■節子への挽歌4149:生命力の衰え
節子
昨日のサロンでの「熱田津に・・」の歌の升田さんの解釈は、大学教授らしい正統派的で、しかも控え目の解釈でした。
まあ総論編だったので、あまり議論を広げることを自重したのかもしれません。
それに参加者の情報レベル-もさまざまなので、そこもきっと配慮したのでしょう。
そこがサロンでの話し合いのむずかしさなのですが、同時に、そこにこそ、サロンの面白さがあるのです。
なまじっか知識があると面白い話し合いは生まれにくいのです。
今日もまたサロンです。
先日話題になった腎臓透析を医師の「アドバイス」で中止して死亡した患者の報道を読んで、サロンをやりたくなって呼びかけた「生命とはだれのものか」を話し合うサロンです。
残念ながら参加者が一人だけしかいないので、中止しようと思いますが、その前に認知症予防関係の集まりがあるので、いずれにしろ朝から湯島です。
いささかいろんなことをやりすぎて、時間破産や思考破産に陥りますが、百姓的生活を志向している生き方としては、それなりに満足できる生き方なのです。
ただし、人との付き合いが多いと、いろいろとストレスも多いです。
昨夜もちょっと「うれしい」一方、「ストレス」を感ずる長電話がありました。
こういう生き方は退屈しませんが、精神的にはだんだんストレスを感ずるようになってきました。
生命力が衰えてきているのでしょう。
ちょっと懸念していた体調は回復しました。
しかし生命力と同時に、身体もまた衰えてきていることは言うまでもありません。
自らの限界を知るべき歳になってきたようです。
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