■節子への挽歌4153:高月町井口の円満寺阿弥陀堂の十一面観音坐像
節子
先日、骨董市のついでに、すぐ近くの長浜観音ハウスに寄りました。
節子の生家の高月町の円満寺の阿弥陀堂の十一面観音など5つの仏が来ていました。
先日お会いした「いも観音」とは、まったく違う感じです。
円満寺も私たちは行ったことがありませんでしたので、今回の十一面観音にも私は初めてお会いしました。
実に端正な仏です。
円満寺の阿弥陀堂には近隣の日吉山王二十一社から仏たちが集められているようですが、中にはもしかしたらどこかで見たことのあるような仏もいました。
今回は、5体が展示されていましたが、写真でも感ずるように、何となくおかしな組み合わせで、ちょっと違和感がありました。
十一面観音坐像だけのほうが、きっと感ずるものが強まったような気がします。
高月町界隈には、己高山仏教・十一面観音信仰というのがあったようで、もし節子が元気でいたら、いつか一緒に調べてみたいと思っていました。
己高山のふもとには何回か行きましたが、行くたびに雰囲気が変わっていて、不思議な深みを感じさせるところでした。
この挽歌でも前に書いたことがあるかもしれませんが。
節子が元気だったころにそこの道を歩いていた小さな沢蟹を捕まえて自宅に連れてきたことがあります。
しばらくして戻ってしまいましたが、なぜ道の真ん中を一匹だけ私に出会うように歩いていたのか不思議でした。
次に行ったときには、沢蟹に会うどころか、なんだかきれいになりすぎて、仏を感じませんでした。
おそらくもう行くことはないと思いますが、それにしても今回拝顔した十一面観音は丸顔なのに気高さを感じます。
四方から拝めるスタイルでしたので、後と横からも写真を撮らせてもらいました。
小さな像ですが、渡岸寺の観音よりも聖なるものを感じるような気もします。
いや、それは私の最近の心の表れかもしれません。
仏は、観る人の心の状況で表情を変えますから。
期間中のもう一度、拝顔して、それを確かめてみようと思います。
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