■節子への挽歌4164:元気の素は使うほどに育っていく
節子
新潟のYさんがいずに行く途中で湯島に寄ってくれました。
私とYさんとはちょっとエネルギー状況がクロスしているようです。
私のホームページで、私がちょっとエネルギーを低下させてるのを読んで、それが少し刺激を与えたようで、逆にちょっと前向きになったようです。
というか、私を元気づけたいと思ってくださったようです。
Yさんとは、長い付き合いで、Yさんから新潟に呼んでもらったこともあります。
どこかで通ずるものを感じた人との付き合いは、別に普段あっていなくても、切れることはありません。
新潟に行ったときにいつもご馳走になるので、たまにはと思って、お昼をご一緒しようと思っていたのですが、東京駅でおいしそうな懐石弁当があったからといって、わざわざ買ってきてくれました。
心遣いに感謝しなければいけません。
3時間ほど話をしましたが、Yさんも私もお互いから少し元気の素をもらったような気がします。
そして何か一緒にやるのもいいかなとふと思ったりしたのです。
Yさんは、私が過去に取り組んだことの「私の思い」を知っていて、それを何とか応援したいといってくださっているのです。
その企ては、見事に頓挫し、いまは私にはお荷物になっているのですが、それを引き受けてもいいというのです。
もしそうなら私も何かまたできることがあるかもしれません。
それで私はまた、現世滞在期間を延ばしたくなってしまいました。
これまでいろんなことをやってきましたが、誰かのためと思ってやったことはほぼすべて失敗です。
誰かのためなどという不遜な思いが、その原因です。
それでも、その時の私の思いを受け止めていてくれる人がいるということは大いなる喜びです。
そんな話が、最近少なからず起こっている。
やはり第4期への移行はもう少し延ばそうかと決心が揺らぎます。
こういうことを、世間では「未練がましい」というのでしょう。
困ったものです。
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