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2019/03/01

■節子への挽歌4120:平安なコミューン

節子
節子がいなくなってからも、いろんな人に会いました。
一緒にいるだけで、少し心がやすまる人にも会いました。
そのおひとりが、今日、わが家に来てくれました。
私より一回り若い男性です。

その方は、会社を早期退職し、NGOに関わり、そこから海外のストリートチェルドレンに関心を持つようになったそうです。
さらにそこからキリスト教に出会い、今年洗礼を受けるそうです。
そのために、いま、信仰告白をまとめているといいます。

早期退職するまでは、まさに経済世界に生きていたようです。
それがあるとき、何の得にもならない活動の人生をささげているNGOに関心を持ってしまい、そこから人生を変えてきたといいます。

先月もインドの僻地を訪問していたそうですが、そうしたところでの生活は心身共に大変なようで、いつも帰国すると、どっと疲れが出るといいます。
しかし、不思議なことに現地にいると、疲れも出ずに、心も安らかなようです。

帰国しても、そうしたところにいた時のような心を維持したいのだそうですが、なぜか生き方が戻ってします。
そこでまた出かけるわけです。
今月はまたフィリピンに行くそうです。

なぜそういう生活が、日本ではできないのか。
話を聞いていて、カントやオルテガを思い出しました。
日本では、人が人でなくなり、道具になってきてしまっている。
だから、人としてのつながりが持てず、心を許す付き合いがしにくい。

その人とは、これまでも何回もお会いし、お話をもさせてもらっていましたが、2人だけでゆっくりと話したのは初めてです。
しかも、「愛」と「罪」について、こんなに正面から話したのは初めてです。

その人が目指しているのは、心を通わせあいながら生きる人たちのコミューンです。
20年ほど前に、私も少し取り組もうとしたビジョンにつながっています。
私の場合は、見事に挫折しました。
でもいままた、少しそうした方向に向かっているような気もします。

久しぶりに、心がやすまる会話ができたのがうれしいです。

また少し元気が出ました。

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