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2019/03/07

■名前がなくなっていく?

今朝の朝日新聞の投書欄に、昨年、掲載された郵便局員の方からの投書「表札それでも出しませんか?」への反響の投書が掲載されていました。
郵便局員の方からの投書は添付しますが、こんな文章が含まれています。

人や物や場所や建物などは、名前があることで区別・認識され、それで社会生活が成り立っています。表札を出すリスクはあるかもしれませんが、誤配や遅配、不着などを回避するために表札は欠かせません。表札を出さないのも各自の勝手だと思われるかもしれませんが、それで他のお客の配達が遅れることだってあり得るのです。
とても大切なメッセージがいくつか含まれているように思います。

表札を出さない人も増えていると聞きます。
昔はみんなの住所や電話番号も掲載された電話帳も配布されていました。
もう15年ほど前ですが、自治会の会長をやった時に、名簿も作成して配布してはいけないといわれました。

この郵便局員の方が言うように、人や物や場所や建物などは、名前があることで区別・認識され、それで社会生活が成り立っています。
その名前が隠されていく。
名前のない人や物で構成される社会とはどんな社会でしょうか。

ちなみに、この投書への意見のひとつに、配達のための「番号」があればいいという意見もありました。
その方は、表札に名前を書くことには反対ではないのですが、同時にこうも書いています。


最近は病院で名前ではなく番号で呼ばれることがある。個人情報を気にする方向けには配達番号をつくったらどうか。

そういえば、私たちにはすでに番号がついています。
どう使われているのか知りませんが、そのうち名前がなくなるような気がしています。
名前よりも「番号」の方が、管理効率はいいでしょうから。

2012年の自民党「日本国憲法改正草案」は、現憲法第13条の「すべて国民は、個人として尊重される」を「全て国民は、人として尊重される」と変えています。
「個人」には名前がありますが、「人」には名前がありません。
「個人」を基本として考えるか、「人」を基本として考えるかは、全く別のものです。
「個」という文字があるかないかで、人民や民衆は、国民や大衆、あるいは臣民になってしまいかねません。

表札を出さない生き方やそうさせてしまう社会は、息苦しい管理社会につながっているような気がします。

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