため、そうした活動のための会社を自ら起業しました。
しかし、2014年に父親から事業を引き継いでほしいといわれ、両親に「ものすごく感謝」をしていたこともあり、実家のある鳥取県の米子に帰郷しました。
たまたまその会社は、電力提供に関わる会社なので、そこで将来は、エネルギーの大量生産大量消費から地産地消ができないかという活動にも取り組みたいと考えています。
会社経営のあり方に関しても、ティール組織も参考にしながら、変革に取り組んでいるようです。

これが矢辺さんのこれまでの人生ですが、お話を聞いていて、さまざまなことを考えさせられました。
10年以上前に、大学時代の矢辺さんとはいろいろと話し合ったこともあるのですが、自らの志を軸にして、時流に流されることなく、しっかりと実践しているのに感心しました。

矢辺さんは、会社に就職しないと生活できない現在の社会に問題を感じています。
企業で働かなくても生きていける手段があれば良い。
企業だけに頼らずに、他者と支え合いながら、自然と調和した生き方を広げていきたいといいます。
そのためのいくつかの具体的な手だても矢辺さんは考えています。

個人の生き方に関しては、「おりる生き方」を提案しました。
それは、「企業で働いていなくても、福祉のお世話にならず、生きること」を目指す生き方です。
経済状況によって変化する企業業績に左右されず、財政事情によって変化する福祉制度に左右されず、「今日が来たように明日を迎える暮らし」、そして「つながりで生きづらさを解決する暮らし」というのが、矢辺さんが目指す生き方の基本です。
具体的な提案もありましたが、一言で言えば、「問題をお金で解決しない」生き方です。
お金を「稼ぐ」仕事は、週3日程度にし、後は「働く」仕事をし、顔が見える範囲の150人までの地域コミュニティとその核になる生活基盤となる家族をしっかりとつくっていきたい。
お金は家賃やライフライン代が払える程度あればいい。
できないことはみんなでフォローし合えるコミュニティがあればいい。
それが、矢辺さんが提唱する「おりる生き方」です。

最後に矢辺さんはみんなに問いかけました。

正しさとは?
生命力とは?

その問いかけから話し合いが始まりました。
話し合いは省略して、矢辺さんの考えだけ紹介しておきます。
「正しさは生命力を高めること」
「生命力とは自らの持つ良い部分を出し続けられること」

ちなみに、米子と東京に違いは何か、という話も出ました。
矢辺さんは、今回も羽田を降りた途端に、なぜか自分もせかせかと「速足」で歩いていたと話しました。
米子と東京とでは、時間の進み方が違うのかもしれません。

矢辺さんは、家族に頼れることのすごさについても語り、そうした「安心できる生活基盤」の大切さも語ってくれました。

「せかせかした生活環境」そして「安心できる生活基盤」。
この2つについて、私たちはもう少ししっかりと考え直す必要があるのではないかと、改めて考えさせられたサロンでした。
参加者は矢辺さんを含めて7人。ちょっと少なかったのが残念でした。

いま、時代の大きな分かれ目に来ているように思いますが、若者のメッセージの眼差しから、そして参加者の発言から、私としてはちょっと元気をもらいました。

矢辺さんのメッセージにつながるようなサロンを、4月5月と予定しています。
またご案内させてもらいます。

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■節子への挽歌4133:家族のすごさ

節子
前の挽歌で、「みんなに支えられて」と書きましたが、言うまでもなく私は「家族に支えられて」生きています。
もちろんその「家族」には節子も入ります。

先週、鳥取に戻った矢辺さんに湯島でサロンをしました。
その内容は時評編に書きましたが、残念ながら節子は矢辺さんに会えていないと思います。
いや、一度くらいは会っているかもしれませんね。
だいぶたくましくなりましたが、まだしっかりと純粋な目を持った若者です。

彼は東京で自分の会社まで立ち上げていたのですが、お父さんから戻ってきてほしいといわれ、会社をたたんで戻ったのです。
東京の会社には、彼の大きな「志」やビジョンもあったのですが。
なぜ戻ったかの理由を、矢辺さんは「家族が大好きで、自分が思い切って生きられてきたのは、何かあれば家族が支えてくれるだろうという確信があったから」と話してくれました。
そして、家族があるということはすごいことだと付け加えました。
家族という、生活基盤があればこそ、社会でリスクを冒すこともできるというわけです。
とても共感できます。
そして、まだこう考えている若者がいるということに、とても安堵しました。

