■節子への挽歌4197:挽歌を書き続けられていることに感謝
節子
昨夜は久しぶりにネットやフェイスブックを開きました。
いろんなメールが入っていました。
そのなかに、エジプトの中野さんからのメールがありました。
先日挽歌(4187)に書いた、エジプト考古学者の河江肖剰さんのインタビュー記事に中野さんのお名前があったので、ついつい中野さんにメールしてしまったのです。
中野さんが、この「挽歌」を読んでいてくださっていることを失念していました。
うれしいメールでした。
ついうっかりと意識の外へと言ってしまいますが、この挽歌を読んでいてくださる方がいるのです。
最近は自分の日記のようになってしまっていますし、基本的にはもし節子がいたら夕食を食べながら雑談するような内容が多いのですが、それでも今も毎日150~200人ほどの人がアクセスしてくれています。
もっとも時評編もあるので、むしろそちらの方がアクセスは多いでしょうから、挽歌の読者はずっと少ないでしょう。
それでもたぶん10人以上はいるでしょう。
ありがたいことです。
時評編は読み手を想定していますが、挽歌編は独言のようなものです。
それでも、読者がいることは、書き手にとっては大きな支えになります。
この挽歌篇で、一番元気をもらっているのは私自身です。
挽歌を書き続けることで、私は何とかおかしな時期を乗り越えられました。
最近はようやくなんとかまっすぐ生きられるようになっていますが、一時は迷走しそうでした。
事実、かなり迷走してしまい、いまもその重荷を背負ってしまっていますが、それもなんとかなってきました。
こういう、開かれた場で、挽歌を書き続けられていることに感謝しなければいけません。
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