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2019/03/31

■節子への挽歌4160:今しかない人生

節子
久しぶりにユカと一緒に湯島に行ったのですが、帰りに湯島天神と不忍池を通ってきました。
湯島は合格祈願のお礼参りで、また不忍池は桜の時期で、いずれもたくさんの人でした。
あれだけ各地の桜を見に行ったのに、なぜか節子と上野でお花見をした記憶がありません。
そんなはずはないのですが、私の記憶からすっぽりと落ちてしまっています。
湯島の梅は記憶にありますが。

湯島天神の梅も上野の桜も、年々、人が増えています。
それなのに、なぜかそこに節子がいないのは、奇妙な気もします。

途中だったので、先日も来た長浜観音ハウスに、また寄りました。
いま展示されているのは、先日も書きましたが、高月町の日吉神社の十一面観音坐像です。
改めてまたしげしげと眺めてみたら、前回とちょっと表情が変わっていたような気がしました。
この数日の、私の心境の変化が影響しているのでしょう。
仏の顔は、観る人や拝む人の心次第です。

今日は午後から我孫子で用事があったので、上野は通るだけでした。
上野駅も混んでいました。
節子がいたころとは上野駅もかなり変わりました。
上野駅周辺も変わりました。
節子が来たら迷うかもしれません。

それにしても、節子と一緒に何回も上野を通ったのに、あまり寄り道をしなかったような気がします。
あのころは、まだ私自身が「仕事」に埋没していたのかもしれません。
そこから出ようとした、まさにそのタイミングで、節子のがんが発見された。
人生には今しかないのだと気づいたのは、私の場合、少し遅すぎました。
しかし、それは、過去の話ではなく、いまもなお、そうなのでしょう。

今しかない人生と来世を確信している人生。
矛盾するようですが、いずれも大切にしなければいけません。

 

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