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2019/03/17

■原発の対価

昨日、NHKテレビで、毎年放映している、「廃炉への道2019」を見ました。
昨年より廃炉作業が進んでいるのかどうか、私にはにわかに評価しがたいですが、ここでも何か「真相」が隠されているような気がしてなりません。
辺野古もそうですが、当初の予定は常に先送りされ、しかも予算はどんどんと積み増されていきます。
今年の番組でも、40年とされていた廃炉作業期間は、さらに伸びるかもしれないと操作的とさえ思えるような形で繰り返し語られていました。

廃炉作業に降り組んでいる人たちへの感謝の気持ちと敬意は、こうした番組を見るたびに高まりますが、それに反して、現場から遠いところにいて廃炉を進めながらも原発稼働を進めている人たちには憤りを感じます。
それに、作業現場で、果たして被爆者や健康障害などが起きていないのか、いつも気になります。
いいところだけ放映されているようで、見た後、いつもすっきりしないのです。
廃炉作業の厳しい実態やそこから見えてきたことをもっと公開していってほしいですし、そこから原発政策そのものに影響を与えていってほしいと思います。

廃炉や原発事故にまつわる補償や環境回復などの資金はすべて税金で賄われています。
東電という会社が負担しているという人もいるでしょうが、そもそも東電の資金は基本的には国民の電気代と税金投入が基本です。
それに、電気代というと、一般商品やサービスと違い、生活を支える必需性が強く、しかも消費者としての選択の余地はほとんどありません。
もちろん最近の電力自由化で、形の上ではいろんなメニューがあるように見えますが、基本は電力会社(あるいは政府)の管理下に置かれており、電気代も供給側で設定されます。
原発事故の補償費にしても、実質的には(当然ですが)国民が税金と電気代で負担しています。
しかも、その国民負担を東電の判断で、十分な補償に回さないという現実もあるようにも思います。
それも含めて、原発にまつわるお金の状況は、私には見えにくくなっています。
その気になれば、明確なお金の流れは見えるようにできるはずですが。

いろんな問題がありますが、一番の問題は、果たして原発を継続していくためにはどのくらいのお金が必要なのかが、明確になっていないことです。
廃炉費用もすべて本来的には電気代に乗せるべきですが、その費用も全く見えていない。
本来的にコスト計算するときには、そうした費用もきちんと考慮すべきはずですが、電気代に関しては、いわゆる外部コストは違うところに賦課される仕組みになっています。
そうしたことがはっきりと理解されれば、原発による電力コストが安いなどという人はいなくなるでしょう。

原発被害者の補償ですが、東電などを通さずに、国民一人あたりから原発税として徴収したらどうかと思います。
そうすれば、国民も原発に依存しようなどとは思わなくなるでしょうし、被災者の苦労も共有できるはずです。
どこに使われるかわからない税金は払いたくなくとも、原発被害にあっている人たちの生活支援に使われるのであれば、払いたいと思う人も少なくないでしょう。

原発に関連したテレビ番組を見ると、いつも元気が吸い取られます。
廃炉作業で死者が出ないことを祈ります。

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