■節子への挽歌4158:みんなの場所
節子
また冬に戻ってしまったような寒い1日でした。
春になったら元気を出そうと思っているのですが、なかなかそうはさせてもらえません。
寒さは、どうも心身を縮みさせてしまうようです。
いまは不思議な時代です。
ネットのおかげで、日常の生活もパラレルワールドを生きているようです。
現実にある会話をしながら、ネットではヴァーチャルに別の人とチャットするということもできるわけです。
私はそこまでにはなっていませんが、実際のミーティングの合間に、ちょっとだけそこにいない誰かとやり取りすることはあります。
自宅のパソコンで仕事をしながらも、時々、気分転換にメールやFBをチェックしながら、まったく別のやり取りをするくらいは私にもできます。
そうしたやりとりの中には、うれしい話もあれば、気分が重くなる話もあります。
まあいってみれば、複数の生活を同時にしているというわけです。
そういう意味で、今日もまたいろんな人とのつながりがありました。
それに、新しい出会いもありました。
ネットの世界は、実に興味深いものがあります。
気になった人に思い出したようにメールをすると、それがきっかけで会うことになる。
同じような感じで、先方からメールが来ることもある。
別に何かがあったからではなく、お互いにそれぞれちょっと思い出しただけでしょう。
そのやり取りを通して、また「迷い」が出てきてしまいました。
そうしたやり取りの結果、会うことになると、湯島の効用が大きいのです。
先方から湯島に行くという連絡があることもあれば、私から湯島に来ませんかということもある。
湯島だと安心して会えるのです。
私が目指してきた「みんなの場所」という感覚が、自然とシェアされているような気がします。
数年も音信不通だった人が、突然に湯島を訪れてきたこともあります。
私が不在で、メモを残して帰った人もいる。
運よく私がいて、再開を果たした人もいる。
そういえば、私のホームページを見て、湯島を訪ねてきてくれた人が、私が不在で部屋がロックされていたため、私に読ませたい本を置いて行ったこともあります。
その人の連絡先が分からずに、まだお会いしていませんが、忘れたことはありません。
こうした「みんなの場所」を、維持できなくなったからといってなくしていいのか。
実は節子がいなくなった時に、湯島を閉鎖しようと思ったことがあります。
その時には、サロンの常連の数名が、残してほしいといったので何とか残しました。
そのおかげで、いまの私があるといえるかもしれません。
そう考えると、この場所は残しておきたいとも思います。
宝くじでも当たらないものでしょうか。
たぶんサロンの参加者に声をかけたら、湯島基金は集まるでしょうが、それができたらできたで、ますます私の生き方を切り替えるのは難しくなるでしょう。
悩ましい話です。
とりあえず椅子を買い換えるのはちょっと延期しようと思います。
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