■節子への挽歌4156:第4期への移行
節子
第4期に移行することに決めました。
決断が遅すぎました。
私は四半世紀単位で生き方を変えようと、会社を辞める時に決めました。
ちょっと「短い四半世紀」の子ども時代と学生時代を社会に育てられ、次の「ぴったりの四半世紀」を会社人として暮らし、平成元年に社会人として生きる「長い四半世紀」を過ごしてきました。
節子が元気だったら、3番目の四半世紀も25年にしたかったのですが、25年過ぎてもだらだらと同じ生き方を続けてきました。
心の揺らぎが出てきたのは今年に入ってからですが、この1週間で、心境が大きく変わりました。
昨夜から今朝にかけて、半分眠りながら考えた結果、平成も終わる今年こそが「長い第3四半世紀」を終わるのにふさわしいと思いだしました。
それにいささか今の生き方にも疲れてきました。
湯島のサロンも6月で終了を考えたいと思います。
せっかくいろいろと面白い動きも出てきたところですが、場所を維持するのも大変になってきました。
時間をかけて、CWSコモンズ村を育て、部屋もシェアしていきたかったのですが、またまた挫折する結果になってしまいました。
しかし、人生には「潮時」というのがあるのでしょう。
会社は事実上、活動していませんが、遅くも来年には収束します。
いま取り掛かっているプロジェクトの関係で、しばらくは形式的に存在させておく必要があるからですが、できるだけ消えるようにしていこうと思います。
平成と共に始まり、平成と共に終わることにしなりました。
第4期をどういう生き方にするかは、いろいろと考えていますが、うまくまだ整理できません。
会社を止め、サロンを止め、仕事も止めるので、今以上にお金は不要になりますが、人と会わない生き方が、私にできるかどうかは心配です。
頭の中だけで考えているとまただらだらとしかねないので、節子には報告しようと思い、挽歌に書きました。
友人たちにはどう説明しようか、少し頭が痛いです。
第4期は、湯河原ではなく、我孫子の場を選ぶことにしました。
これは「たぶん」ですが。
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