■節子への挽歌4200:長生きすることへの恐れ
節子
福井にいる節子の姉と電話しました。
いつもお米や野菜を送ってもらっているのですが、昨年くらいからあまり体調も良くなく、ジュンが電話したらどうもまた悪くなっているようなので、電話したのです。
声は元気ですが、腰や足があんまりよくないみたいです。
今年でコメ作りもやめるそうです。
そういえば、今年はタケノコが送られてきませんでしたが、タケノコ掘りもやめたのでしょう。
ということは、かなり状況は悪いのかもしれません。
何か私にできることはないかと考えても思いつきません。
困ったものです。
今年の夏には節子の13回忌を予定していますが、東京に来るのは難しいかもしれません。
だんだんそういう歳になってきてしまいました。
先日、一番年長だったいとこが亡くなりました。
さて次はだれか。
この歳になると、早く旅立つ方がたぶん「幸せ」でしょう。
遺されるものの悲しさやつらさは、体験してみないとわかりません。
そう考えると、この歳になると長生きしたいという思いよりも、長生きすることへの恐れの方が高まります。
私も、そろそろ長生きへの不安が出てきました。
もちろんみんなが長生きできるのであれば、長生きするに越したことはありません。
しかしそうもいかない。
時々、そんなことを考えるようになりました。
高齢者の多くは、長生きへの不安を持っているのではないかと思いますが、それは私だけなのでしょうか。
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