いまの時代、多くの人がバラバラになってしまい、家族も変質しだしているといわれます。
家族がむしろ個人を縛っているという人も少なくありません。
湯島のサロンでも、家事や子育てなど女性の負担が大きいという声はよく出ます。
こうした意見には、私は異論がありますが、仮にもしそうだとしても、だからといって家族を否定していいのかと思います。
ただあまりに血縁を重視しすぎる家族のあり方には異論があります。
そもそも、家族の核になっている夫婦には血縁などないのですから。

家族は、個人の存在論的安心感を保証する仕組みだと思っています。
同性であろうと年代が全く違おうと自分を全面的に投げ出せる誰かがそこにいる、そういうことが家族なのではないかと思います。

いささか社会性や常識が欠落している私が、今こうしてなんとか元気でいられるのは、いろんな人の支えのおかげですが、その根底に家族があったからです。

私も、家族のすごさを実感しています。
もし節子が今も元気だったら、私の生き方は全く違っていたと思いますが、いなくなった節子からも今もなお、支えられていることは間違いありません。

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■節子への挽歌4132:春の知らせのアサリ

節子
福岡の蔵田さんから、今年もまた、どっさりとアサリが届きました。
毎年、蔵田さん自らが毎年、わざわざ近くの海でとってきてくれるのです。
お店で買った来るのとは大違いで、大きくておいしいのです。
このアサリは、わが家にとっては春の知らせなのです。
しばらく留守にしていたので、近くに住んでいる次女に受け取ってもらい、処理しておいてもらいました。
私は今日、初めて味わわせてもらいました。
アサリは私の好物です。
生ものなので、節子には供えにくいですが、報告はしました。

お礼の電話をしました。
ご夫婦ともに、いつもながらの元気な声でした。
最近少しずつアサリも少なくなってきているそうです。
蔵田さんのことですから、自分の食べるものよりも、たぶんほかの人に送るのを優先していることでしょう。
今年も例年と同じく、大きなサリが届きましたから。

新潟からのチューリップが冬の終わりの予兆で、福岡からのアサリが春の予兆。
今年も、わが家は春になりました。
庭の河津桜も、ほぼ満開で、葉っぱも伸びてきて、色合いがとてもきれいです。

みんなに支えられて、今年もいい年になるでしょう。

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2019/03/11

■節子への挽歌4131:湯河原への転居はやめました

節子
湯河原は、私たちの終の住処になる可能性が大きかった場所です。
終の住処を海にするか山にするか、結局、私たちは海を選びました。
山も少しだけ探しましたが、節子は海を選びました。
しかし、湯河原のほかにも、逗子や湘南も2人で探した時期があります。
湯河原のマンションは購入時に比べれば5分の1の値段になってしまいました。
そして今は売るに売れない状況です。

節子がいなくなってからは、ほとんど湯河原には来なくなりました。
娘たちもなぜかここには来ません。
だから今は荒れ放題なのです。

実は私の気持ちの中には、節子と選んだ湯河原にはちょっとだけ未練もあります。
せっかくの場所を捨てたくないという気分がどこかにあるのです。

しかし今回来て、もう湯河原に転居することはないだろうと確信しました。
だとしたら管理費だけでも無駄なので早く売却しようと思います。
頭ではそう整理しているのですが、なぜか積極的に売る気が起きない。
どこかにまだ、節子との隠居生活の思いが残っているのかもしれません。
湯河原にも、いろんな思い出があるのも、その一因かもしれません。
それ以上に箱根への思いが強く残っているのかもしれません。
節子は箱根が大好きだったのです。

このマンションを売却したら、たぶん湯河原には2度と来なくなるでしょう。
そう思うと、やはり急いで売ろうという気持ちが起きてこないのです。
困ったものです。

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■節子への挽歌4130:変わらないのはミカンが安いこと

節子
湯河原のまちも変わりました。
市街を歩きましたが、以前と同じところもありますが、かなりのところがきれいになってきています。
一番大きく変わったのは、大きなスイーツの専門店ができたことです。
それも大賑わいでした。
評判のパン屋さんもできました。
ユカが連れて行ってくれましたが、もうすべて売り切れていました。
店内には5人しか入れず、入れない人用に店外にいすが置いてありました。
遠くから買いに来る人もいるそうです。

海の近くは大きく変わりました。
たぶん節子が最後に来た時には、オーシャンビューの温泉がありましたが、それはもうなくなり、マンションに変わっています。
むかしはまだ素朴な感じで、おいしい魚料理屋さんがあったりしましたが、もうそんなところはありません。
一時、回転ずしができましたが、そこも閉店していました。

