■節子への挽歌4172:天に応じてありのままの持ち前を生きる
節子
「荘子」の本に出てきた「幸せ」の話を書きます。
荘子によれば、「幸せ」という言葉の由来は「天が為すことに合わせること」だそうです。
たとえどんな逆境に出会っても、それに「合わせて」行くことが「幸せ」だというのです。「幸せ」は「仕合わせ」でもある。
いささか私の勝手な不正確な引用だと思いますが、こう考えるといろんなことが私の中では納得できます。
荘子は「遊」ということも重視しますが、荘子の「遊」とは、「ありのまま」、つまり、自分の「もちまえ」を発揮している状態だといいますこれもまた私の勝手な解釈かもしれませんが、とても納得できます。
いずれも私が目指している生き方につながっています。
そういえば、3日前に岐阜の佐々木さんから電話がありました。
佐々木さんのパートナーは、いま、見性寺を継いでいます。
私も一度、お伺いしたことがあります。
禅には「見性成仏」という言葉があります。
「見」は「現」という意味で、「見性」とは「性(もちまえ)を現す」ということだそうです。
天に応じて、ありのままの持ち前を生きる。
そういう生き方に私も少しは近づいているでしょう。
そう考えると、どこかで大きく停滞したり、間違った方向に進んでいたりしているようで、もう少し誠実に生きないと、幸せにはなれそうもありません。
さてさてどうしたものか。
先日、無理をしても佐々木さんに会えばよかった気がします。
予定に縛られて、機会を失う生き方は、私の目指す生き方ではなかったはずですが、最近どうも予定に縛られがちです。
生命力が弱まっているのかもしれません。
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