■節子への挽歌4135:お墓には生命を込められる
節子
今日は湯島のサロンでお墓の話を聞きました。
お墓に関する私の認識はかなり変わりました。
これまでお墓はそこにある「物」だと思っていました。
もちろんお墓参りに行ったときには、お墓に話しかけたり触ったりしていますが、お墓が生きていると思ったことはありませんでした。
そして、節子が「お墓に入り」、いつか私も「お墓」に入ると何となく考えていたのです。
今日、篠田石材工業の社長の篠田さんから、いろいろとお墓のお話を聞いて、お墓には「生命」が宿っているし、宿らせることができるのだと気が付きました。
わが家の墓は、いわゆる和墓の標準スタイルです。
私の父が亡くなった時に、兄と一緒に建立しました。
墓石屋さんに頼んでつくったお墓です。
節子は、亡くなる半年ほど前に、そのお墓に入りたいと言い出したので、その希望を叶えました。
だから節子の痕跡は、お墓の横にある墓誌に戒名が彫ってあるだけです。
篠田さんは、遺族が希望すれば、墓誌などの字彫りを手伝ってもらうのだそうです。
そのおかげで、たとえばお彼岸に故人の孫がやってきて、親戚の人に、このお墓は自分も一緒に作ったといえるわけです。
お墓を通して、個人と孫のつながりが可視化されることになります。
また最近のデザイン墓石では、たとえば生前、船が大好きだった夫のために、舟形の墓石をつくったこともあるそうです。
伴侶の方は、夫が気に入ってくれればいいなと言っていたそうですいs五日、その船に私も乗れるといっていたそうです。
死者と遺された者は、こうして心と生をつなげられるのです。
そういう話を聞いて、墓はあるものではなく、死者と遺された者たちとで、育てていけるものであり、ある意味では生命を持った存在ではないかと思ったのです。
そのことは何となくみんな感じていればこそ、お墓に語りかけるのでしょう。
お墓は単なる物体ではない。
その気になれば、生命を吹き込める。
そのことに気づくと、これまでとは違った墓石との付き合いができるような気もします。
どうしたらいいのかは、まだわかりませんが、少なくとも墓石との付き合い方は変わりそうです。
私のいのちも、墓石に少しずつ託していきたいと思います。
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