まちを歩いていると、突然、節子と一緒に入ったお店に出会うこともありますが、ほとんどが雰囲気を変えているところが多いです。

変わっていないのは、ミカンが安いことです。
まちを歩いていると、無人の棚にミカンが置いてあって、代金はそこにある缶に入れていく仕組みです。
缶にお金を入れないでミカンを持っていくこともできれば、さらにはお金の入った缶そのものを持っていくこともできるでしょうが、まだそういうまちづくりにはなっていないようです。
しかもみかんが安い。
10個くらい一袋になっていて、それで200円なのです。
まあ安さはともかく、無人どころか売り上げが入った缶も無造作に置いてあるのがうれしいです。
やはり節子とここに転居したかったなと,思いました。
観光地なのに、ここにはまだ豊かさが残っているようです。

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2019/03/10

■節子への挽歌4129:書籍の廃棄

節子
湯河原は、一時期、私の仕事場でもありました。
原稿を書くときには締切日の3日前に来て、ここで書いていました。
しかし、原稿を苦ことも少なくなり、次第に仕事場の役割は果たさなくなりました。
そのため、せっかく送った書籍のかなりの部分は我孫子に返送したのですが、まだ時々、読み直したくなる本が出てきます。
しかし、資料や雑誌類は少しずつ廃棄しないといけないと思いだしています。
節子がいなくなってから、1~2度来たときにも、かなりの量を廃棄したのですが、今回もユカに手伝ってもらい廃棄しました。
あまり一挙に捨てるとゴミ捨て場に迷惑がかかるので、少し遠慮しましたが、だいぶ廃棄できました。
これから時々来ないといけません。
理想は売却したいのですが、湯河原には新しいマンションが増えているので、なかなか売却も難しいのです。
まあ節子がいたらやってくれるでしょうが、私はその種のことが苦手です。

書籍や資料を捨てるのは結構つらいものです。
一冊一冊に思いがこもっているからです。
しかし今回は、有無を言わさずに資料や雑誌類は一挙に捨てました。

こうして自分の人生を少しずつ整理していくことになるのでしょう。
少しさびしい気分です。

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■節子への挽歌4128: まるでゴーストダウン

節子
久しぶりに湯河原の温泉街を歩きました。
驚くほどのさびれようです。

節子とよく歩いたころに比べれば、道路や町並みは整備され、一時期はちょっとおしゃれなお店もでき始めていましたが、今回歩いて、そうしたお店も閉店し、売りに出ているという感じでした。
久しぶりに万葉公園にある足湯にも行きましたが、人は混んでいましたが、ここもまたなんとなくさびれていました。
それに足湯用のお湯がぬるかったり熱すぎたりで、いずれの足湯も快適ではありませんでした。

食事をしようと探しましたが、お店は閉じているところも多く、結局、前にも言った「魚繁」に行きました。
ここは満員で、しばらく待たされるほどでした。
このお店の雰囲気は全く変わっていませんでした。

足湯から魚繁までの道は、まさにゴーストタウン。
日曜日なのに、このありさまとは驚きです。
せっかく環境整備したのに、何かが足りないのでしょう。
となりの熱海はいま復活しつつあるようですが、湯河原は地の利に恵まれていないとはいえ、あまりの違いです。
魚繁の魚料理は、前と同じようにおいしかったですが。

節子がいいたら嘆いたことでしょう。
ユカに聞いたら、今はネットなどでも評判がいいようです。
しかし、ここもやはりもう一工夫が欲しい感じです。

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■節子への挽歌4127:幕山の梅林

節子
幕山の湯河原梅林にユカと行きました。
梅林祭りの最終日でしたが、にぎわっていました。

節子とは何回か行きましたし、いろんな思い出もあります。
最後に行ったときには、湯河原にお住いの高齢の方にあいました。
まちから時間をかけて歩いてきたそうで、たぶん80代後半の男性でした。
椅子に座って、何かを勧めたような記憶がありますが、それは節子のお得意芸でした。
だれとでも仲良くなる。

その前は、自動車で行ったのですが、幕山公園近くで立派な庭のある家がありました。
何を思ったか、節子はそこに車を止めて、庭を見せてくださいと入っていきました。
仕方なく私もそのあとをついて行ったのですが、立派なお庭で、そのうえ、お土産に名前を忘れてしまいましたが、小さな花木をもらってきました。
節子がいなくなってからも、しばらく玄関で咲いていましたが、私が枯らせてしまいました。
その家は、今回もそのままでした。
声はかけませんでしたが。

記憶では、この梅林の奥に、樹木葬の場所があったはずなのですが、私の記憶違いのようで、探しましたが、見つかりませんでした。
ということは、上記の2つの記憶も内容は不正確かもしれません。
過去の記憶は頭の中でどんどん変化することを、最近かなり実感しています。

