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2019/03/02

■国民意思と統治者意思

統治権シリーズは、2回でストップしてしまいましたが、また書き出します。
2回目で書いた「国民投票」について考える前に、考える枠組みを少し整理しておきます。

国民の意思(これもまた曖昧な言葉です)と統治者の意思との関係は図のようになります。


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日本は、代表民主制を採用していますので、国民の意思は代表である国会議員に託されています。
その信託に基づいて、三権分立体制の仕組みにのっとって、統治が行われます。
問題は、統治は機械的に行われるわけではなく(そういう仕組みもありますが、今の日本はその体制をとっていません)、人が行っています。
その人が「統治者」ということになり、日常的な問題では政府の代表である総理大臣がその役割を担います。
そして、もし統治者である総理大臣が主権者の意思を法文化した憲法に反することをした場合は、三権分立の一翼である「司法」がそれを正すことになります。
しかし、そうした「日常政治」に属さない問題は、三権分立の統治体制には属さずに、違ったところで「誰か」が統治しています。
ここを問題にするのが、このシリーズのひとつの論点です。

国民意思と統治者意思がずれたとき、どうしてそのほころびをつくろうか。
代表民主制、あるいは間接民主主義の限界をどう超えていくか。
それもう一つの論点です。


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