■節子への挽歌4184:気の流れ
節子
なにやらまた私の周りに「面白い話」が舞い込みだしました。
「生命の気」というのはやはり個人に属しているのではなく、個人と周辺とのつながりの中にあるのかもしれません。
個人の生命は、周辺との「気」のつながりを「止む」ことによって、「気が病んでしまう」のでしょうか。
しかし、そう考えると、節子はなぜ「病気」に陥ってしまったのに悩みます。
もしかしたら、その原因は私だったのかもしれません。
その負い目が、いつになっても消えません。
それはそれとして、私自身が最近、「気を病み」だしていたのかもしれません。
その気を止める壁がちょっと弱くなって、そこから外気が流れ込んできたら、その流れは少しずつ、強まっているように感じます。
まさに人は、生かされているという感じがします。
今朝、メールが入っていました。
先日会った、徳の島出身の方からです。
その人の発言が奇妙に気になるとともに、その人の姿勢に教えられるものがありました。
もう一度会いたいなと思っていたら、なんとその方からメールが届いたのです。
その方が取り組んでいる「徳之島プロジェクト」が送られてきました。
ちょっと私の世界の話ではないと思う一方、その理念は私の思いとつながっています。
世の中には面白いプロジェクトが山のようにあります。
私が触れられるのは、そのほんの一部です。
以前は、そういうわくわくするプロジェクトに出会いすぎて、プロジェクトサーフィンの生き方になってしまいました。
それがつながりだしたのは最近ですが、そこでどうも私の今生は終わりそうだと思っていました。
まあそうなのでしょうが、まだわくわくするプロジェクトに出会う時間が与えられたのかもしれません。
最近、いささか周辺がにぎやかです。
もしかしたらまた、気が流れ出したのかもしれません。
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