今回は、幕山の山頂まで行こうと思いましたが、かなりきついのと支度をしていなかったので、ユカからとめられました。
1時間はかかるそうですが、途中まで行きました。
節子と一緒だったら、たぶん無理をしてでも行ったでしょう。
そういう無理ばかりしていたのが思い出されます。

幕山公園はほとんど変わっていませんでした。
考えてみると、もう15年近くたっているのでしょう。
あまり変化がないのが不思議でした。

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2019/03/09

■節子への挽歌4126:久しぶりの湯河原

節子
久しぶりに湯河原に来ています。
ここは、私たちの「終の住処」になる可能性が大きかったところです。
節子は箱根が大好きだったので、元気だったころはよく来ていました。
しかし、節子がいなくなってからは、ほとんど来ていません。
それでも1年に一回くらいは来ていたのですが、今回はそのマンションの管理上、どうしても来ないわけにいかず、ユカと一緒に来たのです。
5年も放置していたため、惨憺たる状況になっていました。
障子は破れ放題で、なんと網戸までがボロボロになっていました。
そのうえ、ガス湯沸かし器は故障していて、お風呂も沸かせません。
それで近くのホテルの日帰り入浴のお世話になりました。

肝心の点検や補修工事は無事終わりましたが、久しぶりなので、少し後片付けなどをして帰ろうと思います。
リビングには2006年7月のカレンダーがかかっていますが、これが節子が最後に来た日付です。
いたるところに節子の痕跡はありますが、なにしろ10年以上放置しているので、とんでもない状況です。
できれば一挙に整理したいのですが、その気がなかなか起きません。
掃除はユカに任せるとしても、まあいろいろとあります。
急いでやると腰を痛めたりしかねないので、ゆっくりとこなしていこうと思います。

明日は時間ができるので、少し湯河原を歩いてみようと思います。

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2019/03/08

■節子への挽歌4126: 人はどれだけの他者を必要とするか

節子
先日、上田さんと「コミューン」について少し話し合いました。
その時に、見田宗介の「交響するコミューン」によると、たった2人でもコミューンは成立すると言っているとお聞きしました。
気になって、本を探しましたが、何しろ整理できていない書庫なので見つかりません。
それで早速注文して読み直しましたが、そういう文章に出会えません。
気になってしまうとどうしようもなく、上田さんにどこにあるかと確認して、岩波新書の「社会学入門」を教えてもらいました。
今度は何とか書棚から見つけ出して、早速に読みました。
私が読んだのは、もう今から10年以上前ですが、その時にはたぶんさほど印象付けられなかったようで、記憶には全く残っていませんでした。
読み直してみて、とても納得できる文章でした。

見田さんは、「人はどれだけの土地を必要とするか」というロシアの問いにかけて、人はどれだけの関係を必要とするかということを、私たちは問うてみることができる、と書いています。
他者のない生は空虚であり、ほとんど死と変わりがない。生が生きるということの意味を取り戻し、歓びに充ちた生涯であるためには、他者は何人、必要かと問うのです。
見田さんの答えは、こうです。


極限の場合、激しい相互的な愛が存在している限り、この他者は一人であっても、なお永劫の生を意味づけるに足るものである。

共感します。
人数の問題ではなく、一人であろうと他者がいることが大切なのです。

しかし、今回、私が共感したのは、上田さんがぽつりと語ったように、相互的な愛が存在している限り他者は一人であっても十分だというところです。
それこそが、コミューンの基本かもしれなません。
念のために言えば、「一人であっても」ということは、「一人であること」にとどまってはいないでしょう。
一人を愛することができれば、みんなも愛することができる。
みんなを愛することができなければ、一人をもたぶん愛せない。
それが私の体験知です。

この文章を、節子が逝ってしまった直後に読んでいたら、受け取り方はかなり違っていたでしょう。
その頃は、まだ、節子への愛の意味があまりわかっていなかったからです。

2人のコミューンが成り立てば、そこからたくさんの人たちとのコミューンもきっと育っていく。
それが最近の私の、なんとなくの思いです。

上田さんがまた帰国したら、改めてお話をお聞きしようと思います。

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■節子への挽歌4125:目覚めの気分

節子
今朝は気持ちのいい朝です。

ところで、最近、どうも目覚めの気分がよくありません。
どこかに不安感や倦怠感があるのです。
もっともこれは今に始まったことではありません。
節子がいなくなってから、ずっと続いています。

昔は、つまり節子が元気だったころですが、毎朝、目が覚めるとわくわくしたものです。
今日は何ができるか、今日はどんな出会いがあるか。
それに取り組みたいことも山のようにありました。

