■節子への挽歌4150:不忍池の骨董市
節子
久しぶりに上野の不忍池の骨董市を通りました。
先日、そこに行った友人からメールがあり、思い出したのです。
節子がいたころは時々立ち寄りましたが、節子がいなくなったからはすっかりご無沙汰です。
というよりも、そもそも湯島の帰りに不忍池を通ることがほとんどなくなったのです。
節子は骨董市のようなものが好きでしたので、時々付き合わされました。
節子は、陶器市や骨董市が好きでしたので、よく付き合いました。
私は最初は面白いのですが、すぐにあきるので、あんまりいい同伴者ではなかったでしょう。
不忍池から湯島のオフィスに行く途中にも、陶器のお店やちょっと面白そうなインテリアのお店がありました。
そういうところにも、時々付き合わされました。
そうしたお店は、節子が湯島に来なくなってからは、全くいかなくなってしまいました。
節子がいなくなってからは、私の生活も多様さを欠いてきているようです。
節子と一緒に歩いていると、私には気付かないことをいろいろと気づかされることも多かったです。
同じように、節子もまた私と一緒にいることで、たくさんの人生の寄り道をしたはずです。
ひとりで生きるよりも、伴侶を伴って生きることの方が人生が豊かになるのは、そうしたことの影響かもしれません。
しかし、時にそれが制約的になってしまうこともあるでしょう。
物事には常に両面があります。
夫婦よりも独り身の方が、豊かな人生になることもあるでしょう。
そういう人は私の周りにもたくさんいます。
ただ、私の場合は、幸か不幸か、伴侶のある生き方を選ぶことになりました。
そしてその伴侶がいなくなった。
その状況変化に、いまだに対応できていないのかもしれません。
不忍池の骨董地は、久しぶりに立ち寄ったのですが、場所も少し変わっていたのと、外国の人が多いのに驚きました。
うまく説明できませんが、雰囲気はかなり変わっていたような気がします。
出品されている商品も、ちょっと変わっていたような気がしましたが、何か興味をひくものは見つかりませんでした。
そのため通り過ぎるだけで、立ち止まることはありませんでした。
ちょうど花見の季節なので、不忍池の周りも混雑していました。
今日は日曜だったせいもあり、また桜も咲きだしたこともあり、人でいっぱいでした。
こうした人ごみを一人で歩くことは、最近はめったにありません。
どうしても早足になってしまう。
きっと周りのリズムとは違っていたでしょう。
そのせいか歩きにくかったですが、それはまるで生き方において、最近、生きづらくなったのと同じような気がしました。
上野公園の桜もだいぶ咲き出してきました。
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