■節子への挽歌4165:「湯島は今や、修君だけのものではなくなっている」
節子
天皇の退位とともに改元されることになり、新しい元号が決まりました。
万葉集の大伴旅人の「梅花の宴」での歌からとった「令和」です。
世間はいままさに「令和」ブームです。
ここに込められた意味も考えずに、「ボーっと生きている人のなんと多いことか」、これはテレビ番組のフレーズですが。
まさに日本からは、私が考えている人間はどんどんいなくなっているようです。
大伴旅人の「梅花の宴」は、8世紀に大宰府で行われました。
大宰府と言えば、昔もしかしたら、私も住んでいたところです。
といっても、だいぶ前のことで、確実ではありません。
初めて大宰府を訪れて、政庁跡を歩いていたら、ふとここに住んでいたことがあるという思いが全身を覆ったのです。
前世を信ずる私としては、それで勝手にそれを信じただけですが。
私は基本的には元号を使っていませんので、影響はありませんが、今年になってふと「万葉集」のことが気になり、昭和女子大学で「萬葉集」の研究を(たぶん)していただろう、升田名誉教授にシリーズサロンをお願いし、先月そのキックオフサロンをしたところです。
そして5月から隔月で講座型サロンをスタートする予定です。
しかし、元号騒ぎからはじまった、にわか万葉集ブームのばかげた動きをテレビなどで見ていると、げんなりしてしまっています。
幸いに升田さんも同じ気分のようで、安堵しました。
私はそもそも「ブーム」が嫌いです。
そんな受け身の生き方は、私の信条には合いません。
しかし、升田さんとも相談して、そんな事故に影響されずに、万葉集サロンは継続することにしました。
というよりミーティング、湯島を閉じてサロンもやめようかとちょっと思っていましたが、逆にこの件で、サロンも続け、湯島も続ける気が出てきました。
升田さんは、メールでこう言ってきました。
湯島は今や、修君だけのものではなくなっている感じ。
なんといっても何かの依り所としている人がとても多い。
でも、それもサロンを開く意味の一つなのでしょう?
実は私も少しそういう感じがしています。
人はやはり一人では生きていないのです。
それにしてもこの数日、あまりにもおかしな力が私に降り注いできているような気がします。
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