節子が病気になってからも、それはそう変わったわけではありません。
回復した節子がいつも前にありました。

節子がいなくなってからは、しばらくは感情が失われ、無表情に目覚め、無表情に就寝していたような気がします。

次第に生活は回復し、旅立った節子も精神的な意味では戻ってきました。
しかし、考えてみると、わくわくするような気分で目覚めたことがありません。
どこかにもやもやした不安感や不快感があるのです。
目覚めがよくないのです。
今の生き方に問題があるのかもしれません。

現世の欲望をすべて捨て、トラブルからも解放され、平安に生きることができれば、わくわくはしないかもしれませんが、心穏やかな朝を迎えられるはずです。
しかし、それができないのは、まだ現世にこだわっているからでしょう。
まだ欲を捨てきれていないのです。
困ったものですが。

新しいことを始めることで、わくわく感を取り戻したいと思ったこともあるのですが、それが問題だったのかもしれません。
最近、「お年寄り」とか「お元気に」という言葉をよく聞くようになりました。
そういう言葉が、ようやく、私自身のことなのだと実感できるようになりました。
そういう時期に、来たのかもしれません。

言葉にできない不安感は、気持ちと身体のずれから起きているのかもしれません。

生き方を少し整理したい気分になってきています。
ようやく、人生の目覚めの時期が来たのかもしれません。

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2019/03/07

■名前がなくなっていく?

今朝の朝日新聞の投書欄に、昨年、掲載された郵便局員の方からの投書「表札それでも出しませんか?」への反響の投書が掲載されていました。
郵便局員の方からの投書は添付しますが、こんな文章が含まれています。

人や物や場所や建物などは、名前があることで区別・認識され、それで社会生活が成り立っています。表札を出すリスクはあるかもしれませんが、誤配や遅配、不着などを回避するために表札は欠かせません。表札を出さないのも各自の勝手だと思われるかもしれませんが、それで他のお客の配達が遅れることだってあり得るのです。
とても大切なメッセージがいくつか含まれているように思います。

表札を出さない人も増えていると聞きます。
昔はみんなの住所や電話番号も掲載された電話帳も配布されていました。
もう15年ほど前ですが、自治会の会長をやった時に、名簿も作成して配布してはいけないといわれました。

この郵便局員の方が言うように、人や物や場所や建物などは、名前があることで区別・認識され、それで社会生活が成り立っています。
その名前が隠されていく。
名前のない人や物で構成される社会とはどんな社会でしょうか。

ちなみに、この投書への意見のひとつに、配達のための「番号」があればいいという意見もありました。
その方は、表札に名前を書くことには反対ではないのですが、同時にこうも書いています。


最近は病院で名前ではなく番号で呼ばれることがある。個人情報を気にする方向けには配達番号をつくったらどうか。

そういえば、私たちにはすでに番号がついています。
どう使われているのか知りませんが、そのうち名前がなくなるような気がしています。
名前よりも「番号」の方が、管理効率はいいでしょうから。

2012年の自民党「日本国憲法改正草案」は、現憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」を「全て国民は、人として尊重される」と変えています。
「個人」には名前がありますが、「人」には名前がありません。
「個人」を基本として考えるか、「人」を基本として考えるかは、全く別のものです。
「個」という文字があるかないかで、人民や民衆は、国民や大衆、あるいは臣民になってしまいかねません。

表札を出さない生き方やそうさせてしまう社会は、息苦しい管理社会につながっているような気がします。

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■節子への挽歌4124:「佐藤さんもお元気で」

節子
久しぶりに新潟の金田さんが湯島に立ち寄ってくれました。
昨年は金田さんは、私どころではなく「散々な年」だったようですが、東京に来るのもやっとだったという割には元気そうでした。
しかし、まあ外見と実体とは違いますので、「元気そう」だったとは簡単に言ってはいけません。
私自身の体験からも、ようやくそういうことがわかってきました。

金田さんは会うたびに、新潟での活動がなかなか進まないと謝るのですが、「何かをやらなければいけない」という思いは、あながち捨てたものではありません。
それが元気の支えにもなることもありますので。

金田さんは若いころ、2年ほど、我孫子でお住まいになったことがあります。
そんなわけで、今日は我孫子の話がだいぶでました。
ちょうど一昨日、数人で我孫子を歩いたので、その話も出ました。
金田さんが我孫子にいたのは、もう50年ほど前ですが、その頃とまだ変わっていないところも少なくありません。
それで話がつながっていきました。

別れ際に、佐藤さんもお元気で、と言われました。
最近、こういう言葉をよく聞くようになりました。
以前とは違った意味に聞こえてくるようになりました。
そういう歳になったのだと、この頃考えるようになってきました。
意識を変えなくてはいけません。

