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2019/03/28

■節子への挽歌4157:惰性から抜け出すむずかしさ

節子
今日は久しぶりに手賀沼のほとりにある水の館に行きました。
そこに市役所の環境関係の部署の事務所があるのですが、そこの友人に会いに行ったのです。
これまでもいろいろとお世話になった方です。
我孫子での活動を少ししっかりと取り組もうという思いもあって、一緒に取り組みつつある若い友人と一緒に雑談に行ったのです。

水の館は、節子が元気だったころ、何回か行きましたが、中身はどんどん変わってきています。
思い出せば、ここにもいろんな記憶があります。
水の館の周辺も大きく変わってきていますが、節子がいなくなってから、我孫子市内もあまり行動しなくなったことに気づきました。
毎年来ていたあやめ園もなくなりましたし、手賀沼沿いの散歩道もきれいになりました。
節子が病気になったころは、リハビリを兼ねて、毎朝サイクリングに来たり、散歩に来たりしていましたが、この10年以上、湖岸沿いの道を歩いたことはありません。
私自身の行動範囲が狭くなってしまっているのです。

用事が終わった後、一緒に行った若い友人と水の館の中にあるカフェで少し話しました。一緒でした。
彼に、サロンをやめようと思うと話したら、いつかいま取り組んでいることをサロンで話したかったのにと言われてしまいました。
こう言われてしまうと決意は揺らぎます。

そういえば、私も彼にいつか話してよと頼んでいたのを思い出しました。
彼だけではなく、いろんな人にいつか湯島で話したらといってきています。
それなのに、今ここで、サロンをやめてしまったら、なんだかみんなを裏切ってしまうような気もします。

生き方を変えるということは、なかなか難しいものです。
いろんなことを考えてしまうと、人生はどうしても惰性に流されてしまいます。
特に私は性格的にそういう面があります。

会社に入った時のように、節子と結婚した時のように、会社を辞めた時のように、思い切って生き方を変えなくてはいけません。
若いころは、その断絶が私には魅力でした。
しかし、いまの私にそれができるかどうか、いささかの心配はあります。

生き方を変えたくても変えられずに、惰性で生きて、死んでしまう人は、きっと多いでしょう。
そうならないようにしなければいけません。

 

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