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2019/04/15

■節子への挽歌4185:「受けるお見舞い」

節子

今日は、闘病中の友人の「お見舞い」を受けて、お昼をご馳走になりました。
お見舞いに行ったのではなく、相手が「お昼」をご馳走しに来てくれたのです。

「お見舞い」には行くものだと思っている人も多いと思いますが、「受けるお見舞い」もあるのです。
誤解されそうですが、お見舞いの対象は私ではなく、私のところにわざわざやってきて私にご馳走してくれた人を私が「お見舞い」したのです。
つまり「受けるお見舞い」です。
「を」と「が」を読み違いませんように。

私にご馳走することで相手が元気になるとすれば、それも十分にお見舞い行為です。
それに私のところに来ることで、運動不足を解消できます。
今日の「お見舞い」人は足が悪いので歩くのが大変で、普通はこちらから「お見舞い」に行くのですが、当人に確かめたら、来るというので素直にその意思を受けました。
「お見舞い」には相手の意思を尊重しなければいけません。

繰り返しますが、お見舞いされるのはお見舞いに来た人であって、私ではありません。
うまく伝わるといいのですが。
お昼をご馳走されただけではなく、「お見舞い品」として、クラークスの靴までもらってしまいました。
私の靴があまりにもひどかったからです。

そろそろ靴と靴下をやめる季節になったのですが、お見舞いとして受け取った以上は、履かなければいけません。
裸足の生活に入るのは、少し延期です。

 

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