■節子への挽歌4152:椿
節子
どうも寒さが戻ってきてしまったようです。
天気予報ほどには温度が上がらず、なかなか春を感じません。
昨年は、今頃はもう近くのあけぼの山は桜が咲いていたのですが。
節子がいなくなってからわが家の庭はいささか悲惨な状況になっています。
サクランボの木をはじめ、いくつかの木が枯れてしまい、つつじも全滅です。
池は荒れ放題で、裏のバラは伸び放題。
困ったものです。
昨日、ユカがその荒れ果てた中から大きな花をさかせている椿を見つけました。
私も見たことのない椿の花です。
別のところに別の椿は咲いていますが、この椿は記憶にありません。
私やユカよりは庭の花木のことを知っているジュンに聞いたら、ジュンもこんな花はなかったはずだといわれました。
鳥が持ってきてくれたのかもしれません。
椿の生命は鳥によって守られているというのは私も聞いたことがあります。
なぜ気づかなかったかと言えば、別の木の葉の茂みに隠れていたからです。
いかにわが家の庭が荒れているかがわかってしまいます。
ユカがその椿の花を2輪活け花にして、節子に供えました。
15センチ近い大輪の花は斑入りです。
今朝も元気に咲いていたのですが、私の目の前で、一輪が「バサッ」と音を立てて突然落ちました。
椿は別名「首切り花」とも言われます。
花弁が1枚ずつ散っていくサザンカと違い、花ごとポトリと突然に落ちるのです。
これには意味があるのですが、近世では、そのため椿は縁起の悪い花といわれるようになりました。
しかし、古来、日本では、椿は魔除けの力を持つとされていました。
それに、椿の葉は厚く艶やかなので生命を感じさせ、古代では神の依代となり春の訪れを告げる木とされていたとも言われています。
そもそも椿(つばき)の語源は「艶葉木(つやばき)」から来ているそうです。
椿には、生の象徴も死の象徴も宿っているのです。
私は椿は好きですが、最近はあまり人気がないようです。
椿の花が落ちている風景も私は好きですが、枯れていくさまが汚いと思う人もいるのでしょう。
ところで昨日見つかった椿の花は斑入りです。
図鑑で調べましたがよくわかりません。
蜀紅のような気もしますが、葉の形が違います。
雪椿ではないかと教えてくれた人もいますが、椿にはたくさんの種類があるので、よくわかりません。
今年はもっと暖かくなったら、庭の手入れを始めようと思います。
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