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2019/03/27

■節子への挽歌4154:迷い

節子
春らしい陽光が降り注ぐ気持ちのいい朝です。
にもかかわらずどうもわくわくする気分が出てこない。
なぜかといえば、最近少し迷いがあるのです。
やはり人生の第3期が長すぎたのかもしれません。
いまは惰性で生きているのではないかという迷いです。

収入を伴う、いわゆるビジネス的な仕事を辞めてからもう15年ほどになります。
にもかかわらず、なぜか会社を続けてきました。
ビジネスもせず、ほとんど収入もないのに、惰性で会社を続けてきたわけです。
ある意味では、それが私のよりどころだったのかもしれません。
会社は、そして一応、そのオフィスである湯島の部屋は、私と社会とのつながりを維持してきてくれました。
だからこそ、今の私があるといえるでしょう。

しかし、どうして会社を続けてきているのかは、明確な答えがあるわけではありません。
会社やオフィスを持続するにはそれなりの費用も関わりますが、その費用が会社やオフィスから捻出できるわけでもありません。
最近、会社の継続手続きをしなかったために(知らなかったのですが)、過料請求を受けました。
また会社の椅子なども30年もたつと壊れだしてきていて、それを買い換えるとなると50万近くかかります。
椅子はある人が一部負担してくれるといっていますが、果たして買い替えても、いつまで湯島の活動を続けられるかはわかりません。
購入費用を負担してもらえば、勝手に湯島をたたむこともできなくなります。
湯島は一応、所有しているのですが、管理費などが毎月3万円ほどかかり、そのうえ、固定資産税などの負担もあります。

昨年までは、この湯島の活動を持続し、場所も保持しようと思っていたのですが、最近は、購入したいという問い合わせが多いのです。
オリンピックのおかげかどうかわかりませんが、かなり高額で売却できそうです。
いま売却すれば、借金は解消し、手元にも数百万円残ります。
湯島に行って仕事などしなければ出費もなくなりますし、時間にも余裕ができます。

最近、体力も気力も弱っているせいか、湯島を売却して、娘たちへの借金を返し、あとはのんびり過ごすのもいいのではないかと思いだしました。
こんなことを考えるようになったのは今年に入ってからです。
それまではむしろ新しい事業を始めようとか、会社まで作ろうかというような気分だったのです。
どこでどう変わったのかは自分でも明確にはわからないのですが、まあこの1~2か月の間です。

貯金が底をつきだしたこともあるかもしれませんが、それだけではありません。
会社をやったりオフィスを持っていたりすると、いろいろと面倒なことが起きるからです。
人の嫌な面を見ることも少なくありません。
もちろん、人の良い面を見ることも少なくないのですが、心に残るのは嫌なことのほうなのです。
これも生命力の弱まりのせいかもしれません。

湯島をたたんで、隠棲にはいる潮時かもしれません。
そんな迷いの一方で、新しいプロジェクトの誘いに心を動かしてしまう自分がいる。

人は、死ぬまで迷い続けるのでしょうか。
孔子は本当に不惑を迎えたのか、なぜ私は不惑から抜け出られないのか。

春を超えるころには、迷いからも抜け出られるといいのですが。

 

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