■節子への挽歌4202:話す相手と語る相手
節子
うれしい電話がありました。
社会保障問題や原発事故賠償問題などに誠実に取り組んでいる元大学教授だったHさんが電話をくれました。
一昨日のサロンに来る予定だったのですが、来られなかったので気になっていました。
お会いできないのが残念だなと思っていたのですが、Hさんも同じようで、私の声を聞きたいといって電話してきてくれたのです。
Hさんは私が尊敬し信頼する大学教授でした。
いまはもう引退されていますが、社会への思いは強いです。
弱い者の立場でいつもものを考えていて、決して時流に乗ずることのない人です。
ですから、いつも疲れています。
たぶん語る相手もそういないでしょう。
私と一緒です。
私も、話し相手はたくさんいますが、語り相手はほとんどいません。
こんなことを言うとまた友人に叱られそうですが、なかなか会話が成り立たないのです。
私がちょっとずれているのです。
でもHさんは、私のことをきっとわかってくれています。
ですから少しくらい意見や発想が違っても、語り合えるのです。
そういう人がいるだけで、人は少し安心できます。
電話ではなく、また佐藤さんと話したいので湯島に行くといってくれました。
うれしいことです。
Hさんとは共済研究会でしばらくご一緒しただけです。
その時にご一緒した大学教授たちとはもう付き合いはなくなってしまっていますが、なぜかHさんだけは湯島にまで来てくれています。
Hさんのような人がいるおかげで、元気が出ます。
いつかサロンをやってもらおうと思います。
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