■節子への挽歌4161:「仕舞い方のほうにばかり気をとられていて」
節子
久しぶりに半田さんが、私にある人を紹介したいと湯島に来ました。
半田さんは近くの大学の教授なので、すぐに会えるのですが、そのせいか、たぶん4-5年ぶりではないかと思います。
半田さんとは長い付き合いですが、私の友人ではただ一人、節子の病院にお見舞いに来てくれた人です。
しかも、私にも節子にも連絡なしどころか、実際には誰にも会わずに、お見舞いに来たという、いかにも半田さんらしいスタイルでした。
病院で寝ていた節子が目を覚ましたら、枕元に花が置いてあったのです。
見舞われた節子でさえ、気が付かなかったお見舞い。
いかにも半田さんらしいです。
以上は、私の記憶なのですが、節子が旅立った前後の私の記憶はかなりあいまいなので、事実とは違うかもしれません。
しかしこの話は、いかにも半田さんらしいので、たぶん間違っていないでしょう。
その半田さんのもう還暦で、後から来たメールにこんな一文がありました。
「最近は仕舞い方のほうにばかり気をとられていて…」
この言葉にハッとさせられました。
この1週間ほど、私もその方向に意識が向いています。
半田さんにも、そろそろ私も第4期に入ろうと思いだしていることは伝えていますが、ハッとしたのは、「ばかり」という言葉です。
あることばかりに意識が向くと、その肝心の「あること」を見損なうということは、私の体験知の一つです。
私自身が今、そうした落とし穴に陥りそうになっている。
それに気づかされました。
しかも、半田さんは、一緒に新しいプロジェクトに取り組みだした人を私に引き合わせに来たのです。
私まで巻き込んでくれるというのです。
そろそろ転居を考えているのですが、とその人には話しましたが、最後は引き受けてしまいました。
本当に転居はできるのでしょうか。
いささかの揺らぎが生まれてきています。
あまりにも偶然が続きすぎます。
いろんな人たちが引き留めに来る。
まだ転居先の門が開いていないのでしょうか。
困ったものです。
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