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2019/03/04

■節子への挽歌4123:宇宙人

節子
私は極めて普通の常識人だと自負していたのですが、どうも他者から見ると違っているようです。
最近、時々、私は「宇宙人のようだ」と言われ始めています。
まあ以前から「仙人」とも言われていたので、まあ世間から脱落している人間くらいに受け止めていたのですが(それは私の自覚と一致していますし〉、どうも今に始まったことではないのかもしれません。

昨日のサロンに、小学校時代の同窓生が2人来ました。
そのため、私の小学校時代の話が少し出たのですが、参加者から「どんな子供だったのか」と聞かれて、私の同窓生は「宇宙人のような存在だった」と答えたのです。
初めて聞く言葉です。

私は小学校4年の時に東京に転向しました。
それまで父親の出身地である新潟の柏崎に疎開していました。
転向した小学校は、1年から6年までクラス替えはありませんでした。
つまりきちんとした「秩序」ができていたのです。
そこに、田舎から転向してきたのです。
いまでも最初の挨拶での言葉遣いを笑われたことを覚えています。
だから単になじめなかっただけではないかといったのですが、どうも同窓生にはそうは見えなかったようです。
その頃の話は、最近になって時々同窓生から意外な話を聞くこともありますが、「宇宙人」というのは初めて聞く言葉です。

私は記憶力があまり良くないのですが、最近聞く子どものころの私の話は、どうも私の記憶と違うのです。
しかし、いろいろと話を聞くと、今の私にきちんとつながってきます。
それに、思い出すと、私と宇宙人との関係にまつわる話も、時々ありました。
宇宙人に誘拐されて、身体にチップを埋められたというような話が、一時期、私のまわりで話題になっていました。
私は記憶力はよくないのですが、人の話は真に受けてしまうタイプで、その話を聞いているうちにそうかなと自分でも思ってしまった時期があります。
事実、朝起きたら、腹部に傷がついていたことが一度ならずありました。
まあそれも気のせいだったかもしれませんが。

同窓生が、私のことを「宇宙人」だと思っていたとは、しかし、思ってもいませんでした。
知らないのは自分だけ、ということはよくあることなので、もしかしたら私は宇宙人かもしれません。
困ったものです。

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■節子への挽歌4123:幼馴染がやってきたオープンサロン

節子
またオープンサロンを始めることにしました。
ただあまりうまく告知ができずに、しかも寒い雨の日になったので、誰も来ないかなと思っていましたが、4人の人が来ました。
そのうちの2人は小学校時代の同級生でした。

小学校時代の私の一番の遊び仲間はなぜか3人ともすでに亡くなっています。
ただ、卒業後、6~7年たって、どういう経緯か思い出せないのですが、夏休みに1週間ほど、同窓生全員を対象に、山でのキャンプを始めたのですが、なぜかその時にまた気の合った4人組が別にできました。

キャンプは毎年やっていました。
大学生だったメンバーが1週間ほど宿泊し、勤めている人などは可能な時にやってくるというスタイルです。
それが毎年の恒例になり、私が就職するまで続きました。
それに合わせて、みんなで冊子やニューズレターをつくったりしました。
そんな活動をしていた時期があったので、いまでも仲間意識が強いのです。
節子も、何人かには会っていますね。

昨日のオープンサロンには、その4人組の2人が来ました。
前から会いたいので集まりを企画しろと言われていたのですが、あんまり気が乗らなかったのです。
そうしたら数日前に、その一人から今にも死にそうなメールが来たので、それならオープンサロンにでも来たらと返信していたのです。
そうしたらもう一人を誘ってやってきました。
寒い雨の中を。

いつごろの予定なのかと質問しました。
死にそうなメールをもらっていたので、もう余命宣告を受けたのかと思っていたのです。
まあ、彼からは長いこと同じ話を聞かされているので、聞き飽きているのです。
まだ決まっていないようです。
しかしいろいろと問題を抱えているようです。
ところが、もう一人が「俺も一応伝えておくけれど、心臓に問題があって、突然死の可能性を医師から指摘されていると言い出しました。
まあ80近くなったら、それはもう「突然死」ではないと思うのですが、彼は元気だと思っていたので、少し意外でした。
というわけで、2人は私に「別れ」に来たらしいです。

ちなみに、今回は来なかったもう一人は、先週、湯島に来てくれました。
胃がんのため、抗癌治療もやっています。

歳をとると、まあみんなこうなっていく。
これこそが「健全」なのでしょう。

1時間ほど話していたら、これまた久しぶりの人が来ました。
その人は日曜日は仕事のはずなのですが、わざわざ休みを取ってきてくれたのです。
彼にとって、昨日はちょっと意味のある日でもあったのです。
もう一人はサロンの常連ですが、なんでひな祭りの日に設定したのかといわれました。

