■節子への挽歌4187:「死が私在の一部になった」
節子
昨夜、エジプトの中野眞由美さんがメールで、昨日発売の「週間エコノミスト」に掲載されたインタビュー記事「問答有用」を送ってきてくれました。
最近話題のエジプト考古学者の河江肖剰さんのインタビュー記事です。
今朝読ませてもらいました。
河江さんがエジプト考古学者の道を歩み出したきっかけの一つは、中野正道さんだったことを知りました。
なんだかとてもうれしい気分です。
中野正道さんは、私たち家族の最初の海外旅行の時に、ガイドしてくださった人です。
とてもわかりやすく、友人にガイドされているような快適な旅でした。
帰国後もささやかな付き合いがあり、湯島でもお会いしたことがあります。
ご夫婦で湯島に来たこともあり、眞由美さんはラジオでエジプト報告などもしているので、お聞きしたこともあります。
お2人とも様々な活動をされています。
ところで、今回読ませてもらった河江さんのインタビュー記事ですが、最後のところでちょっと涙が出てしまいました。
河江さんが、伴侶の仁美さんと出会ったのは、2000年です。
当時、河江さんはエジプトの観光ガイドをしていて、仁美さんはツアー客だったそうです。
それから小説のような展開で、翌年、2人は結婚。
3人の子供に恵まれ、好きなエジプトで過ごす幸せな日々でしたが、8年後に仁美さんに悪性の腫瘍が発見され、治療のために2人は日本に戻ります。
翌年4月に仁美さんは亡くなりました。
河江さんはインタビューでこう語っています。
仁美が逝ってからは、死が身近というか、私という存在の一部になっていて怖くなくなりました。
この感覚はとてもよくわかります。
本当の死を体験した人であれば、共有している感覚のように思います。
愛する人の死は、自らの死でもあるのです。
ところで私が涙ぐんだのは、この部分ではありません。
最後に河江さんが語っている次の言葉です。
人生のコアとして最も大事にしたいのは日常です。
発掘現場にいて、朝日に輝き夕日に染まるピラミッドに、日々親しむことが最高の幸福です。
なぜここで涙が出たのか自分でもわかりません。
ただ、ピラミッドをもう一度見たいと強く思いました。
河江さんに会いたいと思いました。
会えないのが少し残念です。
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