■節子への挽歌4216:平成最後の日
節子
今日は「平成」最後の日です。
朝、配達された新聞がカラー刷りの別用紙が表紙のように新聞を覆っていたのにむっとしてしまいました。
そのせいか、新聞の中身も全くなく、新聞を読む気さえ失せてしまいました。
改元がまるで「お祭り」のようで、実際に「祭り」をうたった広告が挟み込みのなかにいくつかあります。
テレビも同じで、大みそかをも思わせるにぎやかさです。
こうした風潮にはまったくついていけません。
なにしろ社会から脱落して、もうかなりになりますし。
節子がいたら、しかし、こうはならなかったでしょう。
節子は、こうした騒ぎには冷ややかでもありましたが、お祭りには乗るタイプでした。
そこが私と違うところで、都心に新しいビルができたり、なにか目新しいイベントがあると家族を誘うタイプでした。
そのおかげで、私も少しは世間の動きを垣間見せてもらっていました。
節子がいたら、皇居に行こうとか、改元大売出しに行こうとか言いだしたかもしれません。
そういう節子のおかげで、私の自閉的な偏屈さも少しは緩和されていたかもしれません。
節子のいないいまは、改元騒ぎにはまったく関心が出てきません。
天皇の退位や継承にも全く関心はありません。
ちなみに、私は現在の天皇にも次の天皇にも好感は持っています。
象徴天皇制にも価値を感じています。
もし天皇という存在がなければ、日本の歴史も社会ももっと歪んでいったと思うからです。
「護憲」でありながら「天皇制反対」というおかしな人もいますが、私は護憲でも改憲でもなく、ただただ私とみんなが暮らしやすい社会になってほしいと思っているだけです。
節子は私以上にそうでしたから、もし元気だったら、写真集を買うかもしれません。
今の皇太子の結婚の写真集も買っていましたので。
皇居参拝にも家族で行こうと言い出し、引っ張って行ったのは節子でしたし。
私は学生のころから元号は基本的に使いませんが、節子はむしろ元号派でした。
そういう違いは、私の世界を少しだけ広げてくれていたことは間違いありません。
今回の「令和」には、私はいささか過剰に反応してしまい、いまから考えれば恥ずかしい限りですが、節子がいたら私の怒りはもう少し緩和されていたでしょう。
節子がいなくなってから、後悔することが多くなりました。
困ったものです。
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