■節子への挽歌4131:湯河原への転居はやめました
節子
湯河原は、私たちの終の住処になる可能性が大きかった場所です。
終の住処を海にするか山にするか、結局、私たちは海を選びました。
山も少しだけ探しましたが、節子は海を選びました。
しかし、湯河原のほかにも、逗子や湘南も2人で探した時期があります。
湯河原のマンションは購入時に比べれば5分の1の値段になってしまいました。
そして今は売るに売れない状況です。
節子がいなくなってからは、ほとんど湯河原には来なくなりました。
娘たちもなぜかここには来ません。
だから今は荒れ放題なのです。
実は私の気持ちの中には、節子と選んだ湯河原にはちょっとだけ未練もあります。
せっかくの場所を捨てたくないという気分がどこかにあるのです。
しかし今回来て、もう湯河原に転居することはないだろうと確信しました。
だとしたら管理費だけでも無駄なので早く売却しようと思います。
頭ではそう整理しているのですが、なぜか積極的に売る気が起きない。
どこかにまだ、節子との隠居生活の思いが残っているのかもしれません。
湯河原にも、いろんな思い出があるのも、その一因かもしれません。
それ以上に箱根への思いが強く残っているのかもしれません。
節子は箱根が大好きだったのです。
このマンションを売却したら、たぶん湯河原には2度と来なくなるでしょう。
そう思うと、やはり急いで売ろうという気持ちが起きてこないのです。
困ったものです。
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