■節子への挽歌4148:鳥は死霊の使い
節子
昨日と一変して、今日はまた冬に戻ったようです。
昨日は20度を超えていましたが、今日は10度以上、気温も下がるようです。
今日は湯島で「万葉集」のサロンです。
少しは予習しておこうと斎藤茂吉の「万葉秀歌」を読もうと書棚や書庫を探したのですが、見つかりません。
代わりに、ちょっと視点の違う梅原猛や李寧煕の本などがいろいろ出てきました。
いずれも古い本ですが、懐かしい本です。
今日のサロンでは額田王作とされる有名な「熱田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ漕ぎ出でな」の歌をとりあげるかもしれないと聞いていたので、その関連の記事を読もうと思っていたのですが、間接的にですが、それを取り上げていた本がありました。
梅原猛さんの「さまよえる歌集」(1974)です。
それを読んでいたら、こんな文章が出てきました。
古代人にとって鳥はそのようなものではない。鳥は何よりもまず死霊の使いであり、あるいは死霊そのものですらあった。
節子が、「また鳥や花になって時々戻ってくるから」といっていたのを思い出しました。
古代においては、植物もまた人間の霊が宿る存在でした。
節子がそんなことを知っていて、この言葉を残したわけではないでしょう。
現世を離れる前になって、たぶん鳥や花への転移を感じたのではないかと思います。
節子が「蝶」ではなく「鳥」を選んだのがどうも不満だったのですが、こういうわけなら仕方がありません。
梅原さんの本には、こうも書かれていました。
古代人にとって、鳥と蝶とは大変近い関係にあるものである。
どちらも羽があり、それは遠い霊の国からとんでくるものと信じられていたのである。
ポイントは羽なのです。
黄泉の国にしっかりと根付いた植物と、そこから自由に飛翔する鳥や蝶。
彼岸の生活は、なんだか楽しそうです。
ちなみに、「熱田津に・・」の歌についての梅原さんの解釈は通説とは全く違います。
新羅に向けての勇壮な旅立ちの歌ではなく、軽皇子を悼む哀傷の歌だといいます。
さて、今日のサロンで升田さんはどういう解釈を示すか。
興味が高まります。
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