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2019/04/08

■節子への挽歌4173:「ありのままの持ち前」の拡散

節子
また寒さが戻ってきました。
最近の気候の変化にはなかなかついていけません。
しかし、変化が激しいのは気候だけではありません。

荘子の言う「ありのままの持ち前」に従って生きていると、周辺の変化の激しさが見えてきます。
そして、それに振り回されている自分にも気づきます。
「持ち前」は変わらないはずだから、振り回されるのはおかしいともいがちですが、そうではありません。「持ち前」は変わらなくても、持ち前が「かたち」に顕現するのは、まわりとの関係性によってですから。それも含めた「ありのまま」は変わるわけです。

人は一人で生きているわけではありませんから。
周りがどう変わろうと、ありのままを貫けばいいと思うかもしれませんが、それは空論です。
自分が変わらなくても、周りが変われば、自分の意味も変わる。
これは昔企業広報に関わっていた時に、小論で書いたことのある話です。
そもそも生きるとは「変わる」ことですから。

ちなみに、生命がないとよく言われる岩石でも、周囲との関係では、その意味は変わっています。
時間軸や空間軸を少し広げるだけで、岩石もまた生きているのです。
なにやらまたややこしい話になってしまいました。

最近、いささか疲れているのは、まあ周辺の変化の大きさで、私の自覚している「ありのままの持ち前」が変転し続けているからなのです。
動き続けることが付かれるのではありません。
生命はたぶん動き続けることで生き生きとしてくれはずですから。
問題は、「ありのままの持ち前」がいささか拡散し、渾沌としてきているのです。

荘子に出てくる「渾沌の話」を思い出します。
いろんなことが見えるようになると、生命の一段階が終わってしまう。
その話は実に象徴的です。

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