■節子への挽歌4192:時間から解放されるだけで人生は豊かになる
カフェでの話の続きです。
話もそろそろ飽きてきたので、ホテル前から出る次のバスで帰ろうと言うことになりました。
バス到着時間の5分前に停留所に行きましたが、1分前になって兄がトイレに行きたいと言い出しました。
ちょっと時間ぎりぎりなので、本人も迷ったのですが、まあいいんじゃないのと全員が賛成、ところがそれこそ10秒の差でバスに間に合わずに、待っていたバスには乗りそこないました。
運転手に頼めば大丈夫だったのですが、そんなことは誰もする気が起きないまま、バスは発車。
なにしろ予定が全くないので、バスに乗り遅れたこともみんなで楽しむことにしました。
こういう旅は実にいいです。
時間から解放されるだけで、人生は豊かになります。
節子なら、こういう旅こそ旅だというでしょう。
昔の私は、こんな豊かな旅はしなかったでしょう。
私がこういう感覚を身につけられたのは、節子からの長年の影響です。
昔の私は「無駄のない時間予定」を組むタイプだったのです。
いまではあまり考えられませんが。
せっかく箱根まで行って、いわゆる観光地には一切寄らないで降りてきましたが、それでもバスから富士山も少し見えましたし、大涌谷の噴煙も見ましたし、ガスのにおいもかぎました。
芦ノ湖畔もわずかばかり散策しましたし、まだ咲き残っていた桜も見ました。
火山のガスでやられた立木群も見ました。
そういうおかげで、いとこたちとの会話もいつもとは違った気がします。
さて来年は会えるでしょうか。
まあ今回の様子だと大丈夫でしょう。
ちなみに今月初めに、一番年長のいとこが一人亡くなったのです。
いつどうなるかは、この歳になるとわかりません。
今回の旅行が予定も目的地もなかったので豊かな時間を過ごせたように、人生もそういう生き方が豊かなのかもしれません。
この歳になって、ようやくそんなことがわかってきました。
最後になぜか旅館を手配してくれたいとこが、みんなに飴を配ってくれました。
飴をしゃぶりながら、小田原で解散。
なんだかほっこりした旅でした。
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