それから2時間、話はいろいろと飛び回りました。
テーマもないので、とんでもなく話は飛躍し、人数も少なかったので、いつもとは違った雰囲気でした。

オープンサロンはいいものです。
今年いっぱいは続けようと思います。
私が死なない限りですが。
しかし、節子と一緒にやっていたころのようなスタイルは無理でしょう。


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2019/03/03

■オープンサロン再開

3月からオープンサロンを再開しました。
しかしあいにくの雨の寒い日になりました。
私も行きたくなかったほどですので、参加者はいないかもしれないと思っていましたが、4人の参加者がありました。
ただし、2人は私の小学校時代の同級生です。
お互いに人生が終わりに近づいたので、たぶん私に会いに来てくれたのです。
来世を信ずる私は人生は終わらないと思っていますので、別に急いで会うこともないと思っていますが、何やら2人ともかなり危ういようです。
まあそれぞれ健全に老化しているということでもあり、嘆くことでもありません。

話の流れで、私の小学校時代の話が出ました。
私の知らない話が多いのですが、どうも小学校時代から私は「宇宙人のような存在」だったそうです。
以前も一度、女性の同級生が私の子ども時代のことを話してくれましたが、それもまた私ではないような話でした。
子ども時代の友人に会うと、私の知らない自分に合うことができるようです。
まあ私はあんまり信じていませんが。

それはともかく、今回は女性がいなかったこともあり、女性のすごさについての話が出ました。
男性どもは、所詮は、消耗品ではないかという話ですが、まあ、男性もそれなりに頑張っているという話もありました。
男女共同参画や女性の社会進出議論によって、女性は飼育されてきていますが、しかし、専業主婦(家内)志向の女性も増えてきているという話もあり、女性の覚醒も始まっているような気配もあります。
狩猟社会においても農耕社会においても、社会を支配していたのは「女性」だったでしょうし(ただし、そもそもこういう社会区分が全く間違っていると私は思っていますが)、子供を産めず育てられない男性という「種」は、間もなく消えていくのではないかと私は思っています。

江戸町民の銀製のキセルに象徴される消費文化や女子高生の恐ろしさや、売上高思考の企業の可笑しさや小学校の生徒と先生の人数比率などの話題も出ました。
京都と江戸の刑場の話も出ていました。
何やら面白そうでしょう。
これはほんの話題の一部ですが。
オープンサロンは、やはり話題が広がって、面白いです。

ところで、明日の縁カフェはもうやめたのですが、間違ってくる人もいないとは限らないので(メールも電話もしない人が一人いるのです)、せっかく来た中を寒いのにそのまま帰らせては悪いので、私も一応、お昼から3時くらいまでは念のために湯島に行っていようと思います。
よほど暇な方は話し相手にお越しください。
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■節子への挽歌4122:節子の手作りひな人形

節子
玄関に、節子の手作りのお雛様が飾ってあります。
娘たちのためのお雛様は、わが家はすべて節子の手作りです。
したがって五段飾りなどはなく、いずれも2体のお内裏様だけです。
たぶん今は最初に作ったものが置かれていますが、だんだんと壊れてきてしまい、ガラスケースに入った一番立派そうなものは、今年、首が取れてしまいました。
手入れ不足です。
玄関に飾られているのは、節子の作った木目込み人形ですが、これも少しずつ悼んできています。
後ろに置く屏風は今は使っていません。

孫は、その人形を見て、最初は怖いといっていました。
節子が作った人形に限らず、どこで見ても、ひな人形は怖いようです。
その気持ちはわからないわけではありません。
人形には、私も、どこかに怖さがあります。

節子は、手作りが好きでした。
経済的な問題もあったのかもしれませんが、わが家にはそうした手作り物が多いのです。
しかしそうしたものもだんだんなくなってしまっています。
節子の名残は、こうして少しずつ消えていく。
まあ、それは悪いことでもないでしょう。

昨日は孫がわが家に来て、その雛人形と写真を撮っていました。
その写真を通して、節子は孫の代には生き続けるでしょう。
私はどうも忘れられそうですが。

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2019/03/02

■節子への挽歌4121:節子と一緒に本を読んでいるような気がしました

節子
最近また、いろいろと本の読むようになってきたのですが、不思議なことに私の生き方を元気づける本によく出会うようになっています。
人から元気づけられることは少なく、どんどん人嫌いになりそうなのですが、なぜか最近は本に元気づけられます。
話題の本からではありません。
だいぶ前に出された本で、あまり目にしたことのない本が多いのですが、なぜかそういう本に出会うのです。

