■節子への挽歌4170:家族からの教え
節子
昨日、娘たちと話していて、改めて自分がいかに言行一致に遠い生き方をしているかを痛感させられました。
娘たちからは教えられることが多いですが、どうもまだ「甘え」があって、親の優位性から抜け出せないようです。
節子がいなくなったので、節子から学んだり気づかされたりすることができなくなったのも、娘たちとの関係づくりがうまくいっていない一因かもしれません。
人は、家族から学ぶことがたくさんあります。
私は学ぼうという姿勢はあるのですが、実際にはあまりうまくいっていません。
気づくのが遅すぎるのです。
それと、節子からはあんまり共感されていなかったのですが、娘たちと友だちづきあいの関係を目指していました。
そもそも親子が友だちづきあいするというのは無理があります。
それに気づかずに、うまい親子関係を気づけなかったのかもしれません。
友だちづきあい志向ですから、子育てもうまくいきませんでした。
今さら反省しても始まりませんが、私の娘たちは迷惑したことでしょう。
昨日に続き、今日もそういう反省をしながら、1日を過ごしました。
いささか気の重い1日でした。
家族から学ぶことは本当に多いです。
しかし、節子がいないと、それ自体が難しいことに最近気づいています。
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