■節子への挽歌4123:宇宙人
節子
私は極めて普通の常識人だと自負していたのですが、どうも他者から見ると違っているようです。
最近、時々、私は「宇宙人のようだ」と言われ始めています。
まあ以前から「仙人」とも言われていたので、まあ世間から脱落している人間くらいに受け止めていたのですが(それは私の自覚と一致していますし〉、どうも今に始まったことではないのかもしれません。
昨日のサロンに、小学校時代の同窓生が2人来ました。
そのため、私の小学校時代の話が少し出たのですが、参加者から「どんな子供だったのか」と聞かれて、私の同窓生は「宇宙人のような存在だった」と答えたのです。
初めて聞く言葉です。
私は小学校4年の時に東京に転向しました。
それまで父親の出身地である新潟の柏崎に疎開していました。
転向した小学校は、1年から6年までクラス替えはありませんでした。
つまりきちんとした「秩序」ができていたのです。
そこに、田舎から転向してきたのです。
いまでも最初の挨拶での言葉遣いを笑われたことを覚えています。
だから単になじめなかっただけではないかといったのですが、どうも同窓生にはそうは見えなかったようです。
その頃の話は、最近になって時々同窓生から意外な話を聞くこともありますが、「宇宙人」というのは初めて聞く言葉です。
私は記憶力があまり良くないのですが、最近聞く子どものころの私の話は、どうも私の記憶と違うのです。
しかし、いろいろと話を聞くと、今の私にきちんとつながってきます。
それに、思い出すと、私と宇宙人との関係にまつわる話も、時々ありました。
宇宙人に誘拐されて、身体にチップを埋められたというような話が、一時期、私のまわりで話題になっていました。
私は記憶力はよくないのですが、人の話は真に受けてしまうタイプで、その話を聞いているうちにそうかなと自分でも思ってしまった時期があります。
事実、朝起きたら、腹部に傷がついていたことが一度ならずありました。
まあそれも気のせいだったかもしれませんが。
同窓生が、私のことを「宇宙人」だと思っていたとは、しかし、思ってもいませんでした。
知らないのは自分だけ、ということはよくあることなので、もしかしたら私は宇宙人かもしれません。
困ったものです。
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