話題の本からは、あまりそうした元気はもらえません。
話題になっていたシェリー・ケーガンの「「死」とは何か」などは、読んでいて、内容のあまりの薄さに驚きました。
なぜこんな本が話題になるのか。
いやなぜこんな大学講座が人気なのか。
話題の本はあまり読むものではありません。

最近読んだ本では、安室知さんの「日本民俗生業論」がとても面白かったですが、その本を読んで、私は実に運のいい時代、言い方を変えれば、幸せな時代に生きてきたことを痛感しました。
こうした本に、違和感なく、私が入れるのは、もちろん私の子ども時代の体験もあるのですが、節子と結婚したことも大きな力になっています。
節子のおかげで、滋賀の農村の文化を垣間見る幸運に恵まれたからです。
そして、節子の生活にも、それが感じられたからです。
もっとも節子は、意識的にはそうしたことから抜け出ようとしていたかもしれませんが、ひとはやはり育った環境に大きく規定されているものです。

この本は500ページもある厚い本なので、節子は読めないでしょうが、もし今、私の隣にいたら、この本について際限なく話が弾むだろうと思います。

最近、もしかしたら、本を読んで元気をもらえるのは、節子も一緒に読んでいるからかもしれません。
そんな気が、ふと、今日、しました。
節子は、読書家ではありませんでしたが、いまになって私の心身を使って、本を読んでいるのかもしれません。
好奇心は強い人でしたから。

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■国民意思と統治者意思

統治権シリーズは、2回でストップしてしまいましたが、また書き出します。
2回目で書いた「国民投票」について考える前に、考える枠組みを少し整理しておきます。

国民の意思(これもまた曖昧な言葉です)と統治者の意思との関係は図のようになります。


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日本は、代表民主制を採用していますので、国民の意思は代表である国会議員に託されています。
その信託に基づいて、三権分立体制の仕組みにのっとって、統治が行われます。
問題は、統治は機械的に行われるわけではなく(そういう仕組みもありますが、今の日本はその体制をとっていません)、人が行っています。
その人が「統治者」ということになり、日常的な問題では政府の代表である総理大臣がその役割を担います。
そして、もし統治者である総理大臣が主権者の意思を法文化した憲法に反することをした場合は、三権分立の一翼である「司法」がそれを正すことになります。
しかし、そうした「日常政治」に属さない問題は、三権分立の統治体制には属さずに、違ったところで「誰か」が統治しています。
ここを問題にするのが、このシリーズのひとつの論点です。

国民意思と統治者意思がずれたとき、どうしてそのほころびをつくろうか。
代表民主制、あるいは間接民主主義の限界をどう超えていくか。
それもう一つの論点です。


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2019/03/01

■節子への挽歌4120:平安なコミューン

節子
節子がいなくなってからも、いろんな人に会いました。
一緒にいるだけで、少し心がやすまる人にも会いました。
そのおひとりが、今日、わが家に来てくれました。
私より一回り若い男性です。

その方は、会社を早期退職し、NGOに関わり、そこから海外のストリートチェルドレンに関心を持つようになったそうです。
さらにそこからキリスト教に出会い、今年洗礼を受けるそうです。
そのために、いま、信仰告白をまとめているといいます。

早期退職するまでは、まさに経済世界に生きていたようです。
それがあるとき、何の得にもならない活動の人生をささげているNGOに関心を持ってしまい、そこから人生を変えてきたといいます。

先月もインドの僻地を訪問していたそうですが、そうしたところでの生活は心身共に大変なようで、いつも帰国すると、どっと疲れが出るといいます。
しかし、不思議なことに現地にいると、疲れも出ずに、心も安らかなようです。

帰国しても、そうしたところにいた時のような心を維持したいのだそうですが、なぜか生き方が戻ってします。
そこでまた出かけるわけです。
今月はまたフィリピンに行くそうです。

なぜそういう生活が、日本ではできないのか。
話を聞いていて、カントやオルテガを思い出しました。
日本では、人が人でなくなり、道具になってきてしまっている。
だから、人としてのつながりが持てず、心を許す付き合いがしにくい。

その人とは、これまでも何回もお会いし、お話をもさせてもらっていましたが、2人だけでゆっくりと話したのは初めてです。
しかも、「愛」と「罪」について、こんなに正面から話したのは初めてです。

その人が目指しているのは、心を通わせあいながら生きる人たちのコミューンです。
20年ほど前に、私も少し取り組もうとしたビジョンにつながっています。
私の場合は、見事に挫折しました。
でもいままた、少しそうした方向に向かっているような気もします。

久しぶりに、心がやすまる会話ができたのがうれしいです。

また少し元気が出ました。

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