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2019/04/18

■節子への挽歌4193:それぞれの人生

節子

いとこ旅行の間、4人でよく話しましたが、これまであまり知らなかったそれぞれの人生を改めて知りました。
いとこといっても、それぞれの人生はなかなか見えてこないものです。
初めて知ったことも少なくありません。
何となく知っていたこともありましたが、思っていたのとは違ったイメージのものもありました。
2日間の旅行中、ほとんど話し合っていましたので、昔の話も出ましたが、その記憶もまたそれぞれでした。

2人のいとこは、私とは違ってゴルフやスキーなどをずっとやっています。
一人は、いまでもPGAの追っかけで海外にも行っているようで、タイガー・ウッズの話も盛り上がりました。
ゴルフをやらない私だけは話されている言葉自体がわからずにいましたが。

学校の先生をしているいとこは、バスケットや冬山登山などをやっていましたが、いまも日本体育協会のいろんな役職をやっていて、その分野の有名人とも交流があるのですが、これまたスポーツ音痴の私にはあまりわかりませんでした。

80代が2人と70代が1人、そして60代ですが、親族関係の記憶に関しては、世代の違いは大きいです。
80代は2人とも長男、他は次男・三男ということもあるかもしれません。
特に私は過去の記憶に関心がないせいか、年上の80代の2人から聞く話には驚く話がありました。
自分の親の話でさえも、兄と違って、あんまり知らないことに驚きました。

考えてみれば、私の娘たちは、私や節子の祖父母の話はほとんど知らないでしょう。
父母の話だってそうは知らないはずです。
こうやって人の記憶は失われていくわけです。

私の記憶が残るのは、私の場合はたった一人の孫にだけでしょう。
そう思うと、自分の生きたあかしや成果を形に残しておきたいという人の思いも理解できます。
もっとも私はそうしたことにはまったく関心はありませんし、意味も感じません。
有名な人の伝記にしても、たぶん実際のその人の人生とは違うものだろうと思うからです。
自分とは違う自分の痕跡いくら残しても意味はありません。

しかし、同時代を生きてきたいとこだって、こんなにも知らなかったのかと驚きました。
そうであれば、たかだか数十年、いや数年、知り合っただけの友人知人の人生など、わかるはずもない。
知ったような積りで、友人知人と付き合うことの軽挙は避けなければいけないと改めて思いました。

人はみな、それぞれの深い人生を生きている。
そこから学び合うこと、支え合うことがたくさんあることに気づかなければいけません。

今回の従兄弟旅行は、私にさまざまなことを教えてくれました。
一番身近な兄のことさえ、あまりに知らなかったことにも反省させられました。
まあこの歳になって遅きに失しましたが。

もっと早く従兄弟旅行をすればよかったと、少し思いました。

 

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